東京での個展の際、泊まっていた場所から、ギャラリーまで、徒歩で通っていた。
通いながら、ふと思ったこと。
こんなに橋があるってことは…、
橋があった痕跡があったってことは…、
この場所にはたくさんの川が流れていたということだ。
どこでもそうだが運河が重要な役割を果たしていた時代があった。
まさに東京でも。
今は多くの川が地下にもぐったりしていて、その姿は見えない。
日本橋に至っては、まだ、川の流れは見え、橋としての機能を果たしてはいるが、高速道路を支える橋脚が、川面に乱立しているように見えた。
いかにも近代の感覚のように思えた。
個展に来てくれた地元の人から聞いた話。
1964年の東京オリンピックのため、急ごしらえに作った高速道路は、土地の立ち退きに時間と費用が掛かるため、東京を流れる川の流れの上に建設することで、時間も労力も削減させたと話されていた。
もし、今、その運河がまだ残っていたとしたら…
それは”東洋のベニス”と言われるような風光明美な都市・東京のひとつの歴史的遺産であり、観光スポットにもなりえたのかもしれない。
そして、モンスターのように超巨大化した東京で暮らす人々の情緒的な潤いとして役立ったのではないだろうか。
水とともに生きてきた日本人。
水が育んだ情緒性の中から生まれてきたたぐいまれな文化を持つ稀有な国、日本。
その感性は、いまも湿度を保っているのだろうか…。
私は、自分の足の裏にその見えない川の流れを感じていたのかもしれない。
P.S
川繋がりではないが、
銀座で、一度、行ってみたかったお店のあった場所へ。
銀座7丁目に、ひっそりとその目印があった。