昭和初期に立った教会を出て、静かな潮騒の音を聞いていた。
その時、背後から爆音が近づいて来た。
ボボォォォォォォォ………!
振り向くとハーレダビッドソンのツーリング集団。
静寂を切り裂くようにその教会の駐車スペースへなだれ込んで来た。
あまりの唐突さに私は思わず、その集団を睨んでいた。
その視線に気が付いた1人の男性が、申し訳ないといった感じに会釈をして、教会の中へ入っていった。
新聞の一面を見て、一つの記事が目に留まった。
とうとうこの時が来たかと思った。
世界遺産に選ばれることは時間の問題だと思っていたから。
12年前、無性に行きたかった長崎へ行った。
最後の日に向かった外海地区。
そこは隠れ切支丹の里と言われている場所だった。
100年前にフランスから来日したドロ神父の記念館を見た。
自らの私財を投げ打って、遠い長崎の地へ来た宣教師の伝えたことはキリスト教だけではなく、人が自立して暮らせるための技術も多く伝えてくれた。
マカロニや製麺づくりから、西洋医学の仕組みを教え解いたり、煉瓦の作り方まで、さまざまな分野の知恵と技術を人々に伝授していた。
地元へ戻ってからも切支丹の歴史のことが頭から離れず、地元の図書館や大きな図書館へ行き、いろんな本を読んだ。
そしてある場所に強く惹かれ、その地へ行く事にした。
熊本県で一泊して、その翌日、バスに4時間ほどゆられ、辿り着いた島が天草だった。
天草半島は、上天草と下天草に分かれており、下に下るほどひっそりとした昔ながらの風景が留まった場所がその当時は、あった。
下天草で行きたかった場所が崎津教会だった。
ずいぶんと昔に21:55から始まる短い尺の番組で、チラッとその教会を見た。その記憶がずっと残っていた…。
小さな入り江の漁村にある畳敷きの教会。
今は、パイプ椅子が置かれており、畳の上をゆっくりと小さな蟹が歩いるようなそんなのどかな場所だった。
3時の小さなミサ。
代々、キリシタンであった末裔のおばさんたちが、集っていた。
外へ出ると信仰の厚い漁師たちがお金を出し合い、入り江沿いの岸壁に建てたというマリア様の像の姿が少し見える場所がある。
これは、漁師たちが自分たちの仕事の始めと終わりにお祈りをするために建てられたもので、舟の上から拝礼されるように設置されているので陸上からは、横向きの姿を少し遠くから眺めるしかない。
400年もの弾圧に耐えてきた日本のキリシタンに想いを馳せていると
この人里の静けさの中に垣間見るような思い…。
日本におけるキリシタンの歴史は、
いろいろと枝分かれしており、先祖からの信仰を守るためにその土地独自の土着な信仰へ変わってしまったものや仏教とも結びついたもの、禁教令が解けた後も隠れキリシタンとして静かに生きた人々など、多様な変遷を辿っているようで、一言では、語ることができない複雑さがある。
私が惹かれたのは、人の信念の力というか、意志を貫く姿勢。
世界資産。
天草のおじいさんが、この知らせに涙を流していた場面をテレビで見た。
世界遺産に選ばれるとは大変な名誉であるのだろう。
世界的にその場所やその歴史が大勢の人に認識されることになるのだから。そのことは大変、結構なことであると思う。
しかし、そこの場所が観光地化するということでもある。
人がたくさん来るということは、その場所が"荒れる"ということも同時に起ってくる。
あの静かな漁村にも大型観光バスが何台も出入りしたり、その近くにコンビニができたりするのだろうか…。
何もないということは、都会にないものがたくさんあるということではあるまいか…。
過去と結びついた時間の流れや豊かな自然やそこに流れている静けさなどは、変えがたいものを内に秘めている。
そこが人の心を捉えることもあるのではないだろうか…。
守ることと残すことだけではなく、商業とどこか結びついてるのが世界遺産のように感じるのは私だけだろうか?
誰かのお墨付きを得なければ
価値がないというのもでもあるまい。
世界遺産にならない場所でも素晴らしい場所はたくさんある。
今回、世界遺産に選ばれたキリシタンの歴史の旅をされる際は、どうか先人たちの辿ってきた歴史のことや厚い信仰に思いを馳せながら、静かに手を合わせて欲しいと願います。