My Horizon

絵を描く日々や私の日常をつれづれなるままに、言葉と写真で紡ぎます。

永遠の光

先月、大きな事が事が起こった。


そのうちの一つが3年間、暖めてきた展覧会の中止だった。

今は亡き同郷の作家の大先輩・オノショウイチさんを囲む展覧会『オノショウイチと仲間たち〜パリから仙台へ〜』

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オノさんは、若くしてパリに旅立ちアトリエ17という版画工房で修行を積んでいた。

同じ頃、山口県出身の画家・師井 公二さんもパリへ向かい、絵画の研鑽を積んでいた。
やがて、同じアトリエ17でオノさんと出会い、苦楽を共にし、お互いの作品を交換し合いながら交流を深めていた。


オノさんは、2007年、帰国後、宮城県仙台市にアトリエを構える。
そして2013年、仙台市にあるメディアテークの個展を計画していたものの天国へと旅立つ。計画されていた大規模な展覧会は流れ、ギャラリーSendai Artist Run Placeでの遺作展となってしまった。



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それから8年の時を経た2021年5月。
念願だったメディアテークでの大掛かりな個展が、有志によって執り行われた。


久々に目の当たりにする作品群。
自然光の利いた白い吹き抜けの空間に色彩がスパークするような閃光を放ちながら広い空間を静かに満たしていた。



奥に進んでゆくほどに旧作へと導くようなレイアウト。

円形や半円形のカタチを用いり、時間や空間の動きを独自の視点で捉えようとした試行錯誤の痕跡も生々しい。理知的で即興性にも富むドローイング群が臨場感を持って目の前で動き出し、その動きが止むことはない。ずっと観ていたいという想いに浸りながら、在りし日のその人の仕事に想いを馳せた。


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私とオノさんとの出会いは、2000年代に入ってから、地元・亘理の鳥の海温泉という施設に飾られていた一枚の版画を観たことから始まった。亘理町出身でパリやニューヨークで活動されている芸術家という説明が添えられていた。小さな田舎町からもこんな仕事をしている人がいるんだぁと思った覚えがあったが、名前までは覚えていなかった。

その後、2013年、オノさんが亡くなった年のオノさんの個展(遺作展)を観た。
その作品を初めて観た時の衝撃は、未だに忘れる事ができない。彼は、私にとっても特別な作家になった。以前、温泉に掛けられていた作品と同一人物の同郷の作家であることが判明し、驚嘆しながらもオノさんの奥さんとの交流も生まれた。


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2016年、私は、初めてパリを訪れ、グループ展を行った。
その際に来場していたパリ在住の画家・師井公二さんと知り合い、その後も交流を重ねていた。

師井さんから日本での展示の案内状が届きそこへ向かおうとした時、なんとなく手にしたオノショウイチさんのリーフレットの中の経歴と年表を見ていた。オノさんと師井さんの世代が近いこと、そして、パリに滞在していた時期が重なるのでは?とふと思い、ダメもとで一冊、このリーフレットを持って出掛けてみた。

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いざ、個展会場へ向かい、初めて師井さんの琳派をテーマにした作品を鑑賞した後、持ってきたリーフレットを見せるとオノさんのことを知っている事が判明。同じ版画工房アトリエ17で共に版画制作に励んでいたというではないか!素敵な偶然に嬉しくなり話が弾んだ。

それから数年後、仙台を訪れた師井さんと何か展覧会ができれがという話になり、”パリと仙台”というテーマで、オノショウイチさんへのトリビュートの意味合いも兼ねた展示を2020年5月に行う予定を立てた。

その後、パリ、東京、宮城と連絡し合いながらフライヤーの制作に入った。オノさんのパリ時代の友人お二人のさりげない想いが詰まったテキストも用意され、師井さんと私もオノさんへの短いテキストを書いた。経歴や写真などのレイアウトが決まり原稿がOKになりいざ印刷へという昨年3月、新型コロナウィルスの影響が広がり始め、展覧会は延期になり、2022年5月へと会期が伸びた。


(延期を決めた頃の心境↓)
noriko-takahashi.hatenablog.com




その後、いろいろと諸事情が重なり、連絡を取り合う中、悩んだ末に中止を決めた。


萎える心を抑えながら方々に手紙やメールを書き、中止の伝達をし終え展覧会に関わることは完了した。
 

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8年越しで開催されたメディアテークでの展覧会。

オノさんの世界観が絵画の光によって解き放たれ、その色彩の周波数は永遠の彼方までこだましているかのようだった。


「オノさんはもうこの世にはいませんが、オノさんの生まれ故郷で絵を描いている私を空の上から見つけてくれたのかもしれません。そして、パリという異国の地で同じ版画工房で共に制作していた師井さんに会わせてくれたのもオノさんだったかもしれません…。」

(『オノショウチイと仲間たち〜パリから仙台へ〜』フライヤーより。text・髙橋 典子)

2021.6.21 江ノ島

夜の海って、怖いよね…

 

昼間の青い透明な海
打ち寄せる白波
真っ青な空

何もかもが青く輝いて
朧げに境界線を別つ水平線

空を流れる雲を目で追いながら
自由や解放感を味わい、
ホッとできる場所なのに…

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夜の帷が降りると、その情景は、一変する。


闇が覆いかぶさるように海を侵食して、淘汰してゆく
満潮になった潮水が黒光りしながら蠢いている。

 

去年の冬至の夜にもこの橋の上にいた。

 

遠く弁財天が祀られている神社がライトアップされる。その江ノ島へと架かる橋の真ん中で、足を止め、目を閉じてその波の音を聴いた。

 

暗く沈んだ闇の中で、足元から響く、
ゴォォォ、ゴォォォと押し寄せてくる波の音に足がすくみ身体が震えた。

 

けれど、この臨場感は、私の心を掴んで離さなかった。


怖いという気持ち・・・、


だけど、本当は大切な気持ちなんじゃないかって。

 

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その中には、あるがまんまの音がする。
むき出しの自然音。

それを全身で浴びるように聴く時、

自分の体内にあるなにかと共鳴し合ってると感じながら。

 

とっても根源的な何か…。
ずっと太古の昔から響き続ける音。
深い深い共鳴…。

 

身体の微細な構造と水の構造は、どこか共通した音や形があると思うから。

ゾクゾクしながらも、どこかで通層低音みたいに流れている太古の響きがあるような気がする。

 

そして今日は、夏至

また、一人、ここに来てしまった。

深い夜の海へ、
この橋へ。

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そして、念願の竜宮城のような島泊。

 

沖縄に行った時みたいに海鳴りはしないけど、
弁財天のお膝下で眠りにつけるなんて夢のよう。

龍たちに見守られながら…、

伝説の島の静かな夜。

 

一人なんだけど、全然一人じゃない感じ

導かれ旅❷〜久高島〜

斎場御嶽を出て、港へと続く道を30分ほど歩いた。

久高島へ渡る前に少し遅い昼食をと思い、やっとたどり着いた港付近の小さな食事処へ。



『大和から?』と地元のおじさんに声をかけられた。


YAMATO


旅の友と目を見合わせ「??」と思いつつも、内地のことを”大和”と呼ぶということにすぐに合点し、”はい!”と返事を返した。日焼けした琉球のおじさんのくったくない笑顔と距離の無さにほっこりしてしまい、そのおじさんと同じ琉球名の雑炊を頼んでみた。少し離れた席に座っていたのに、そのおじさんはその雑炊の食べ方まで教えてくれた。雑炊を啜っていると、1人のお婆さんが入ってきておじさんたちと会話し始めた。小柄だが彫りの深いくっきりとした顔立ちのおばあさんは久高島の住人だった。真っ赤なハイビスカスのような大きなフリルの付いた化繊のブラウスが印象的だった。その人が「何か食料買っていった方がいいよ」と声を掛けてくれた。


見渡す限り、小さな商店もコンビニも無い。

船着乗り場に小さな売店でパンが売っていた。大きなパンを2つ買い込んで、素泊りの宿の2日分の朝食にあてる事にした。大きなパンなのに230円という破格値!九州のスーパーも食品が安くてびっくりしたことがあったが、沖縄でも!


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そして、フェリーに揺られて辿り着いた久高島。

そこは、"神の島"と言われている。


気がつけば、私は、いつも島を旅している。

島には独特の空気感がそれぞれにあるが、”神の島”と評される島ということでちょっと緊張していたが、そんな不安も潮風に吹かれたらゆるゆると解けていった。


大きな波がその島を越えていったという逸話が残っているほど細長くまるで龍の細長い身体のような小さな島。山もなく平らな平野に現在は200名ほどしか住んでいない。

ブロック塀も含め、新旧の石垣が並ぶ、平家がほとんどだ。家の前には魔除の小さなシーサーが阿吽の姿で対になり鎮座している。

開けた人の住むエリアはほんの少し。聖域も多いからか、一部に密集している。




宿を探している間に少し道に迷って、浜沿いの道の方へ歩いてしまっていた。

道は舗装してあるものの、すぐに緑が深くなり、”あっ、ここからは聖域だ!”と勘が働き,引き返えすことに。



民宿は、民家の四畳半を間借りする感じの素泊まり。
飾り気のないありのまんまの日常生活の空気感漂う共有スペースに、親戚の家にでも来たような気分。



島に数件ある食堂から民宿の主人のおすすめのとくじんという店に向かった。

やはり、ここはとりあえずビールということで、オリオンビールで乾杯。

二ガナ定食という聞き慣れない名前の定食を頼んだ。

『御膳本草』と呼ばれる薬草・二ガナ。緑の葉を千切りにしたものを生の魚とザックリと和えたごくシンプな和物。

海藻を揚げた天ぷらとおひたしと味噌汁と白米。シンプルでローカロリーなのに体に良さそう。

二ガナは名前そのまま、良薬のように結構、苦かったが、癖になる味だった。

いつもは一人旅のことが多い私にとって、この場をわかち合うことができる友がいることも、とっても思い出深いものとなった。

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夜になり、畳敷きの民宿で横になっていると開けっぱなしの網戸越しに夜風の音と共にゴォ〜、ゴォ〜という音が聴こえてきた。

なんだろう?

目を瞑って、じっと耳を澄ませていたら、ハッ!と全身で感じるように気がついた。


それは海鳴りだった。


2、3件家を隔て浜へと続く道には、野生のフクギというちょっとゴムの木に似た防風林が密生している。そこを越えれば、すぐに白い浜辺へと続く。
なんて自然と一体となった暮らしなんだろうと思いながらも、とても懐かしく感じた。

そして、海鳴りの揺り籠に揺られながら、その音にいだかれながらいつの間にか眠ってしまった…。

導かれ旅❶〜ニライカナイ〜

本を読んでいると一つの言葉が引っかかり、気になり始め、いつの間にか頭の中、定着している。

やがてその言葉が、絵の構想の大事なキーワードになったり、文章のテーマになってみたり。そして、旅に出るきっかけになる事さえある。



ニライカナイ


偶然、知った言葉がずっと頭から離れなかった。

海の彼方にある全ての生命を創造する神界。

あの世とこの世を繋ぐ場所。

人間の魂が還ってゆく場所。

そして、その水平線の彼方から、良いことも悪いこともやってくると…。



2年前に一人旅した奄美大島加計呂麻島でその場所を尋ねてみたけれど、もっと南の方にあると聞いただけだった。




今年の2月が終わる頃、なんとなく気になった人に連絡をして、食事に誘ってみた。いろんなことを話しながら、なんとなく沖縄の話が話題に。その後、メールのやり取りをしていたら、また沖縄の話題になり、沖縄行きがポンポンポンと進んで行った。



そして、ニライカナイを目指して旅に出た。

横浜の展覧会へ『Sanctuary〜聖域〜』というタイトルの作品を飾り付けてから、成田空港から沖縄へ飛んだ。まさに聖域が点在する南の島へ。


私にとって初めての沖縄。


沖縄で友達と落ち合い、宿泊先にチェックイン。
西に傾いた日差しの中、限られた時間で首里城を見て回った。



人気のない首里城の石垣の壮麗さに感嘆が漏れる。


流線形を帯びたなだらかな城壁。その城壁の角の波頭のように反る先端の不思議なフォルム。本土にある男性的で堅牢な作りとはまったく異なり、門構えなどは中国からの影響を強く感じさせる作りになっており、琉球石灰岩という珊瑚で作られた城壁に囲まれている。敷地内全体が女性的な感じがして、まるで母体の中にでもいるような安心感を感じさせる場所も多く、祈りや儀式を執り行うための城といった感じ。そこはまるで竜宮城さながらの雰囲気だった。


当時の民族衣装を着たスタッフの人たちに出会うと、まるでタイムスリップしてしまったかのような錯覚を覚えた。


本殿は、去年の火災で無くなり、そこには城の土台の部分が土と共に剥き出しになっていて、消失しながらも崩れた建物の細かい部分を丁寧に集め積み重ねた山が何個もできていた。本殿の両サイドに立っていた龍の形をした門柱が離れの仮設の施設に横たわって並んでおり、ガラス越しに映る龍の大きな横顔に高貴な威厳を感じ、その門柱の迫力を想像する事ができた。しかし、この像はもう使えないということで、また、新しい龍門を作ることになったとか。なんとも痛ましいと思いながらも再建する方向を見据えながら前に歩みを進めている姿に、沖縄の人々の強さを感じた。時間が掛かったとしてもまた、朱塗りの本殿が復活することを心から祈りたい。




翌日、こちらも世界遺産である斎場御嶽(せーふぁーうたき)へ。


ここは沖縄本島の目的地。


斎場御嶽は、琉球開びゃく伝説にも現れる琉球王国最高の聖地として世界遺産にも登録されている。
琉球王国聞得大君の聖地巡拝の行事を今に伝える「東御廻り(あがりうまーい)」の参拝地として、現在でも多くの人々に崇拝されている。連綿と続く祈りの聖域だ。

※東御廻り(あがりうまーい)
琉球創世神アマミキヨが渡来し、住みついたと伝えられている知念・玉城を東四間切(あがりゆまぎり)or東方(あがりかた)といったことから、知念・玉城の拝所巡礼と称したという。)




沖縄には御嶽(うたき)と言われる聖域がたくさんある。

御嶽とは、小さな森のような、茂みのような場所。
けれど、とても神聖な空気を孕んだ場所。
御神体は、樹木や岩石などの自然物が多い。
自然と言っても人と自然との関わり合いの中で、儀式などをするのに適した場所が選ばれ、古代から神事を行なってきた聖域となっているようだ。



小高い山の斜面を登ると石碑があり斎場御嶽の文字。


小さな施設で入場料を支払った後、説明を受けてから、入山。
急勾配の幅の狭い道を登って行く。


しばらくすると鬱蒼とした森から、明るく開けた空間が広がった。自然石が一段高い舞台のようになっていて、そこで神事が行われている。
そこは、大庫理(ウフグーイ)と呼ばれる拝所。大広間や一番座という意味を持っており、一段高くなった石畳は祈りの場(ウナー)となっていた。

平気で石畳の上にあがり写真を撮っている人たちもいたが、私は、何か得体の知れない雰囲気が漲っている場所のようで、畏れ多くてそこには近づけなかった。右側の天然石の壁に穴のようなものがあり、そこら付近から得体の知れないとても強烈な霊気のような圧を感じていたからだ。それが一体なんなのか、全くわからないまま、考え込みながら、次へ進んだ。



しっとりと濡れた雨上がりの道。足元がちょっと滑りやすく注意しながら先へ進む。
濡れた木々の葉が生々しいほどに黒々と輝き、ザワザワと風に揺らめきながら艶かしい南国の情緒のようなものが辺り一面を包み込んでいた。


空気中、漂うフィトンチットを吸い込みながら、二番目のチェックポイントである寄満(ユインチ)に着いた。
ここも大庫理と同じく一段高い石畳があり、石がくり抜かれたような神殿の上部には龍の顔のような細長い石が天井からぐっと下降して突き出ていた。

そこを眺めていると何やらそこにおばあさんと息子さんらしき人が荷物を持ってやって来た。おもむろにその石畳の上段に上がり、捧げ物を準備をし始めた。私たちも黙って少し離れた場所からその様子を伺っていると、そのおばあさんは上着だけ白い着物のようなものを羽織り椅子に腰掛け、お祈りを始めた。私も帽子を脱いで、お祈りの時間を共に黙ってそこで過ごそうとしたが、記録魔としての気持ちがうずき、手帳を取り出しスケッチし始めた。写真に撮る事がどうしても憚られる空間が多く、スケッチする事で身体を通してその場を吸収したいという欲求が高まり、気持ちの動きを止められなかった。10分も満たない祈りの儀式だったが、ほんの少しだけリアルな祈りの場に立ち会えた事は有り難いことだった。


そして、自然石の割れ目がちょうど二等辺三角形のような暗がりを生み出し、そこから光が差し込んでくる三庫理(サングーイ)に到着。ここが斎場御嶽のシンボルのような場所。右側に岩上がチョウノハナと言われる拝所、そして左側からは海の向こうに”神の島”久高島が見える。


現在は、二等辺三角形の穴から先へは行けなくなっていた。

以前、NHKブラタモリで沖縄の特集の回でこの先の風景を見ていただけに、そこを通過できないことがちょっと残念な気がしたが・・・。



しかしながら、二等辺三角形の奥から差し込む光がやけに神々しく、奥へ通り抜けできないことがかえって、その場の神秘性を高めているような気がした。

その場で偶然、居合わせたスタッフのおじさんとしばらく歓談。

昔々、この辺一帯は、海の中にあり、ゆっくりと時間を掛けて、隆起し、今現在の沖縄の形になったという。
そのことを表すかのように三葉虫の化石が天井部分の部分に同化していたりしていて、海だった時の名残を今も伝えている。



参道は、鬱蒼とした緑の中を抜ける狭い産道のように、神秘的な子宮を宿した御嶽へと導かれるようにできていた。

そして、そこはアマミキヨの伝説と繋がる神聖な場所。


ニライカナイという理想郷から生まれたアマミキヨの伝説が残る久高島へと向かうための壮大なイントロダクション。


それにしても、御嶽って、一体なんなんだ???




※参考文献・斎場御嶽沖縄県 南城市

2020.アーカイブ❸ / 太陽・富士山・龍

9月、鎌倉で一人過ごした時、滞在していた近所に龍口寺という神社があった。

散歩がてら軽装のままぶらりと出かけ参拝。
そこからなんとなく、ふらっと片瀬海岸線へ足が向い、さらにぶ〜らぶら。
5頭の龍伝説が残るとされる江ノ島へ足は自然と向かった。

正面の弁財天を祀る神社に参拝後、ぐるっと一回りして辿り着いた場所があった。

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江ノ島・岩屋。

そこには長く伸びる洞穴があり、いくつかの穴があった。
その中の一つが富士山と繋がっているという逸話もあるらしく、とても興味が湧いた。

昔なら、電気も何もない洞窟を蝋燭を灯しながら参拝したそうだが、今は、電気で照らされた洞窟内を見て回る感じ。普段は昔ながらの蝋燭の貸し出しもあったが、このご時世で貸し出しはされていなかった。
電気で照らされていてもやはり薄ぼんやりしていて、ちょっと怖い感じもした。

思った以上に長い洞窟の中には、小さな仏像がいく体も並び、その像のどれもが丸く小さくなったものばかりで、時間の経過を推測できた。身をかがめ通り抜ける場所もあり、湿度の高い水の滴る洞窟内の小さな探検は続き、その奥にある小さな祠にもお参りすることができた。

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岩屋の近くから土日のみ運行している船が出ていた。
せっかくなので並んでそれに乗って帰ることにした。

小さなモーターボートから見える景色は、ちょっと江戸時代にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えた。陸地から架かる橋は現代的なコンクリート製だし、船のスピードも江戸時代とは全く違うけれど、この変わらぬ景色と江ノ島詣に来る人々の姿がふっと西日を浴び夕暮れの海上に放たれたオレンジ色の中、時空を超えた情緒性のようなものとダイレクトに繋がるような感覚を覚えた。いつの世も続いている詣参りは、日本人にとっての最大のリフレッシュ方法なのかもしれない。


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10月に入り、一本の電話がかかってきた。
鎌倉在住のアーティストのKANARTさんからだった。


江ノ島の近くのギャラリーで一緒に展示をしませんか?”


11月末の個展が迫っている中でのお誘いだけに、一瞬、躊躇したものの、数ヶ月前に行った富士山と水の氣を感じながら制作したあの江ノ島の気配を楽しみながら表現してみることも、いろんなことがあった今年の締めくくりとしていいのかもしれないと思い、楽しむことだけ考えてやってみようかとKANARTさんと意気投合。


正直、場所に呼ばれる感覚もあった。
その場との縁に身を任せてみようとそんな気持ちで。
江ノ島の特有のエネルギーにまた、触れながらコラボしてみるのも面白いかもと思いながら、感覚や閃きに任せてやってみようとしていた。


神奈川県藤沢市のギャラリーTでのKANARTさんとの2人展『○△□展〜太陽・富士山・龍〜』

このタイトルは、KANARTさんの提案だった。自分の個展を優先させたかったので、この2人展のほとんどのコンセプトはKANARTさんにお任せしておいた。どこか感じるところが共通していたので、展覧会には不思議と不安がなかった。


11/29までの宮城でも個展を終えて、2日後に向かった神奈川県藤沢市
GO TO TRAVELを利用して半額の新幹線チケットを取り、作品と共に乗り込んだ車内はガラガラだった。


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かわいい白い箱のような展覧会会場のギャラリーT。
お隣の玉屋の羊羹屋さんで経営している人気のギャラリー。

江ノ島へと通じる片瀬海岸へ向かうすばな通りには江ノ島の弁財天道標もあり、近くにある龍口寺から続く龍神の通り道とされていたという言い伝えもあるとか。

制作時にいつも着ている白衣とつなぎの格好のまま、5日間のライブペインティング。
会期中、偶然、通り掛かった書家の方から近くの神社の湧水をもらい受け、その水で絵具を溶くことに。
グルグルとした渦だけで絵を描くことに挑戦して、黙々と描き続けた。

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KANARTさんによるキーボード演奏やお友達のクリスタルボールやクオーツフォーンによるパフォーマンスもあり、賑やかなひと時も味わうことができた。


ギャラリーに入ってきて話しかけてくれたミュージシャン、江ノ島観光がてら、ふらっと入ってきてくれた人達、ギャラリーの中には入らず会場の前、棒立ちで私が描いているのをじっ〜〜と見つめていた小さな女の子、いつもの常連さんや知人・友人と脚立の上からお話ししたり、閃きに任せてのインスタライブやオンライン配信を行ってみたり、初めて尽くしの展覧会だった。


思っていたこと以上のことをすることはできなかった面もあったけれど、水の気配漂う磁場を感じながらの展覧会は、私なりに2020年を終えるためにもこの展覧会は必要だった。

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展示を終えて、やはりお礼参りをしたいと思い、再び、一人、富士山へと向かった。


9月に行った時とは違い、12月に入り、雪帽子をかぶった富士山の5合目までのバスは、土日しか運行していなくて、行った日が平日であったため、泣く泣く諦めることに。

けれど、富士浅間神社へのお参りはどうしてもしたかった。
9月に行った時に、11月の自分の個展をやり遂げられまうようにと願をかけていた。
まさかもう一度、年内中にここへ来れるなんて、以前参拝した時は、想像もしなかったことだけに、また、この山門をくぐれるのことは、本当に有り難いことだった。

山門を潜り、本殿で今年も無事に終えられたことに心から手を合わせた。

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身から力が急に抜け落ちてしまいそうなくらいの安堵感。
もう何も言い残すことがないくらい、やり切った感が半端なかった。
見える存在も見えない存在もその両側からものすごいサポートや見守られ感もありながらの今年後半の二つの展覧会もやっと無事、終えることができたんだという実感と余韻で胸が一杯になった。



帰路の高速バスの出発地点の河口湖駅から見える雄大な富士山の眺めに心で手を合わせつつも名残惜しさが募った…。


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富士山は、見る者の心を試すのか・・・。


見たいと思っていると姿を見せてはくれず、その気持ちが消えるとふっと顔を出してくれたりして、ちょっと心の動きを見透かされているように感じる時が幾度もあった。
それは富士山を見ている時だけではなく、自然の中にある一つの法則のように常に人の心を試しているものなのかもしれない。超自然的な何かなのかも。

そんな中に自分も生きていて、試され、気付かされ、学ばされているんだと思いながら、帰路の車窓をぼんやり見つめていた。
  

長い長い2020年。
全身全霊で通じて味わい尽くし、燃え尽きた。

2020.アーカイブ❷/ 私と富士山

翌朝、もう一つの目的地である忍野八海へ。

バスを降り、小さな案内所へ。

地名通り8つの池があるので、窓口のおじさんにどう回ったら良いのかを質問してみた。係りのおじさんは、説明書きの案内を手渡しながら、真剣な表情で丁寧に説明をしてくれた。


富士山へ登る事は、今でも高山病のリスクがあったり、けして安全ではないけれど、大昔は、もっと命懸けの行為だった。そのためかこの忍野八海で禊をしてから、登頂するという習わしがあったとか。


ここは観光地らしい商業エリアもあり、ある一部では、入場料を払わなければならない所もある。
一つのエリアに池が集中しているため、そこへ行ったからといっても忍野八海に行ったことにはならないらしい。"ちゃんとした回り方がある。そこを回ってみますか?"と聞かれ二つ返事で、正式な周り順序を教わった。そして、案内の書かれた紙に黒マジックで無造作に数字を書き入れてくれた。


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スタートは、案内所からだいぶ離れた出口池という場所だった。

道の片側に民家が続いていて明るかったが、もしそこも鬱蒼とした林だったら、一人でくるには少々、気遅れしたかもしれにない。ちょっと暗くやはり厳かな印象があり、ちょっと怖くもあった。とても古い赤い鳥居をくぐって、素朴な佇まいの出口稲荷神社へ参拝。何か得体の知れないものが、ここから放出されて行くようなイメージを感じた。忍野八海の中で一番大きな池である。流れる水のせせらぎの透明感、たなびく水草の揺めきにしばし瞑想に耽るには絶好の場所だった。幸わい、あまり人が来なかった。


次に回ったのが、小さなお釜池。
その水面には幾層にも異なった色彩の青が重なり合い、瑠璃色のさざめきが湧水の小さなこだまをフツフツと響かせながらもその底には小さな魚たちが泳ぎ回っていた。”地球は水でできているんだ!”と改めて思わせるその小さな池の小宇宙に、地球の皮膜をなぞるような感触で目を凝らしながら観察していた。



小川を渡り、池が集中するエリアへ。

昔、洗濯物をここで洗っていたら、消えてなくなった?!という逸話がある底抜池(そこなし池)、縁結びの銚子池、水中洞窟の中から豊かな水が湧き、鯉たちがゆるゆると泳ぐ湧池、小川に続く濁池、水面にくっきりと富士山を映し出す小さな鏡池、そして、菖蒲池でフィニッシュ。

池と対になるように一本の大きな樹木が必ず池の周りに立っていて、池の水に手を浸しつつ、樹木の木肌にも触れながら歩いた。

その間、富士山は、雲に隠れ、顔を覗かせたり、引っ込めてみたり、見る者の気持ちを焦らせながらも雄大な姿でどっしりとそこにあった。忍野村の昔ながらの水車のある古民家を背景にThis is JAPANの風光明美な風景画のようなパノラマそのものだった。

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近くに建っている忍野八海浅間神社へお参りし、最後のチェックポイントの北口本宮・富士浅間神社を目指すことに。


富士山を祀る浅間神社は、全国には1,300社ほどのあるとされ、その多くは富士山麓周辺に集中しているらしい。その中でも歴史の古い富士浅間神社がバスのルート上にあったので、そこへ立ち寄ることにした。

燻した銀色の鳥居の中央に富士山の文字が掲げられた門を潜る。

大変、立派な大木の杉木立と石灯籠が両サイドに並ぶ参道を会釈をして入る。厳かな雰囲気と長い歴史を感じさせるその佇まいは参拝者を敬虔な気持ちへと誘う。


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本殿に入る手前に建つ富士山大鳥居の見事さに圧倒される。
高さ15m以上にもおよぶ木造の鳥居は日本最大級とされているそうだ。


手を洗う、手水舎を取り囲む朱色の建造物の上部には、東西南北の全方向におびただしい白龍の彫像が施され、”龍い過ぎ!”と思うほど、白龍たちがカァッと目を開き、口を開いてた。


朱色の重厚な本殿は新しく改装されてはいたが、やはり厳か。
その中には、金色の階段があり、その上には狩野派日本画のように金色をふんだんにあしらった背景に松などが描かれている観音開きの扉があり、その中には、木花開耶姫命・彦火瓊瓊杵尊大山祇神が祀られているという。

この神社には貴重な木花咲耶姫を描いた絵像も納められているとか。(木花咲耶姫を見ると私は、舞踏家の小山朱鷺子さんを思い浮かべてしまう。)




さらに奥に進むと富士登山吉田口の登山門と名付けれれた鳥居と様々な古い石碑が並ぶ。
富士山という山の御神体に入るべく、並ぶ古い石碑の数々に、そこをどれだけの人たちが通って行ったのだろうかと思わずにはいられなかった。


そして、私が一番、惹かれたのが、登山道に続く道を少し歩いた場所にある大塚丘と言われる祠。小さな丘の上にある小さな祠は、一眼で、かなり古いものだと判るような色味の無い素朴な佇まい。木立の中、自然と共にそこにあり、懐かしくなるようなほっこりするような気持ちになった。
古事記にも登場する日本武尊がこの大塚丘を訪れ、富士山を遥拝したことに端を発し、この場所から浅間神社が建つきっかけになった場所でもあるとか。現在では、その大塚社に日本武尊が祀られているそうだ。

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離れがたい大塚丘を後に神社前のバス停へ向かう。

バスの着く時間を頭の中に入れておいたので少し早く行って待つことに。

しかし、河口湖駅へ向かうバスが待てど暮らせど来ない。上下一車線の狭い道路は夕方の時間帯とも重なりかなりの渋滞だった。


18時出発の高速バスを逃せば後がない。


ヤキモキしながら30分ほど遅れて来たバスに飛び乗ったが、なんとなく違和感を感じた。行けども行けども、なかなか駅に近づかない。富士山へ向かってどんどん近づいていくはずなのに、どんどん遠ざかって行く。


あれ??と思いつつ様子を見ていたが痺れをきらし、運転手さんに尋ねると河口湖駅には行かないと言われ、目の前が真っ白になった。


目的地とは逆方向のバスに乗車してしまったのだ。 


しかし、その運転手さんが『乗せた以上、私にも責任がありますから』と一言。幸いそのバスが私が乗る高速バスと同じ系列のバス会社だったため、運転手さんが機転を利かせ、無線で連絡を取り、帰りの高速バスに乗れるよう取り計らってくれた。高速バスの停まる次のバス停から乗れることになった。

そのバス停へ向かう道すがら、さっきまでずっと雲に隠れて顔を出そうとはしなかった富士山が、そのバスに乗っている間中、西陽を浴びながらずっと寄り添うようについて来てくれた。”大丈夫だよ”と微笑みながら声をかけてもらっているように感じた。

運転手さんが「お土産を買う時間もお手洗いに行く時間もあるから安心して乗っていてくださいね。」と話しかけてくれたのも嬉しかった。

暖かい夕暮れ色の大きな富士山を車窓越しに眺めながら、”守られて生きているんだなぁ”と心底、実感した。ちょっとしたハプニングだったことが好転して、心の中、有り難い気持ちで一杯になった。

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そして、無事、帰りの高速バスの席に座り、夜の帳が降りてくる中、薄ぼんやりと浮かぶ富士山の輪郭を眺めながら、深く、深く安堵した。

2020.アーカイブ❶/ 私と富士山

20代の始めの頃だろうか大阪までの新幹線に乗っていた時のこと。

周囲の乗客たちが少しざわついた。
『あれ、今、見えたわよ!』
『えっ?本当だ!』

その声たちが向かっている窓越しに目をやると、小さく白い頂が見える。
生まれて初めて肉眼で見る富士山。

正直なところ、私はちょっと怖いと思った。
遥か遠くに有るのに、
ここからは小さくしか見えないのに、
やけに神々しく感じた。


当時の私は、周りの人たちがなぜ富士山と騒ぐのか、あまり理解できなかった。
確かに日本一高い山ではあるけれど、みんなが騒ぎすぎると思い、そんな情景をどこか斜めから見てたのだと思う。

でも、確かに他の山とは違う存在感だという認識はできた。

なんだか近寄りがたいから、私は、この小ささで見つめるだけで十分だと思い、その近くへは恐れ多くて、近づこうなどとは全く思わなかった。




それから数十年が過ぎ、3年前に友達のところへ遊びに行った時、高速バスが神奈川県の海老名市へ向かう途中、窓越しに、突然、にゅうっと白い角ばった頂が目に飛び込んできた。スッと消えては、また、顔を出し、また消えてを繰り返し、カメラを構えた瞬間、もうそれは二度と姿を現してはくれなかった。それは、何十年振りかの富士山との遭遇だった。

意外と近くに見えて、
やっぱり神々しくて、ちょっと萎縮してしまう自分がいた。
やっぱ、怖い・・・。


そして、一昨年くらいから、読む本、読む本に富士山が出てくるようになった。
けれど、ヘェ〜、そうなんだぁと読みながら思うくらいにやり過ごしていた。

今年の9月に、鎌倉へ滞在した時に、友達からあるYouTubeの動画が送られてきた。
富士山に関する、いわゆる”都市伝説”系の動画だった。

世界地図を合わせると日本地図になるとか、
世界の雛形は、日本にあるとか、
日本で起こった事は、その後、世界でも起こる事だとか、
よくある都市伝説でもあるが、読んでいると検証してみても面白そうだと思うようになっていた。



今年、大きな節目を迎えて、一つの区切りとして、自分の禊として、富士山へ行くのも良いかもしれないとなんとなく思い始めていた。そして、新たな出発をしようと考え始めていた。



このご時世であっても、五合目までは行けるバスが走っていることを確認して、早朝の江ノ電に乗って、富士山へ向かうことに。

河口湖駅行きの高速バスは、富士急ハイランドへ行く若者たちでほとんど満員に近い状態だった。


遠く遥かに富士山が見え始め、思わずシャッターをきった。
今から、あそこへ行くのか、ちょっと信じられないと思いながら、バスは目的地の河口湖駅へ着々と進んでいった。


近づく富士山。

そのあまりの迫力に位負けしながらも、バスを降り、すぐさま五合目行きのバスに乗り換えることに。河口湖駅から望むその姿も、雄大なものだった。


ゆっくりとなだらかな曲線を辿りつつ、自分が今、神々しくて近付けなかった富士山の裾野からその御神体へと入っていっているのだと思うと言葉にならず、”えぇ〜〜!”とか”はぁ〜〜!”という感嘆の声を漏らさずいられなかった。その声は幸い、バスのエンジン音によってかき消されていった。

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五合目にバスが到着して、まずは向かったのが富士山大社・小御嶽神社へご挨拶。
御朱印帳というものをここから始めてみようと思い、買い求め、小さな縁起を担ぐことにした。



お昼も過ぎて入ったレストランはガラガラ。
富士山が見える席に座って、山梨県ソウルフードホウトウを頼んだ。
山梨に親戚がいるのでホウトウも好物の一つだったので、すぐさま平らげる。
食べ終わってボ〜〜と富士山を眺めていると龍雲のようなものがいくつも流れ去って行った。




溶岩が砕けた黒く、時々、赤い石の混じるゴロゴロとした道を歩く。
平坦な道なのに、足元が悪い、なんて歩きづらい道なんだ!この山を登るなんて、相当、キツイだろうにと頂を仰いだ。


それでも足を留める場所がいくつもあった。


私が一番惹かれたのが、巨大なアザミだった。
ジャンボサイズの超・ワイルド系とでも言いたいほどのインパクト。強烈なピンクの花もさることながら、トゲのたくさんついた葉の形の美しさとその成り立ちに目を奪われてしまった。思わずスケッチ。座って描いていると珍しい鳥の鳴き声がしたり、風が吹いたり、人が後ろを通ったりしたが、気にせず描いた。
富士山を管理している関係者のおじさんが見回りをしていたのか『おぉ、珍しいスケッチですかぁ』と声を掛けてきた。『このアザミは、”富士アザミ”と言って、天皇陛下が名付けた名前なんですよ。』と説明してくれた。

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寒くなってきたので、立ち上がり、歩いているとショートパンツにランニング姿の男性を見かけ、ちょっとドン引きしたが、その男性が近づいて来て、写真を撮ってくれと言ってきた。
『寒くないんですか?』と思わず開口一番にその言葉が出てしまった。
『毎年、この時期ここを走っているんだよ!』と満面の笑みで答えが返ってきた。
お互いに西湖や河口湖が見える場所で同じポーズを決めての撮影会になった。
そして、彼は、笑顔を浮かべ、また、走りながら道の先へと消えていった。
世の中には、いろんな人がいるもんだ。

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