My Horizon

絵を描く日々や私の日常をつれづれなるままに、言葉と写真で紡ぎます。

近づく宇宙存在

去年、知った言葉、

”U.A.P."
Unidentified Aerial Phenomena
(未確認空中現象)

2020年代に入ってからアメリカ軍関係者の間で使用されるようになった言葉のようだ。

去年、マニアックな人たちの間で話題に上がっていたアメリカの機密情報の開示のドキュメンタリー映画『エイジ・オブ・ディスクロージャー:真実の幕開け』をネット配信で観ていた。その中でも”U.A.P."という言葉が頻繁に使われていた。

UFO(未確認飛行物体)でも十分」通じるけれど、現在はUAPと言われることも多い。

軍の機密情報に関連される情報として従来のトンデモ話に登場する印象が強い”UFO”のイメージから、現実的に起こった事象を客観的に対照化するために言葉を分けたものなのだろう。

そのUAPを描いた話題作が公開になった。

映画『ディスクロージャーディ』
10月1日、朝一番に観に行ってきた。

特にスピルバーグ好きでもなく、相当期待していた訳ではなかったが、なんとなくその日の封切りの時間に合わせてみた。
その日がファーストでディだったので混雑しない朝一番にしてみただけだったが、それなりに人はいたけれど、それほどの混雑はなかった。けれど、きっとなにかワクワクしながら来ているような人たちの集まりだったことだろう。

7月に公開予定が延期されての10月1日封切り。
51カ国目、最後の上映国となった日本。劇中でも出てくる"エリア51"でのロズウェル事件とも合致している数字で深読みし過ぎてしまう人々の間では意図的だったのではないかという噂もあった。


観た人によって意見も千差万別な作品だろう。

単純に言えば"ザッツエンターテイメント"という娯楽作品でもある。
「激突」「インディージョーンズ」「未知との遭遇」「E.T」
すべての要素をまるっとおさめ、お馴染みジョン・ウィリアムの指揮する音楽が数分おきごとに場面をスリリングに盛り上げる。スピルバーグ作品の総決算のような映画のように思えた。



劇中、わたしが思ったのは
"人体とは?意識とはなにか?"
ということだった、

相手から憑依(ダイブ)されたり、相手のことが目を見ただけで読み取れたり、まるで霊能者、サイキック。

見えない領域を描こうともされてもいる。そのいくつかの場面でふとホロリときたシーンもあった。なにか覚醒めいたこともあったのだろうか?!




キリスト教の世界観において、宇宙存在とは相当の脅威でもあり、悪魔的な要素も含んでいるだろうに…。
そんなアメリカという国である種、タブーを打ち破る要素も含む映画でもあるのだか、なかなかキリスト教的要素も強めだった。

ユダヤ人でもあるスピルバーグがそのことさえも超えてでも描こうとしたものはなんだったのだろうか…?
キリスト教信仰の世界を主軸にしたアメリカにおいて、U.A.Pの存在とは一体どんなものなんだろうか…。


今年5月頃から開示され続けているU.A.Pの機密映像の数々。
劇中で出てきた証拠写真や動画はリアルなものを使っているのでは?と感じた。

けれど、けれど、
宇宙人のイメージが固定化されているような感じがして違和感を覚えた。
スピルバーグが描いてきたグレイ系の宇宙人が宇宙人として認知されていることは百も承知だが、彼らがなんのために地球へ来ているのかは未だ闇の中といった感じだった。



さまざまな書物などをひも解いて読んでみても無限に広がる宇宙の銀河系と呼ばれる中にある地球に対し、アプローチしている異星人たちは複数いるはずである。

暗がりのシートに座り、一つの形としての宇宙人を見せられる時、それがマインドコントロールのように印象付けされてしまうのにちょっと抵抗がある。宇宙人はこういうものであると。
人間を脅かす存在?しかし、そういった存在だけなのだろうか?

見上げる空。
いつも近くにある宇宙を思う時、もっと壮大で目に見える世界を突き抜けて存在している異星人たちが必ずいるはず…と思うのは私だけだろうか。


宇宙人が来てオーブンコンタクトがそう遠くない未来に実現するとささやかれてもいる。

個人的に思うことは、宇宙人がやってきたからといって、それらの存在たちがヒーローのように登場して、助けてくれたり、何かを解決してくれるということはないと思う。彼らは救世主ではない。逆にもし、そんなことを言い始めたら疑ってみた方がよいのではないだろうか。それは支配にもつながるし、依存関係にすらなり得る。今までの歴史がそうであったように・・・。

私が思う宇宙存在とはまた違うタイプの人たちなのかも。

映画「ディスクロージャーディ」が描く世界観はあくまで三次元の世界(物質界)においてのUFOの捉え方、描き方だったようにも感じた。あくまで娯楽映画の枠を出ていたような出ていないような…。
なんらかの理由で宇宙存在とのコンタクトが避けられなくなってきている現実へのイメージを定着させるための呼水のような映画かもしれない。

もう一度観て、考えを巡らせてみるのもいいかもしれない。

この世界、”何を信じるかは、あなた次第です”ということなのかも。

気がつけば、Blog10年。

「硬い文章だなぁ・・・」

今、読み返すと、初回のブログはどう書いていいかわからず手探りで書いていたように思う…。


2016年に始めたブログが、気がつけば10年経っていました。
全192話。


全部読んでくれた人も数名いてくれて、『面白かった!』という感想もいただいていました。(読んでくれた方々、ありがとうございます!!)
自分でも振り返って、読んでみたりしていると"面白いなぁ〜"と単純に思ってしまっています。(自画自賛 笑)
自分のしていることが好きなんでしょうね。(ん、大事なことです。)



シンプルに書くことが好きです。
ただ、それだけ。
好きだからこそ続けてこれた。



いつも書く時は、何かグッとくることが起こった時。
その初期衝動みたいな心の動きを大切にしています。
自分の胸の中心からなにか溢れ出てくるものを感じ、それを言語化してゆく。
體の中の感覚器官が独特のリズムやテンポを取りながら流れ出す思いに語感を通して景色を描いたり、色をつけたり、音楽を奏でたり文章なんだけれどそんな作業のように感じています。

なるべくその時の感情の流れを尊重して、そのままの臨場感を大切にして書いてるというか…。
だから時たまヘンテコな表現になっていたりもすれけれど、それもご愛嬌って感じで続けてきました。



いろいろと書いてきたこの10年。

ブログを始めた2016年は私にとってもありがたいことに当たり年のような時期でした。


墨を使い絵を制作するようになったこと。展覧会での渡仏(初めての海外)、新聞記事の連載、アルメニアでの滞在制作&旅、個展、グループ展が続き、目がまわるような忙しい時期でもありましたが、とても充実していた時期でもありました。

制作や旅の他にも、畑や自然との関わり、食についてや映画や本のこと。
そして、40代に入り不定期愁訴が體の中で静かに起こり始めたことや父の介護からターミナルケアからのコロナ禍での出来事などなど。
誰とも会えない状態で自分の思いを綴ることでそこに救いを求めたり、自分を励ましたり、慰めたり、書くことで精神的に支えられていた部分もあったと思います。



正直、こんな個人的な体験を外部にさらすことってどうなのかぁ?と思ったりして、当初はとまどいもだいぶありましたが、このブログを始めたことで新聞やコラムの連載が決まったり、自分のしたい事が見えてきたり、人と会うとブログの記事のことを話題にあげてくださる方がいたりと、表に現すことで現実が変容していくことが内でも外でも起こっていったように感じました。


改めて書くことが心底、好きなのだなぁと再確認することもできました。


こうやって自分の成長段階が自分の成長日記のように、1人の人間の生き物の記録みたいに(?!)その断面を書き記すことがなんだが単純に面白いことだと今、振り返ると思えてくるのです。

"けなげにイッショウケンメイ生きてきたんだなぁ、アタシ"っていう感じで。


それは私という最後の秘境に分け入ってゆく日常みたいで、小さなスペクタクル・アドベンチャーの記録なのかもしれません。もともと私は自己探究型の人間。書くことはうってつけの自己分析やセラピーにもなっていました。



ルーティン三昧の無味乾燥になりがちな日常を切り取り書くことで、自分の人生に少しドラマティックな効果も与えられるのではないかとも感じています。


でも、生きてることっていろいろあるけど、体験できるっていいもんだなぁとしみじみ思ってしまう。自分が自分でよかったなぁって…。
記録し続けたから、振り返ることもでき、やっとそう思えるようになった自分がいるのかもしれません。


誰かに求められているわけでもなく、単なる自己満足かもしれませんが、何かここで私が気持ちを綴ることで、共感や共有できことがもしあったとしたらそれはそれで嬉しいことです。

また、ご縁があったら書くお仕事もしてみたい!と思っています。



(2026年5月仙台港から名古屋港間のフェリーで撮ったHORIZON)

本当にいつも読んでくださり、ありがとうございます。

なんだかもう終わりそうな雰囲気ですが(笑)まだまだ続いてゆきますので!


日々、自己探究は続きます。
どうぞ引き続きゆるい感じで、お付き合いくださいね♪♡╰(*´︶`*)╯♡


のりこ

アキワケノコク2026

2026.09.23
9:05am
今年のアキワケノコク。
秋分点。

陽の当たる場所に座り、瞑想しながら秋分点の時刻を迎えた。

長雨が続き、台風が通り過ぎた翌日のおひさまは、なんともすがすがしく半袖を着ていてもちょうどいい体感だった。さんさんと降り注ぐ陽の光がじんわりと時にはじりじりとまぶたに肌の上に感じながら、その感触にも意識を向けたり、内観したり、ただそこにある”今”を味わっていた。

秋分点をこえて目を開けると、秋の空を彩るうろこ雲の群れと彩雲がかった太陽がまぶしいほどにそこにあった。まぶし過ぎて空が見えなかったので、当てずっぽでスマホのカメラレンズを空に向け連写したら、偶然にもよい写真が撮れていた!秋分からのささやかなギフトのように思えた。


気がつけばコロナ以降、春分、夏至、秋分、冬至を意識した生活をし始めていた。
自己流ではあるけれど畑をし始めのも大きなきっかけだった。
植物のサイクルに合わせて種まきや成長の段階を見ていると自然と昔の人たちが作った自然の節目や暦の正確さに感心する。

夏至までの植物は太陽めがけ育ち盛りの子供のようにぐんぐん伸びる。なので草刈りは夏至を過ぎるまではしないことにしている。取っても取っても伸びてくるイタチごっごでしかないから。

そして、今年も夏至が過ぎてから大豆の種まきをした。
2、3日湿らしたティッシュの間に保存していたミヤギシロメという品種の種を入れ、冷暗所に置く。発根してから植えると丈夫に育つと聞いていたのでそうしている。もやしのような白い根が勢いよく伸びすぎるくらい伸びでいたので、慌てて植えた。
ロシアの本『アナスタシア』よろしく種を口に含み、ちょっとしたおまじないをかけて・・・。

世界平和が実現すると意図します。
愛と調和でバランスされた世界が実現します。

などなど、その瞬間に浮かんだことを種にテレパシーを送りながら土の中、埋めてゆく作業は密かなレジスタンス運動みたいだなぁといつも思ったりしている。
私の唾液と土の微生物が種を通して交わる時、まだ解き明かされていない精妙な領域があるとするなら、この種を植えるということも何かの秘技めいた小さな儀式のようでもあると思う。
大豆歯の根には根粒菌がたくさん付き、やせた土にも栄養を与え活性化してくれると聞き、収穫もしつつ土壌改良もできるということで一石二鳥の自然農の知恵を借りて実践している。そのおかげか、春になると年々色とりどりの雑草の花が咲くようになった。色とりどりの花が咲く畑は土壌が良くなってきたという印だと何かで読んだ気がする。多様な植物とそこに集う昆虫たちが更に土を育んでくれるのかも知らない。


小さな庭でできる限り植えてみた。
秋分を迎えた大豆畑は、緑色の枝豆が適度に実を付けている。この状態で枝豆として食べることもできるが、それをグッとこらえて、晩秋まで枯れるのを待って収穫し、手作り味噌に仕込むのが目的。
前々年は手のひら一杯ほどの量しかできなかったけれど、それでも大満足だったから、その時よりは多めに収穫できることが今から樂しみでもある。


〔菊芋の花〕


夜になるとどこからともなく甘い金木犀の花の香りがしてくる。
今だけしか嗅ぐことのできない香りだと思い、思い切り吸い込む。
だんだん夜が長くなる。
釣瓶落としの夕暮れの先の冬至まで、深まりゆく秋をささやかな暮らしの中、愉しみたい。

雪虫来たりて、冬支度

今朝、庭で洗濯物を干していた時、フッと小さい物体が視界をよこぎった。
目をこらして見ていたら、白くフワッとした妖精のような姿が…。

それは雪虫だった。

本格的な冬の訪れを告げに来てくれたのだろう、明日から寒くなるのかもしれない。

個展が終わり、プレッシャーから解放され、眠りたいだけたっぷり眠った三日間。
日夜行う、半身浴も手がふにゃふにゃにふやけるまで浸りに浸った。


ずっとやりたかった庭の清掃。
放置されていた長い枝をノコギリで短くカットしたり、いつの間にか生えてきた桑の木?を切ったり、他の木の枝の選定もした。
雑草を畑の肥料にすべくばらまいて、来年の土が少しでもふっくらしてくれるよう自己流だけれど庭の冬支度に精を出した。
土に触れていると自然と元気になる。ほんと不思議なくらい。
今日は暖かく風もなく、おだやかな一日だったので作業が思った以上にはかどった。



年から年中、保存食作りを日課にしている。

両親もまめな人たちだったので、いつも忙しく台所に立っては、なにかしらこしらえていた。
その姿を見ていて面白そうだなぁと思っていたし、冬場はたくあん漬けの仕込みなんかもよく手伝わされていた。そこで作る楽しさを自然と覚えていったのだと思う。
(⇧上の本は、母親の愛読書的本は、今は私の宝物。)


去年からずっと作りたかった柿酢をやっと作ることが叶った!
完熟した柿のヘタを取り、焼酎で消毒した空瓶に詰めて、入り口を布でおおい輪ゴムで閉じ発酵するのを待つだけ。用意するものも少なく簡単にできることをYouTubeで知った。


数日後、ちょっと欲が出て、スーパーで大きな渋柿がたくさん入っていたものが500円で売っていたのをゲット!
戸棚に横たわっていた空の大瓶を久々に出した。瓶熱湯消毒した後、さらに焼酎(普通の焼酎がなかったのでモヒートハーブを漬けた焼酎で代用)で消毒。柿は洗うことなく、皮の表面の白っぽいものが大切な柿の酵素だとういうのでサッと拭くのみ。
適当にザクザク切った渋柿を投入していった。みるみるガラスの大瓶がだいだい色に染まって思った以上にギュウギュウになる寸前。
これがうまくいけば、お酢も自家製で済ませられる!なんという至福だろう♡

塩、砂糖、味噌、醤油、そしてお酢は生活になくてはならない調味料。
それが簡単に手作りできるとなれば、なんでも手作り希望の私にとってはやりたいことの一つだった!
出来上がるのが楽しみで仕方がない。


なんでもできるかぎり手作りしてるのは、生活の中に"安 心"が生まれるから。


ドクダミや柚子などを使い化粧水や美容液も手作りで、若い頃よりキメもととのって肌が健やかな気がしている。
化粧していても『化粧してないんでしょ?』とよく人から言われていたし、コロナ後はファンデーションも全部、捨ててしまった。
今の方が肌がキレイとなぜか言われることが多い。(なんで?!)お肌に惜しみなく化粧水をたっぷり与えて冬になれば保湿に気を付けるだけ。シンプルすぎ。
もうそろそろ柚子の買って美容液の原液づくりに精を出そうとも思っている。


やはり、東日本大震災での生活を経て、流通が途絶えると途端にお店の棚は空っぽのになる光景を何度も見てからというもの、案外この世は脆弱な世界なのでは?という疑問が湧き、なるべく手作りできるものを自分で作り、保存し、それをひとつの楽しみとしながら、それが心のよりどころになっている気がする。

あわいよあけな備忘録☆彡

先月の個展の追加文(展示の際、使用していたあいさつ文)を掲載したいと思い、今回、ブログに書かせていただきます♪

・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

2025年・個展『あわいよあけ〜其の弐〜星・水・體(からだ)、みちびくとき』

今回の個展は、2024年中本誠司現代美術館で行った個展『あわいよあけ〜いちばん鳥のなく声〜』
の続編のつもりで制作しました。大きくうねるように反転してゆく世界の動向は夜明け前のいちばん深い闇の中、混沌を極めようとしているかのようです。その黎明の暗闇から夜明けまでのはざまを“あわい”と捉え、その移り変わりの中で感じられるものを自分なりに表現してみたいと思いました。

〜わたしとお水〜

私は毎日、朝、半身浴をしています。
時間がないときでもほんの10分でもぬるま湯につかります。心底、ホッとする安堵感を大切にしながら1日を始めます。
調子の悪い時は数時間お湯に浸かり、調整することも。生活の中でお湯に浸っている時間がなによりも至福です。

そこで自分自身を取り戻し、自分という意識さえも通り越し、無我の意識に没入しながら、毎日、生まれ出てくる私を内包した體があるのではないかと日々、感じています。

半身浴を続けているうちに、以前より水に親しみを覚え、體を調整してもらい、互いの持つ水という成分が呼応しあっているのではないかとすら思うようになりました。


また、お風呂の中で朝の淡い光の中、ふんわりただよう水蒸気の粒子を観察していると微細な点が無数に集まり一つの物質として認知され、そのことを通じてミクロがマクロに通じ、マクロがミクロに通じるという着想を得ました。


水は、液体でもあり、気体でもあり、個体でもある。環境で変容する物質。
體も70%が水分でできていると言われています。しかし、水は単なる物質なのでしょうか?


〜あるワークショップでの体験〜
2022年、一年間を通して行われた身体表現のワークショップ(シアターワーク)に参加しました。
その内容とは、自然豊かな場所でひたすらゆっくり休みながら、瞑想をしたり、自分自身の體と対話したり、グループワークで體を思いっきり動かすというものでした。

その中で自分の體にくまなく手をあて触れてゆくワークを行った際、昔、痛めた傷の場所で自然と手が止まったり、皮膚の下から言葉が聞こえてきたりしました。昔の記憶が今もまだ癒えず、そこにうずくまっているのを感じ、ただただのその記憶と寄り添うことに専念しました。それらの体験によって感じたことは意識と體は密接につながっていて、体内にある水分が体験したことをすべて記憶する装置になっているのではないかと直感した瞬間がありました。


また、『水は宇宙から来ている』という言葉を耳にした時、私はスッと腑に落ちた瞬間がありました。
水が次世代のエネルギーになるのではないかという研究も行われているとか。すべてをつないでいるのは水のような要素なのではないかとも感じるのです。あらゆるのもが相似形だとするならば、この體もこの地球も宇宙もなにか大きく連動しあいながら変化しているのかもしれません。

宇宙的なものを星になぞらえ、この水の惑星・地球(テラ)とそのミクロコスモスとしてのこの體が呼応し合い有機的なハーモニーを奏でているとしたら・・・。

愛と調和とバランスによってもたらされる世界があるとするならば、まずは今ここにいる自分自身が整い、穏やかな世界を創造することを選びたいと私は願いたい。

日々、私が感じていることを顕してゆくことでなにか共有できることが少しでもありましたらさいわいです。

・゜゚・*:.。..。.:*・':.。. .。.:*・゜゚・*

今回の個展の期間中、来場されたお客さまとの会話の中、さまざまなヒントが生まれてきました♪

次回の展覧会もどうぞお樂しみに☆彡

あ わ い よ あ け の 分 岐 点

濃紺の空にキラキラと星がまたたく。
外灯の少ない田んぼ道をずっと空を眺めながら歩いていた時、ふっと冬の匂いがしたように感じました。

個展が終わり、ホッとひと息ついているところです。


2025年11月11日〜11月16日まで、
宮城県仙台市にあります仙台アーティストランプレイス(SARP)スペースBで行われた

 髙 橋  典 子  個 展
『 あ わ い よ あ け / 其 の 弍
   〜 星・水・體 み ち び く と き〜 』

無事、終了しました。
ご来場いただきありがとうございました
☆彡

眠れない夜をこえたら、
闇の中からひかりの子等が 
イメージ通りやってきてくれました。

着想から2年越しに現実化できたインスタレーション。
また、初めてのギャラリーという空間で平面作品とのマッチングも含め、テーマ性を失わずに有機的に関連性を持ちながら表現できるかという不安がありました。

猛暑でなかなか制作を行う気になれず、滞っていた制作も秋口から加速し、旧作2点を含むほぼ新作の個展となりました。


オーストラリアから帰国したばかりのアーティストKANARTちゃんがお手伝いに来てくれたおかげもあり、設営は思いのほかスムーズに終わりました。


("KANART観音"のような雰囲気。カナちゃん、ありがとう♡)


いつもなら数年置いてから展覧会を行うのが常でしたが、1年も置かず、間髪入れずに個展を行うと決め、今年2025年はいろいろなことがささやかれていた年でもあったからこそ開催したい!!と思い、猛烈な猛暑をくぐり抜け、新しい試みを実験的に行い、仙台のアートシーンを語るうえでもっとも歴史があるギャラリーで行えた展示でもありました。




このギャラリーの前身は、"ギャラリー青城"という画廊でした。

(今もその名残が…。こういうのって素敵ですよね♪)

そこから名前を替え仙台アーティストランプレイス(SARP)となり、作家として自立した人たちに限定された空間でした。ちょっと敷居が高く、入る前はちょっと緊張するような場所でもありました。


そこから運営が変わり、今では開かれた空間となり、運営をされている共に作家のご夫妻の雰囲気も手伝い、風通しのよい、心地いい空間になったように感じました。


絵の恩師でもある鯨井先生(TOJU)の個展を何度も観にきていた頃、まさか自分がここで個展をする日がくるとは夢にも思っていませんでした…。




20年の時が過ぎ、さまざまな場所での展示経験を経て、この空間と向き合うということは、私にとっても感慨深く、歩んできた道のりを振り返りながらも前を見据えられたような展覧会でもありました。
この展覧会が分岐点にるのではないかという予感が、今、体感となり実感に変わりました。
とてもありがたく、しあわせな気持ちでいっぱいです。


観にきてくださった方々、
遠方から心を寄せてくださった方々、
そして、SRAP/喫茶フレイムの卓さん、あいさん、星空カフェのさゆりさん、
たいへんお世話になりました。


この場を借りて、深く感謝申しあげます☆彡


のりこ☆彡

星・水・體、みちびくとき

お元気ですか?

ご無沙汰しています。

個展が近づいています。

そう、まもなくです。

 

去年とまったく同じ11.11〜11,16

という会期にまた、行うことにしてみました。

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以前に『"1"という数字に導かれて』というタイトルのブログを書いたこともあり、また、"1"にまつわる物語の続きを描いて(書いて)みたいと思っていました。

昨年、行った個展『あわいよあけ〜いちばん鳥のなく声〜』の続編です。

 

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『水は宇宙からきている』ということばを聞きき、スッとなんの違和感もなく、そうだ!と共感し、直感したことが、今回の最大のインスピレーションでもありました。

 

2023年以降、自然と画面から立ち上がってくることに身をゆだねるように描くようになりました。そして、今回、点描で描いていく中で、自然と浮かび上がってきた星々のきらめき。そして、生き物の気配。

さらに、いつか水を題材にした作品を作りたいという気持ちも高まり、今回の個展で試すことができるのではないかと思っています。

 

さてさて、どんな景色がギャラリー中に、広がるでしょうか…、私も樂しみです。

 

日々刻々と移り変わる星の動きとなにか連動するかのように呼応する世界。

すべてが相似形だとするならば、この體もこの地球もこの宇宙もなにか大きく連動しあいながら、変化してゆく時をむかえているのかもしれません…。

 

淡々と粛々とただただイメージすること、描くことを続けた先に見えてきたものを共有できたらと思っています。

どうぞご高覧ください。

*・゜゚・*:.。..。.:*・''・*:.。. .。.:*・゜゚・*

髙橋 典子 個展

『あわいよあけ〜其の弐〜

星・水・體、みちびくとき〜』

2025年11.11(火)〜11.16(日)

11:00〜19:00(最終日17:00迄)

宮城県仙台市にありますギャラリーSARP(アーティストランプレイス)Space.Bにて開催。

 

 

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