My Horizon

絵を描く日々や私の日常をつれづれなるままに、言葉と写真で紡ぎます。

大地の記憶と彫刻

地形をなぞるように海岸線を走る電車。

車窓から見えるのは、時折、雨粒が窓ガラスを叩きつける、ちょっとうら寂しい潮風の吹く北海道の海。
なだらかな田園を抜け、いくつかの牧場を通り、次第に線路は、登り坂となり、電車の車体がずっしりとした重低音を響かせながら、馬力を上げ、山道を登ってゆく。



北海道は小さい頃から縁がある土地。

親戚がいたり、姉妹校があって交流するため修学旅行でも訪れた地でもある。

小学生の頃、親戚の家に行った時、阿寒湖でアイヌの人が経営しているお土産屋さんに入り、アイヌの民族衣装を着て母親と写真を撮ったことがあった。

気がつけば、家の至る所にアイヌの木彫りのレリーフや木彫、そして定番の熊の置物がいくつもあり、今も家のあちらこちらに飾ってある。さりげなくアイヌの文化が家の中、定着していた。


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北海道白老郡白老町にある”民族共生象徴空間・ウポポイ”。

ウポポイとは、"おおぜいでうたう"という意味でもある今年7月にオープンした国営の施設の名称。

海外からのアイヌ文化への関心が高まり、その影響もあり、その保護と継承を行うための施設でもある。


ポルト湖を囲む広い敷地内に飲食店が何軒かあり、博物館や公園、工房、伝統的コタン(チセという家屋)、交流館など様々な施設が点在している。




予約していた博物館へ。

アイヌの人々の手工芸やその暮らし振りを振り返る数々の品々は、展示空間もゆったりと取られ、多面的な切り口で貴重な展示物をじっくり鑑賞することができる。

縄文から続くような人々の生活の営みについても想いを馳せた。

鍬を持ち耕す、糸を紡ぎ、縫う編む、狩りや稲作をして加工する、家を建てる。そのどれもが人の根本的な在り方の基本のように思え、また、こういう時代に人は立ち返っていくのではないだろうかという予感を展示を見ながら感じた。



その展示の中で、人の動きが留まり、ちょっと密になりつつも狭いスペースに人々が時間をかけ、熱心に観ているブースがあった。

そこは、博物館の中の展示においても先住民族として暮らしてきたアイヌ民族の歴史を辿る場所だった。

内地から和人が北の地に渡ってきたことで様々な軋轢の変遷を辿ったアイヌの人々。

葛藤と侵略と戦いと迫害。

虐げられた歴史を解説している場でもあった。

あくまで私の印象でしかないが、アイヌ民族が辿ってきた歴史を伝える重要なブースであるにも関わらず、あまりにもスペースが少なく、資料も最小限に押さえ込まれている印象が残った。

彼らが生きた歴史を紐解く重要なブースを参考文献などと共にもっと拡張して展示して欲しいと深く願わずにはいられないほど強い思いが込み上げてきた。


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ポルト湖の波ひとつない水面の静けさと真新しい施設のまだ馴染んでいない雰囲気がどうも落ち着かなくて、博物館を出てからずっと湖畔に座っていた。

湖畔に座っていた方が、古来からのアイヌの人々が神聖な土地として生活の場を構えていた雰囲気を味わえる気がした。

水面は何も語らないけれど、その静けさの奥に自然への畏敬の念と、その湖面の懐に抱かれ、慎ましい暮らしを営んでいたアイヌの人々の沈黙の気配というものが感じられるようだった。

”民族共生象徴空間”と称されることへの違和感。
どこか国(和人)の形式的な”象徴”のイメージを見る側にも押し付けられているような気もした。

新しい施設が建って、人の往来も多くなって、ある意味、活性化しているかのように見える場所なのに、なぜか聖域を侵しているという印象が拭い去れなかったのは何故なのだろうか。








北海道には街の中にも自然の中にも彫刻をよく見かける。


広大な土地に映える造形物。
そんな印象を持つ。


そこにある彫刻は、厳しい自然環境の中、土地を開墾し、そこに自らの暮らしを築き上げてきた人々の強い意志とその意志を引き継ぐ末裔の人々の生きる姿勢のようなものとも深く関与しているのではないだろうか。
風土性と表現の密接な繋がりの中で、意識化され、物質化された精神の表れのようなものでもあると感慨深く想いを巡らせていた。



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彫刻家・藤沢レオさんの個展会場でもある洞爺芸術館へ向かった。


SNSで彼が撮った作品と窓ガラス越しに浮かび上がる洞爺湖の中心にある中島の姿がとても印象に残った。

観てみたいと思った。


実際にその場を訪れてみると長細いピンク色のキャンバスに紫色のハッチングの線により輪郭づけられた中島が描かれていた。

さらに天井から規則的に長く垂れ下がるようなピンク色の糸が、普段は意識されることのない重力を想起させるようなインスタレーションとして、そこにあった。

艶々の床がまるで湖面のように光がたゆたい、窓の外の風景とそこにある作品との関係性が一つの景色のようにすっぽりとその空間を彩り、形作られていた。

不思議な空気感が漂っていた。

その日は、厚い雲で覆われたあいにくの雨模様だったが、窓越しに浮かんでは消え、消えては浮かび上がる中島に目を凝らし見つめながら、静かな時間を過ごすした。


同じ美術館の常設展で彫刻家・砂澤ビッキさんの展示が行われていた。彼のアトリエも再現されていて、ノコギリやのみなど彫刻する道具の数々が並べられ、在りし日の彫刻家の気配を感じさせる。

木にこだわり、その大木を使った壮大なスケール感の彫刻群に囲まれ、木の持つ優美さと無垢な感性にしばしの間、浸水するように浸った。



美術館の敷地内に雨の中、ゴロッと転がっているミズナラの原木があった。

砂澤ビッキさんの所有していた原木だ。

湿度を含みながら、その切り株の平坦な断面は、緑色に色を変え、ギザギザした内部は朽ちるように赤く赤く内部が染まっていた。それは剥き出しの野生のように見え、官能的な色彩に湖畔に吹く雨風も忘れて、まじまじと眺め愛でてしまった。

 



洞爺湖の湖畔にはいくつもの彫刻が設置されていて、そこを巡る楽しみもある。

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そこで出会ったのが彫刻家・安田 侃の作品『意 心 帰』という作品だった。


素材は大理石を使用しているのに、まるで白い雪の塊が溶け、ある瞬間からそのままの姿を留めたようなその有機的な佇まいは、包み込むような柔和な造形美というものを観る側に印象として与えるかのようだった。しかしながらも、しっかりと大地に根を張ったような毅然とした意志というものを内包していた。

安田さんは、ヨーロッパなどでも精力的に展示をしており、イタリア・フィレンツェルネッサンスの美の殿堂の近くにあるシニョーリア広場にもこの彫刻を展示している。その写真では、ダビデ像の傍にその彫刻は置かれ、さりげなくそこにあり、ローマ時代から続く石畳の上でも怯むことなくそこに鎮座していた。
不思議と街と溶け合い、地元の子供たちもそこによじ登り遊ぶ風景も和やかなものとして自然と馴染んでいるようだった。



北海道の雄大さは、そこに住む人の精神性にも自ずと響き続けているのだろう。

湖面を渡る風の中、語りかけるように今もこだましている。


〜〜〜〜〜〜〜〜

《美術手帳、掲載のウポポイについて》
https://bijutsutecho.com/magazine/insight/22558

灼熱と果実

8月に入った途端、この灼熱の太陽。


7月の長雨のどんよりとした曇り空に、熟したオレンジをテニスラケットで空めがけ思いっきり打ち込んで、天高く舞い上がったオレンジが、頭上で思いっきり弾け、そのフレッシュな果実の色彩がほとばしるように空一面に広がった。


そんな感じで、始まったピーカンの8月1日。

ちょっと遅れた真夏の始まりだった。





6月に壊れたパソコン。

今の生活になくてはならない必需品。

さて、次はどのパソコンを買おうか?とインターネットで探し見比べ、”初めての○○"みたいな本まで買って、悩みに悩んだ。



最新のVAIOMacの二者択一。


ちょっと高くても自分の心が本当に望むものを買おう!!
といざ、ヨドバシカメラへ向かった。


そして長年の夢だったアダムとイブがかじった誘惑の果実のマークの最新モデルを思い切って購入した。


いつも兄のお古のパソコンを譲り受けるのが通例だったし、ずっとウィンドウズでやってきたのに、操作の違うものに今更、慣れなきゃいけなという多少の不便さもあるにはあるけれど、iPhoneと連携させるにも便利かと思い買ってしまった。

指紋認証の後、開けてすぐ、壁紙のデビッド・ボウイが招き入れてくれる未知なる誘惑の世界とはどんなものだろう。





そんな中、手元のiPhoneがスパムされた。

妙なパソコンのウィルスが撒き散らされていると知ってはいたけれど、まさか自分に来るとは思ってもみなかった。

フェイスブックのアイコン自体、スマホから消していたのに…。


フェイスブック系列のメッセンジャーというメール機能のアプリに見覚えのないメールが届き、そこから自動的に相手先にYouTubeの動画が送られたようだ。

送られてしまった人、ごめんなさい・・・
m(_ _)m


いろんな人たちからの大丈夫?!というメッセージが届いて、スパムされたことに気が付いた。

よりによって、お盆の一番忙しいこのタイミングめがけ来なくても・・・と疲れがドッと出てきたが、数時間掛けて、お詫びメッセージと返信に追われ日が暮れた。


なんで?が拭い去れなかった….。

でも、久々に遠く離れた国の友からも連絡がきて、電話で話したりもできたから、まぁ、それはそれで良いこともあった。


果実、目がけて飛び回る厄介な害虫みたいなコンピューターウィルス。
誘惑の中の落とし穴を作っては、面白がる輩がいるみたいだね。





果実ではないけど、野菜に割り箸で足を作って、牛や馬を模して、先祖をお迎えした。
それが思った以上に可愛らしくて仕方なくなって、お役目が済んでからも台所に飾って眺めた。

茄子のヘタが顔に見えてきて、日に日に乾燥していくその姿に刻まれてゆく、しわのような筋がなんとも言えない味わいを醸し出している。



制作も灼熱の二階でしている。
本当の灼熱。

油絵の具の匂いが充満した狭い部屋にずっと居るとめまいがしてくるが、それもまた楽し。
ラクラした中で描くのも絵の醍醐味。

白衣も手も油でドロドロ。

灼熱の油地獄のようなアトリエには誰も入れないでしょうし、自分以外の人は入れません。

鶴の恩返しを決め込んで、扉を閉めてたままで。



しかしながら、最近では、同時進行で和紙の作品も制作していて、とうとう台所でも制作が始まってしまった。とにかくスペースが足りない…。


そこで制作していたら、他のものにも描きたくなったきてしまって、溢れ出るがままに、深夜、スマホケース用と手帳を塗りたくってしまう始末。衝動に継ぐ衝動、押さえきれません・・・。
それは、生きる欲求そのもの。



芸術の果実をかじった者は、最後までその果実の虜になり、生涯、その実を頬張り続けてしまうのでしょう。


ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•

プリンスばりの歌声が鼓膜をズキュンと打ち抜いた。
ほとばしる才能。
黒い貴公子

moses sumney

https://youtu.be/6TigzqZgc28

Dear.My Birthday

誰しもこの世に生まれた日がある。

 

天体の微細な動きも影響し合い、ここぞ!という時に、生まれ落ちる生命の産声が毎分毎秒どこかでこだましている。

 

壮大な宇宙の神秘。

巡り合わせの縁。

 

 

My Birthday

この言葉に懐かしさを覚える人もいるかもしれない。昔、愛読していた占いの雑誌の名称。

 

今もあるのかなぁ?!

マドモアゼル・愛先生の占い、本当によく読んでお世話になっていた。

 

日毎、その日の運気が二行ほどのメッセージになって掲載されていた。石橋を叩いて渡る中学生の私に取っての必読書だった。

 

本当にうまくいかない日には、やっぱりそうだったかぁ…❕と余計、グスンとブルーになり、より濃いブルーの絵具を塗り重ねて一人シクシクしていたっけ。

 

水のように日々、たぷんたぷんと揺れ動く心の情動を抱えきれなくて、いちいち一喜一憂していた頃、共に泣き笑いして寄り添ってくれたような雑誌でもあった。

 

 

 

 

コロナ渦で、一人で過ごす事が以前より多くなった。もともと一人好きだから、あまり苦には感じないけれど、特段、悲しい事があったときは、まだ、別な話。

 

誰かに打ち明けて、楽になる時もあるけど、やっぱり自分と向き合わなきゃなんない。

 

夜の手触りがこんなにも真空でガラんとして感じるのは、初めてのこと。

深く自分と向き合う時間を与えてもらっているのかとも思う…

 

目を閉じて、その感情の意識の中に浸水する。感情の奥の奥まで感じてあげようと自分に寄り添い、深い深い意識の深海まで潜り込む。

私だけの聖域、誰にも触れられない場所がある。

 

 

 

生きていることは想像以上に壮大で、人が決められる事は、案外、限られているのではないかと感じる。

 

人それぞれに考え方があっていいと思う。

 

たおやかにゆるやかに物事を解釈して味わう時、出来事は、一気に消化できなくても、じっくり煮詰めたような色になり、滋養となって全身に沁み渡る。そのことを味わい堪能することが人生の醍醐味でもあると思う。

 

ネガティブもポジティブもコインの裏表一体。

その人を深く進化させるために起こる出来事。

 

そこから先は、その人次第。

自由意思によって物事は、より変化してゆくのだろう。

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10年ごとに訪れる変化。

子年は、始まりの合図。

 

良いことも悪いことも、どこまで謙虚でいられるか…。

 

でも、確かに言えることは、

今の自分が一番好きだということ。

これって大事。

 

 

セーフティネットのような周りの人達に感謝しながらも、一人で居てもこんなにも豊かで自由で、こんなにも幸せなんです、アタシ…!

 

 

Dear.My Birthdbay

これからもよろしくね。

 

 

自分の中の男性性が自分の中の女性性に対して唄うラブソングみたいにいつも思うmy favorit tune.

 

真夏の空の下で、ガンガンに掛け、車で走りたくなる。

 

OLIGNAL LOVE

『朝日のあたる道』

https://youtu.be/kh78G2ypDiE

貴男ちゃん、若い!

 

 

good bye 40's

self meeting月間を決め込んで、自分の中、深く深く潜り込んでいた7月。

 

足の痛みと共に蘇ってきた記憶と向き合って、サヨナラした出来事。

身体が分かって欲しいって、いろんな所をトントン叩いて、認めて欲しかったんだね。

悔しさも寂しさも….。

 

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そんな長雨の時期を通り抜けて、カレンダーをめくった日。

 

 

雲がたなびき、

空は高く、蒼く、

スコーンと抜けるように明るい。

 

やっぱり8月、好きだな。

毎年、8月になると自然と気持ちも上を向く。

 

それは、自分が8月生まれだからかなぁ?

 

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40代最後の月。

何も変わらないけど、でも、心構えがちょっと変わってきている。

 

 

あれから、10年….。

いろんなことがあった。

 

2011年東日本大震災での被災と共に、約10年ほど通った造形美術教室の閉鎖からの、独立。

 

その後、8回の個展、海外遠征や関東圏や関西圏の展覧会の数々。

 

ブログの開始とエッセイやコラムの連載。

 

遅ればせながらの初・海外。

憧れのヨーロッパ。

美術の聖地・巡礼。

ローマ時代からの石畳を闊歩した記憶。

 

国内でも、

墨絵の龍に導かれた関西の旅。

縄文時代の木に触れ、突然、天から降ってきた南国特有の甘露のような雫に思わず歓声をあげ、そのまま雨に打たれていた、うっとりするような夜。

ユタの住む南の島へ向かう海上タクシーの中で嗅いだ潮の匂いと紺碧の海の色。

 

いろんな土地の空気に触れて、その体験が自分を形作り、そして、定着し、また再び、形有るものとして作り上げていったその道程。

 

 

トライ&エラーを繰り返して、無我夢中で、走り抜けた10年。

 

傑作も駄作もひっくるめて、全部が私から溢れ出てきたそのまんまの自分自身だったように思う。

 

 

そして、母の死後、父との葛藤の日々と介護。

繰り返された入退院。

絵を描くためのハードなアルバイトと制作。

 

幸運にも恵まれたが、男運にはまったく恵まれなかった…(笑)

足るを知るってやつか…❕と自分に言い聞かせながら、絵筆を握っていた。

 

プラスマイナスは、やはり等分で、同じくらいいろんなことがあった….。

起こることに対応することだけで、精一杯な日々。

 

悲喜交交….。

でも、豊潤で時に、ほろ苦かく、されど楽しかった40代。

 

若さだけでは醸し出せない、コックリとした色艶がでてきたか…な?!

 

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以前なら、人生は、山登りで、ひたすら頂上、目指して、近道を探したり、上へ上へと登る事ばかり考えていたけれど、今では、山脈を旅しているような気がしてきた。

山あり谷あり、平野ありと、そのどれもが味わい深く、愛おしい道のり。

 

足元の植物や虫たちの形や色を眺めながら、土の豊かな匂いを嗅ぐのもいい。

 

今、現在は、大きな谷底に居て、休んでいる感じだけれど、また、歩き出せば道は、どこかに繋がり、先々でいろんな巡り合わせに出会えるだろう。

 

心地よいもの、

居心地の良い場所、

一緒に居て楽な人達と一緒にいたい。

 

ちょっとした違和感や

気持ちのいいと感じることに

いつも敏感でいたい。

 

無理をしない生き方を少しずつ、ゆっくりと自分なりに探してゆけたらいいと思う。

 

年齢の数字は、人生の目盛りだね。

 

good bye 40's✨

wellcome to 50💫

my Independence year.

 

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彼の歌声を聴くととっても落ち着く。

なぜだろう….。

彼の人柄からくるものなのだろうか。

心安らぐ、ジェイムス・テイラー

https://youtu.be/2hB0TjZlIIY

My Little Revolution

9ヶ月振りに髪を切った、バッサリと。

 

髪の量が人より多い私。

結んでも頭と首との間に湿気がこもって、モヤモヤするのをガマンしていた。

でも、思い切って飛び込んだ地元の美容室。

 

 

 

6月は、3ヶ月振りに電車に乗ったり、数人だけだが友達に会いに行ったり、初めてZOOMにもチャレンジしてみた。

 

やっぱり人に会うっていいなぁ…、単純にそう思えた。

当たり前の事が、こんなにも楽しく、有難いとは…。

 

 

仙台の街もだいぶ雰囲気が変わったなぁ。

マスクだらけの人混み。

フェイスシールドをした販売員。

日曜日のデパ地下は、かなりの混み具合。

濃・密な売り場を足早に通り抜けた。

 

 

いろいろと有り過ぎた2020年、前半…。

 

そして、6月は、変化の時期の始まりでもあった。

新聞も辞め、ほぼテレビも見ない。

頼みのメディアのパソコンが壊れ、サポートセンターに電話をしたが、サポート終了している機種とのことで、一つだけ復元方法があると言われたが、それもやっぱりダメで、やむなく諦めることになった。

 

でもまぁ、根っからのラジオ好きなので、ラジオとスマホがとりあえずあれば当分の間は、なんとかやってゆけそうだ。

 

大きなニュースは、人伝に話題になって耳に入ってくるし、必要な情報は、自然と入って来てくれるから大丈夫だと信じているし!

 

情報もただ与えられるものから、

自分で取捨選択する時代だしね!

 

 

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ラジオをつけるとなぜか同じ曲が流れてくる。

最近の新しい曲ならまだしも、

なぜか中学生の頃にとても好きだった曲。

 

 

渡辺美里の「My Revolution

 

今もまだ、この曲の歌詞が心に触れてくる箇所がある。

 

この曲が使われていた金曜日のドラマも学園もので、毎週、楽しみにしていたっけ。

 

学校が嫌で、授業が嫌で、受験のためにツッパッていた子たちがまともになっていくのを見ているのもものすごく嫌悪感を感じて、教科書やテストの余白に絵を書いたり言葉の断片を書いたり、そっちの方が自分にとってとっても大切な予感がして、未来の道標になるんじゃないかと感じていた、いつも不機嫌な中学生。

 

そんなささくれだった気持ちに、爽やかな血清を心に注入してくれるような曲だった。

 

・゜゚・*:.。..。.:*・*:.。. .。.:*・゜゚・*

 

さよなら Sweet Pain 頬づえついていた 夜は昨日で終わるよ


確かめたい 君に逢えた意味を

暗闇の中 目を開いて

 

 

非常階段 急ぐくつ音 眠る世界に 響かせたい

空地のすみに 倒れたバイク 壁の落書き 見上げてるよ

きっと本当の悲しみなんて 自分ひとりで癒すものさ

 

わかり始めた My Revolution

明日を乱すことさ

誰かに伝えたいよMy Tears My Dreams

今すぐ 夢を追いかけるなら たやすく泣いちゃだめさ

君が教えてくれた My Fears My Dreams 走り出せる

 

 

感じて Heart Ache 笑顔が多いほど

独りの夜がつらいね

わけあいたい 教科書のすき間に書いてた言葉 動き出すよ

 

ホームシックの恋人たちは ユーモアだけを信じている

交差点ではかけ出すけれど 手を振る時はキュンとくるね

たったひとりを感じる強さ のがしたくない 街の中で 求めていたい

 

My Revolution 明日を変えることさ

誰かに伝えたいよ My Tears My Dreams 今すぐ 自分だけの生き方 誰にも決められない

君と見つめていたい

My Fears My Dreams 抱きしめたい

 

わかり始めた My Revolution

明日を乱すことさ

誰かに伝えたいよ My Tears My Dreams 今すぐ 夢を追いかけるなら たやすく泣いちゃだめさ 君が教えてくれた My Fears My Dreams 走りだせる

 

 ・゜゚・*:.。..。.:*・*:.。. .。.:*・゜゚・*
 

なんて青い歌詞…、

なんか青春って、感じ。

 

"きっと本当の悲しみなんて 自分ひとりで癒すものさ"ってところが、特に今の自分にドキュンと響いてくるけど。

 

だけど、今の自分が聴いてもなんかキラキラした透明感のあるイントロで、一瞬に当時のキラメキを感じて、ちょっと心が震えてしまう…。

 

音楽って、やっぱり不思議なものだね。

 

 

渡辺 美里『My Revolution

https://youtu.be/5fw5DE1K_68

ザ・ベストテン』初登場の時、生中継で見てたなぁ、あぁ、懐かしや…

 

経験アトラクション

身体という不思議な乗り物に、入って、いざ、生き始める地球という世界。

 

すくすくと育って、

むくむくと大きくなる。

 

そんな身体を通して、出来事の艱難辛苦/喜怒哀楽を味わう、経験アトラクション。

 

 

うねるような気持ちは言葉にできないことがあまりにも多過ぎる…。

そんな気持ちの動きは、例えようもなく、計り知れない。

 

 

 

ベニーランドでスクリューコースター乗らずとも、ディズニーランドに行かずとも日常が立派なアトラクションだもん。

 

淡々と続く平穏無事な日々もあれば、

アクロバティックな対応を試される時もある。地球は、まるでアスレチック!

 

 

そして必要な経験が終焉に向かう頃、その肉体は、痛みを伴いながらも、次なる世界へ向かう準備をし始める。

 

経験という手土産だけを持って向かう次なる世界へ移行するために。

 

 

「次の世界に旅だったとしても、ずっと旅は続くんだから….、魂の旅には、終わりがないよ」

って、ギュッと手を握った5月の記憶。

 

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身体感覚も立派なアトラクション。

 

 

ここ数ヶ月間にたまりにたまった複雑な気持ちが、身体の中、澱んでいて、流れ出ようにも外へ出せない気持ちをどこがで堰き止めていたのか…、ふと緊張が途切れたとたん、溜め込んだたくさんの記憶が痛みとなって身体で主張し始めた。

 

 

時間を作って、

ゆっくり休んで、

自分の内なる声を聞いて、

自分の身体を労ってあげて!

 

 

そんな身体の声に黙って、耳傾ける。

 

 

3月に捻挫してから、3ヶ月経ったのに、足首が痺れたり、むくんだりして今も長く歩くことができない。なかなかよくならない….。

 

そこでご縁ができた整体の先生へ通うことになった。

 

 

整骨院は、結構、いろんなところに通ったことがあった。

 

細長い診察台に寝て、背中を揉んでもらい、そして、仰向けになって、また、一揉み。そして、電気をかけて、はい、終了!

 

それが一つの流れで、どこでも同じような流れだった。手の冷たい施術師の先生にマッサージされても何も伝わってこないことがあったり、身体をバキバキ鳴らされたり…いろんな施術があったけど、なんとなくイマイチだった。

でもまぁ、こんなものかと思っていた。

 

 

でも、今回の施術は、かなり違っていた。

なんて書いていいかわからないけれど、

操体法という施術だった。

 

気持ちよかった。

 

身体のスイッチが入る部分を察知して、そこのスイッチを教えくれるのが先生で、あとは勝手に身体か動き出すことに身を任せるという不思議な施術だった。

 

その動きは、まるで身体的アトラクションといってもおかしくないと思う。

 

身体の動きたいように自然のままに従えば、硬く硬く閉じていた蕾のような身体が、戸惑いながらも少しずつ花が開くように、再び目覚めを知るかのように。

 

 

そんな気持ちを味わう。

自分が自分の身体を満喫するかのような感覚。

 

この身体と心で、再び生きてゆくことに向かい合うためにあるような時間。

 

自分の感覚、身体をいたわり、

大切にしたいと思う。

 

これからを生きてゆくためにも。

ゆっくり少しずつよくなっていこっと。

 

☆ドリーム整骨院

https://yoshikazusayama.jp/

 

《今日の一曲》

アコースティックベースが欲しい今日この頃。

できればフレットレスベースで!

https://youtu.be/4HL0YTOb1rc

 

 

星々を渡る舟

 

夜、床につく時、

寝台は、舟にかわる。

 

目を閉じるのが乗船の合図。

 

眠りによって、魂は肉体から離れ、舟に乗り、

銀河の川を渡り、あの世とこの世を結ぶ世界へと毎夜、小さな旅に出る。

 

自分の身に銀色の糸をつけたまま…。

 

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鮮明な夢は、いつも現実と見まがうかのようにいつもカラフル。

現実の手触りにも似て。

 

夢の世界に辿り着くと何故か私は自分のベッドで眠っていて、下の階の物音で目を覚ます。

 

階段を降り、居間に向かうと3年前に旅立ったおんちゃんが、仏壇のある部屋に居た。

横たわって目を閉じている父を抱きかかえながら…。

 

私はびっくりして、

「おんちゃん、なんでここに居んの?!」

と大きな声を出してしまった。

 

けれどおんちゃんは、穏やかな笑みを浮かべたまま、何も喋らなかった。

いや、喋れないようだった。

その顔の輪郭がぼやけていて、不思議な印象を残した…。

 

 

心配は、いらない…。

そんな言葉が頭の中、浮かんだ。

 

 

 

私は、これまでたくさんのことを願ってきた。

けれど今は、祈るということを教えてもらっているように感じる日々を過ごしている。

 

まるで修道女のように隠遁生活をしながら…。

 

 

 

深い深い夜の海を舟で行き来するように無数の魂が、夢の中で生きている。

 

オールのない舟の旅。

行き先のわからない旅の果てに待つ、朝の光。

 

それは目覚めた時に不思議な読後感にも似た感触をさりげなく残して、現実の私の肩を叩くように目を覚まさせてくれる。