My Horizon

絵を描く日々や私の日常をつれづれなるままに、言葉と写真で紡ぎます。

たぷたぷゆられて、のんびり、ぼっ〜〜

 

初めての場所へ行く時、

いつもその土地への入り方をイメージしてしまう。

 

屋久島の時は、絶対、船で!というイメージがどうしてもあって、実際に高速船のトッピーに乗って島へ向かった時、イメージしていた場面と重なって、さらにそこを超えて行くような幻想的風景が目の前に迫ってきて、ちょっと震えるような気持ちになった…。

 

船の旅。

時間を要するが、

乗船料金は、格安。

 

のんびり、ゆったり、ぼ〜〜っとするには

最適の乗り物だ。

 

北海道の苫小牧には、何度かフェリーで行ったけれど、南の方の名古屋へ行く機会はなかなかなかった。

いつか南下して行く時に、時間が許せばフェリーで行ってみたいというイメージが頭の隅っこにいつもあった。

 

あるワークショップを受けるために名古屋方面まで行くことになり、今回の旅もLCCか船が迷って、船を選択してみた。

 

陸地を離れ、飛び交うかもめが白波のたつ波間を飛び交い、餌を与える乗客の指先に集う様子を傍に眺めながら、仙台港が遠のくのを見つめていた。

 

ただ視界に広がる大海の青と空の青。

その境界線がぼんやりと漂うようにそこにあった。

 

 

ジャージに着替えて、即、フェリーの大浴場へ。

誰もいないお風呂を一人占領?したかのような気持ちで、のんびり浸かっていた。

 

大浴場にも窓があり、そこから遠い水平線が見える。これもフェリーに乗る楽しみの一つだ。

 

船と海との隔たりがあるものの、自分の身体を取り囲むお湯の質感と窓の外の海の水の質感とが共に揺れ動くのを見ていたら不思議な感覚になっていった。そして、なんとなく言葉たちがそこから浮上してきた。

 

〜〜〜

 

どんぶらこっこ どんぶらこ

お船にゆられて 入ったお風呂

だ〜れも入っていない ひろ〜い大浴場

湯船に浸かって、窓を見れば

波たゆたう 水平線が広がっている

 

お船のお湯、たぷたぷと

右へ左へ ちゃぷちゃぷ

 

赤子のように 羊水につかってるみたい

私の皮膚もちゃぷちゃぷ

はねる波 ゆれる波 湯船の波

 

船に隔てられた境界線

しかし、私の中では不思議な感覚と感触が

水という質感をもって外からも内からも

ちゃぷちゃぷと 

ただ、たぷたぷと おしよせる………

 

〜〜〜〜

 

ゆるんで、ゆるんで、

ねむって、ねむって、

20時間の船旅。

 

船のエンジン音もいつのまにか遠く消え失せ

夢の中。

 

どんぶらこっこと進んでいたら、いつのまにか見慣れない地形と空気が漂う"東海"という地方へとリアルに着岸しようとしていた。 

 

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生きながらの生まれ変わり

昔やってたことが、鮮度も新たに甦ってくることがあります。

 

今朝、SNSでふと見かけた文字

"輪廻転生"。

 

学校の画一的な考えや雰囲気が嫌いで

学校も辞めて、引きこもっていた頃、

TVを見ている時に

社会の問題の形の裏側には、なにかその形を構成しているなにかがあるのではないだろうかという感覚を覚えた。

その謎を解くため、とりあえず本屋に通い始めた。

 

本屋の奥のコーナーに"精神世界"というエリアを見つけて、"これなんじゃない?"かと手応えを感じたと16歳の私。

 

友達もいない世界で、一人、

本と音楽と映画が友達だった。

貪るようにそれらのものを読み、聴き、観ていた。

 

そして、それらのものに触発されるように

見よう見まねでいろんなことをやり始めた。

 

好物のチョコレートの包んでいる銀紙をたくさん使ってコラージュし始めたり、絵も描き始めた。

詩のような歌詞のようなものは小学生頃からやっていたから、詩集や音楽の歌詞を読んで、自分の中でもっと言葉を掘り下げていった。

ニコンポのダブルデッキでオーバーダビングして、インストゥルメンタルの曲に歌詞をつけて、マイクを繋いで、歌うとか、日々、いろいろ実験を繰り返していた。

 

 

やがて、バンドブームが来て、楽器屋さんに通いメン募(メンバー募集)のコーナーに目を通すようになっていった。

そこで知り合った人からドラムマシーンを借りたり、シンセや4トラックのミキサーを買い求め打ち込みによる音楽作りも始めた。

 

そして、自分の感じていることをどう表現するかを現実的に形作る時に私の考えのベースに自分が"こらかもしれない"と思った世界のことを歌詞や曲に置き換えっていった。

 

そんな中、生まれてきたのが

この歌詞でもあった。

 

〜〜〜〜

 

〜Reincarnation〜

 

あなたとわたしは巡り合ってたのかもしれない

とてもとてもとてもとても遠い昔に

地球の起源の記憶の向こうで

文明のない愛を交わしてたのかも

 

あなたとわたしは語り合ってたのかもしれない

空の青、花の色、光る星や

自分がどこから来てどこへ行くのか

夜も眠らずに思いを巡らせていたのかも

 

あなたとわたしは戦っていたのかもしれない

あらゆるものを争いあって

相手の中に醜い自分を見つけて勝ち負けのない深い傷を負っていたのかも

 

 

何度も続く転生に

誰もがなにかを探してる…

 

〜〜〜〜

 

 

 

20歳頃に書いた歌詞。

この曲や歌詞が人前にでることはなかったけれど。

 

"輪廻転生"などと口にしても、理解されないんじゃないかという恐れもあった。

 

引っ込み思案で、表現を望んでいながら、表現することを極度に恐れていた自分がいた。

病的ともいえるほどだった。

 

人が怖くて外にも出られない状態の時もあり、かなり辛い時期が続いた。

 

今の状態から見れば、うそでしょ?と言われるかもしれないけれど、実際そうだった。

 

 

自分というものは、玉ねぎの薄皮を剥ぐように、少しずつ、少しずつ、経験を通じてゆっくりと段階を進むように本質のようなものへと近づいてゆくことなのかもしれない。

 

 

今年は"表現イヤー"だという話を耳にした。

 

私の中の表現って?とまた、新たに自分に問いかける時期になってきているように思う。

 

なにを感じてる?

なにがやってみたい?

なにが好きだった?

どう生きたい?

 

いろんな質問が生まれてくる。

その中から、新しい芽も出てくるのかもしれない。

 

 

そして、

まだまだ皮剥きが必要かもね…、自分!

 

 

断捨離〜揺れた後で思うこと

断捨離、続行中。
そう、それはなかなか終わらないもの。

清掃センターへも6回目。


不用品の搬入は、降ろしてしまうと呆気なく終わるのだが、車一杯に荷物を運んで行くまでが大変な労力。
ちょっと億劫な作業で、「よしっ!!」と思った時に行かないと永遠に行けないくらいタイミングを逃していしまいそうになる。

地震前から続いている作業だったけれど、地震でハッキリと手放すものが見えてきて、今まで躊躇していたものにも切り込んでいくように細かくリサイクルできるように分別する過程に移った。


その中でも観音開きの押し入れの奥に眠っていた七段飾りの雛人形にはなかなか触れられずにいた。

祖父母の思い、
両親の思い、
思いが相当に重い。


何年も飾っておらず、
実際、嫁にも行かず
気ままな一人を満喫(笑)

なんとなく雛人形の備品を触っていると感じた事があった。
これは、実際、母にとって大切なものだったのではないだろうかとふと思った。


母の願いを叶えてあげられなかったことへの負い目がだいぶ私の中でくすぶっていた。
母の期待に応えてあげられなかった事は、時として私の罪悪感になったりもして・・・。

母が亡くなってから、自分から雛人形を飾ろうとは一度も思わなかった。
雛人形を見るとなんとなく私の中で罪悪感を感じてしまうような気がして、
押入れの奥に押し込んで、そこには触れないようにしてきたのかもしれない。


開かずの間。
それは心の中にもある。


そこに触れていく作業が物理的にも始まったといってもいい。
かなり捨ててはいるつもりだけれど、まだ、終わっていない。
そこには触れたくない過去があるのかもしれないけれど、いつか対峙しなければいけない場所でもある。

だけどね、いろいろあるけど、私はこれでも幸せだと思っている。
一つ一つ手放して行く事が、私自身を生きることにも確実に繋がっていると思うから、だから、ありがとうと言って、手放してゆこうと思う。
家にあるものみんな背負って歩いては行けないからね。
記憶の中にあれば充分だよね。
自分の今後の幸せに続いている道程のような気もする。

だから許してね
じいちゃん、
ばぁちゃん、
お父さん、
お母さん、
いろんなものを与えてくれて”ありがとう”と伝えながら。


しっかり感謝とお別れを告げて、空間を整えて行く作業が、今の家に対して私なりにできる事だと思う。


地震があって、壊れたところもたくさんあるけど、
すっごく疲れ果てて、お先真っ暗で、あまりにも続く余震に、辛くて、もうイヤ!!と叫びたくもなったけれど。


もう一方で、少し落ち着いた夜に、
こんな気持ちも湧いてきた。


私ってある意味、幸せなんじゃないのか?って。

激しく物理的に揺さぶられて、
動く地面の振動を全身でめいいっぱい感じて、
より明確に物事がクリアに見えるようになって、
ハッと目が覚めるような自分をリアルに感じていた。

それは、よりクリアに自分の人生を選択して行くために起こっていることでもあるんじゃないかとも…。
この地震は、とっても怖かったけれど、自然からの”激し目のメッセージ"でもあるんじゃないかとすら思った。

地震が起こった事で、いろいろとやらなければならなくなったことも増えたけれど、
時間をかけてやってゆけば、きっと現状は良くなると思う。

ゆっくり、
無理せず、
マイペースに、
コツコツと・・・。



人生は、何をするにもいつもコツコツが基本だね。

・゜゚・*:.。..。.:*・' .。.:*・゜゚・*

断捨離中によく聴く藤井 風くんの曲。

特にこの曲を聴いていると何度も込み上げてきちゃう…。

この世を去る人と
この世に残る人の気持ちが
交差する曲。

『帰ろう』
藤井 風
https://youtu.be/goU1Ei8I8uk

手放して、身軽になれ!

やっと少し落ち着いてきた。

3.16深夜の地震

1度目、飛び起きて、様子を見て、トイレへ。
2度目、トイレを出た瞬間、うずくまった。

震える身体、
家の心配…。

落ち着いて2階に上がったら、廊下が完全に作品で塞がっていて通れない。寝床のドアが開けられない状態だった。アトリエは、開いていたけれど電気が付かなかなくなっていた…。

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翌朝、朝日に照らされたアトリエで、言葉を失くした…。

天井の電気は吹き飛び根本からぶっちぎれ破損…。

メディチも割れていた…。

寝床も大きな作品や木材で通ることが出来なくなっていた。

この地震は、私にとって完全にこんなことを告げていた。

"余計な物は処分し、身軽になっておきなさい!"

 

 

体調が悪くて、2020年から、2階の片付けがほとんど手付かずだったから、意を決して、倉庫のような寝床の作品を広い部屋へ一旦移し始めている。

まぁ、出てくるは、出てくるは…。
なんなん?って思うほどの木材と紙の山と木枠、額、キャンバス布…‼︎
ここは、私にとっての宝の山だったけれど…、もう違う。ほとんどが不用品なんだ。

地震前までは、取捨選択もぜんぜん働かなかったのに、地震の後は、何が必要で不用なのかが、すぐにわかるようになった!

今回の地震で、物が凶器に変わることを再認識した…。

正直、身の危険を感じた。

 

 

そして、片付けの合間に久々にコーヒーを淹れて飲んだ。
そしたら、はらはらと涙が流れて止まらなくなってしまった…。

『怖かったぁ…』

とやっと感じることができた。
本当にひとりって、大変なんだなぁっで心底思った。ひとりでは生きてゆけないものだとも思った…。

そんな気持ちをしっかりと受け止めて、感じた。

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今年は本気で自分の環境を選び、整えていく年になると思う。

めくるめく変化だけれど、性根を据えて、動物みたいに勘を働かせながら、行動したり、移動したりしていくことになると思う。

思考より、感覚。
損得など捨て、回り道しても必要な方向へ進もうと思う。

いつも地震は、目を覚まさせてくれる。

意味があって起こっていること。
人も地球も有機的に繋がりあっていての結果だから。

受け止めながら、味わう。

そして、執着も捨てて、コツコツ物とお別れしてゆこう❗️

身軽になって、風に乗ろう🍃

さっ!断捨離、断捨離❗️❗️

カミングアウトのような休止符

お元気ですか?

ご無沙汰しています。

 

今日はお伝えしたい事があり久々にブログ更新です。

 

*・゜゚・*:.。..。.:*・*:.。. .。.:*・゜゚・*

2004年から始めてきた個展活動。

一年おきにやってきた初めの10年間。

 

2012年を機に、個展、グループ展、公募展、公開制作、海外遠征等・・等々、

縁あってさまざまなな場所や地域で行わせていただきました。

このブログを始めた2016年は特に恵まれた一年でもありました。

怒涛のようにパリ、アルメニア、仙台とグループ展や個展、新聞の連載などをこなしながら、駆け抜けた記憶をひたすらこのブログに綴ってきたことも懐かしく思い出されます。

しかしながら、2017年頃からかなぁ…、

少しづつ、なにか根本に立ち返ってインプットしてみた方がいいんじゃないかとと感じ始めたのは…。

それでもお声がけしていただいた展覧会は、積極的に参加してきました。

そして、父親の終末期と個展準備とアルバイトに追われた2年間。

2020年の年末まで、ダ〜〜ッと走り抜けた感じでもありました。

 

美術でも様々な世界があって、いろんな場所や美術に関わる人たちとの出会いがありました。

この10年を振り返ってみても本当にいろんなことがあって、一言では言い表せないほど悲喜交々の出来事がありました…。

 

2021年や今年初めにも表立った活動があって、普段はご縁の無いような場所で開催された展覧会にも参加できる機会をいただくことができました。

 

出会いにも恵まれて、さまざまな方々から支えられて活動できたように思います。

今、振り返っても有り難いという気持ちで一杯です。

 

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去年、右手を痛めひどい腱鞘炎になってしまいました。

 

肝心要の右手。

 

なにをするにも利き手だけに、いろいろと苦労しました。

ペンが持てない

車の運転

鍵を回す時にもかなり痛んだり

包丁も使えず、キッチンバサミや切らずに何とかするとか、工夫しながら何とか日常生活を営んできました。

 

だいぶ良くなってきたのですが、絵筆を握るにはまだまだ時間が必要に思います。

 

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去年、ブログでも書きましたが、展覧会が一つ中止になり、もう一つの展覧会も延期になりました。

 

そして、去年は私にとって芸術の恩人のような人が、立て続けにこの世を去りました…。あまりに突然過ぎて、言葉も出ないほど衝撃を受けました。

 

 

2002年から絵を本格的に学び始め、2004年から個展活動を開始。

2011年の震災後から、絵の教室から自立して活動を始めたことも私の中で大きなことでした。

 

自分の展覧会以外は、絵の師でもある先生には、ほとんど会うこともなく、すべて自分の責任で決めてきた10年間でもありました。

 

思い返せば、引きこもりの10代で独学で始めた絵を描く行為。

もともと人に習うことに抵抗があった20代。

しかし、少し手解きを受けないと乗り越えられない壁があるように思えて、ある方のアトリエを訪れたことをきっかけに、出入りを始めた絵の教室。

30代でのめり込んでいった美術の世界。

そして、美術三昧の日々の40代を過ごしました。

 

美術の世界でも公募展など、競い合うような展覧会もありますが、なるべくそういう場は避け、自由な展覧会を選んで参加してきました。

そして、いわゆる固定した団体と呼ばれるグループ的なものにも参加しないできたのも、そういったものに疑問を感じていたからでもありました。

 

私は、小さな頃から、競争が苦手でした。

そして、群れることも苦手。

できればそう言ったのもをあえて避けて、”もっと自分なりに独創的に生きることはできないものか?”といつも試行錯誤してきたように思います。

 

しかし、どこまで行ってもピラミッド型の世界が目の前にあり、避けて通っていたつもりでも、気がつけば、この10年、そういった世界に絡め取られていた部分もあったのだと思います。少なからず影響を受けていたのだと。

 

心の中で”立ち止まってみたら?”という声を聴いていながら、活動を続けることから降りられなくなっていた自分がいました。

 

そんな気持ちに気付き、感じ始めた振り払えない心の虚しさ…。枯渇している自分…。

 

右手が利かなくなって、考える時間ができた時、さまざまな気持ちが浮上してきました。

ただ突き進むことに意味を見出せなくなったと感じている自分に気がつきました。

 

いつの間にか”作家や画家”と呼ばれるようになって、

いつの間にかその”肩書き”という衣を背負っている自分を感じていました。

それは、次第に湿度を含み余計な欲をはらんで、重たくなってゆくのを感じていました。そして、こうではなくてはならないと自分自身をその型にはめるようにいつの間にかなっていったように思うのです。

 

 

去年、芸術に関わる恩人が亡くなって、その生き方を振り返った時、その後ろ姿が何度も思い起こされました。

 

その人達と自分は、まったく違った人間だけれど、なにか受け継いできている要素があるように思います。

そんな中で浮かんできた言葉、

謙虚さ

誠実さ

正直さ

 

 

なんの肩書きもなく、なにものかになろうとしないと思った時、そのまんま存在している自分でも、それだけでも十分だと思う気持ちに立ち返ってみることが、やっとできたのかもしれない。

フラットな地平に辿り着いたという見かたもできるかもしれません。

 

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しばらくの間、絵の活動をお休みしたいと思います。

今年7月に予定していた個展も中止にすることにしました。

 

 

タイミングが合って、自分が心からやってみたいと思う時が来たら、自然とその中で動き出す時が来るまで、待ってみようと思っています。

 

それが小休止になるのか、長いお休みになるのかはまったくわかりませんが・・・。

自分のフィーリングを大事にしながら、ゆっくりのんびりマイペースに過ごしてゆきたいと思っています。

 

このような心境に行き着いた私ですが、

今後もよろしくお願い致します。

 

 

 

今の私に寄り添ってくれるような大切な曲。

Tokyo blue weeps

『Ascending Light』

https://youtu.be/LPlhnqXLiS4

 

 

 

永遠の光

先月、大きな事が事が起こった。


そのうちの一つが3年間、暖めてきた展覧会の中止だった。

今は亡き同郷の作家の大先輩・オノショウイチさんを囲む展覧会『オノショウイチと仲間たち〜パリから仙台へ〜』

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オノさんは、若くしてパリに旅立ちアトリエ17という版画工房で修行を積んでいた。

同じ頃、山口県出身の画家・師井 公二さんもパリへ向かい、絵画の研鑽を積んでいた。
やがて、同じアトリエ17でオノさんと出会い、苦楽を共にし、お互いの作品を交換し合いながら交流を深めていた。


オノさんは、2007年、帰国後、宮城県仙台市にアトリエを構える。
そして2013年、仙台市にあるメディアテークの個展を計画していたものの天国へと旅立つ。計画されていた大規模な展覧会は流れ、ギャラリーSendai Artist Run Placeでの遺作展となってしまった。



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それから8年の時を経た2021年5月。
念願だったメディアテークでの大掛かりな個展が、有志によって執り行われた。


久々に目の当たりにする作品群。
自然光の利いた白い吹き抜けの空間に色彩がスパークするような閃光を放ちながら広い空間を静かに満たしていた。



奥に進んでゆくほどに旧作へと導くようなレイアウト。

円形や半円形のカタチを用いり、時間や空間の動きを独自の視点で捉えようとした試行錯誤の痕跡も生々しい。理知的で即興性にも富むドローイング群が臨場感を持って目の前で動き出し、その動きが止むことはない。ずっと観ていたいという想いに浸りながら、在りし日のその人の仕事に想いを馳せた。


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私とオノさんとの出会いは、2000年代に入ってから、地元・亘理の鳥の海温泉という施設に飾られていた一枚の版画を観たことから始まった。亘理町出身でパリやニューヨークで活動されている芸術家という説明が添えられていた。小さな田舎町からもこんな仕事をしている人がいるんだぁと思った覚えがあったが、名前までは覚えていなかった。

その後、2013年、オノさんが亡くなった年のオノさんの個展(遺作展)を観た。
その作品を初めて観た時の衝撃は、未だに忘れる事ができない。彼は、私にとっても特別な作家になった。以前、温泉に掛けられていた作品と同一人物の同郷の作家であることが判明し、驚嘆しながらもオノさんの奥さんとの交流も生まれた。


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2016年、私は、初めてパリを訪れ、グループ展を行った。
その際に来場していたパリ在住の画家・師井公二さんと知り合い、その後も交流を重ねていた。

師井さんから日本での展示の案内状が届きそこへ向かおうとした時、なんとなく手にしたオノショウイチさんのリーフレットの中の経歴と年表を見ていた。オノさんと師井さんの世代が近いこと、そして、パリに滞在していた時期が重なるのでは?とふと思い、ダメもとで一冊、このリーフレットを持って出掛けてみた。

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いざ、個展会場へ向かい、初めて師井さんの琳派をテーマにした作品を鑑賞した後、持ってきたリーフレットを見せるとオノさんのことを知っている事が判明。同じ版画工房アトリエ17で共に版画制作に励んでいたというではないか!素敵な偶然に嬉しくなり話が弾んだ。

それから数年後、仙台を訪れた師井さんと何か展覧会ができれがという話になり、”パリと仙台”というテーマで、オノショウイチさんへのトリビュートの意味合いも兼ねた展示を2020年5月に行う予定を立てた。

その後、パリ、東京、宮城と連絡し合いながらフライヤーの制作に入った。オノさんのパリ時代の友人お二人のさりげない想いが詰まったテキストも用意され、師井さんと私もオノさんへの短いテキストを書いた。経歴や写真などのレイアウトが決まり原稿がOKになりいざ印刷へという昨年3月、新型コロナウィルスの影響が広がり始め、展覧会は延期になり、2022年5月へと会期が伸びた。


(延期を決めた頃の心境↓)
noriko-takahashi.hatenablog.com




その後、いろいろと諸事情が重なり、連絡を取り合う中、悩んだ末に中止を決めた。


萎える心を抑えながら方々に手紙やメールを書き、中止の伝達をし終え展覧会に関わることは完了した。
 

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8年越しで開催されたメディアテークでの展覧会。

オノさんの世界観が絵画の光によって解き放たれ、その色彩の周波数は永遠の彼方までこだましているかのようだった。


「オノさんはもうこの世にはいませんが、オノさんの生まれ故郷で絵を描いている私を空の上から見つけてくれたのかもしれません。そして、パリという異国の地で同じ版画工房で共に制作していた師井さんに会わせてくれたのもオノさんだったかもしれません…。」

(『オノショウチイと仲間たち〜パリから仙台へ〜』フライヤーより。text・髙橋 典子)

2021.6.21 江ノ島

夜の海って、怖いよね…

 

昼間の青い透明な海
打ち寄せる白波
真っ青な空

何もかもが青く輝いて
朧げに境界線を別つ水平線

空を流れる雲を目で追いながら
自由や解放感を味わい、
ホッとできる場所なのに…

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夜の帷が降りると、その情景は、一変する。


闇が覆いかぶさるように海を侵食して、淘汰してゆく
満潮になった潮水が黒光りしながら蠢いている。

 

去年の冬至の夜にもこの橋の上にいた。

 

遠く弁財天が祀られている神社がライトアップされる。その江ノ島へと架かる橋の真ん中で、足を止め、目を閉じてその波の音を聴いた。

 

暗く沈んだ闇の中で、足元から響く、
ゴォォォ、ゴォォォと押し寄せてくる波の音に足がすくみ身体が震えた。

 

けれど、この臨場感は、私の心を掴んで離さなかった。


怖いという気持ち・・・、


だけど、本当は大切な気持ちなんじゃないかって。

 

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その中には、あるがまんまの音がする。
むき出しの自然音。

それを全身で浴びるように聴く時、

自分の体内にあるなにかと共鳴し合ってると感じながら。

 

とっても根源的な何か…。
ずっと太古の昔から響き続ける音。
深い深い共鳴…。

 

身体の微細な構造と水の構造は、どこか共通した音や形があると思うから。

ゾクゾクしながらも、どこかで通層低音みたいに流れている太古の響きがあるような気がする。

 

そして今日は、夏至

また、一人、ここに来てしまった。

深い夜の海へ、
この橋へ。

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そして、念願の竜宮城のような島泊。

 

沖縄に行った時みたいに海鳴りはしないけど、
弁財天のお膝下で眠りにつけるなんて夢のよう。

龍たちに見守られながら…、

伝説の島の静かな夜。

 

一人なんだけど、全然一人じゃない感じ