My Horizon

絵を描く日々や私の日常をつれづれなるままに、言葉と写真で紡ぎます。

一人旅と400年前の旅

今年は、政宗公生誕450年だそうで。ちょこっとリンクしてるかな?
この内容を書くきっかけは、ちょうど一年前のこと。渡仏した先で、貸してもらった一冊の本。時差ボケで眠れなかった夜にユニットバスの灯りの下で、読んでいて、頭の中、リンクしていたことと合わせて、書いたもの。去年の3月に出来上がっていたのに、ずっと放置したままでした…。
 
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ときどき思うことがある。

 
行きたいと思ったところって、何かあるのかなぁ…と。

今、生きている記憶以上の感覚が確かにあって、時たま、突き動かされたり、懐かしがったり、好きになって、ハマってみたり…。
 
自分独自の感覚だから、説明することが困難を伴うこともある。
 
一言で、スピリチュアルだと言われてしまうことには、生理的に嫌悪感を覚えるけれど…。
 
でも、今生の経験以外の何かピンとくるものに出合うと、その事を調べないではいられなくなる、衝動に駆られる。
 
 
 
渡仏する以前から、一人旅に行っては、そういう経験をしていた。
ちょっと不思議な感覚に、浸る旅に結果的になってしまうという…。
そのたびに、これって何…?!と思う事が数々、リンクし、私を導いてくれたこともあった…。
 
 
長崎に行ってから、西洋文明が入ってきた頃の400年前ぐらいの歴史に興味があった。
 
そして、渡仏して、以前していた一人旅の続きのような意味合いを含んだ一冊の本をフランスに住む日本の方から手渡された。
 
 
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ハポン 〜侍の顔(跡)」
日本とスペインの交流400年を記念して2014年に出版された書物。
 
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ローマにおいて、洗礼を受けた初の日本人。
 
”ドン・フィリッポ・フランシスコ・ハセクラ”、仙台銘菓 ”支倉焼”のCMでその名は、幼い頃から頭の中に焼き付けられていた…。
 
400年前に、石巻の月の裏という浜から、セビリアフランシスコ会修道士ルイス・ソテロらと共に、サンファンバウティスタ号に乗り、鎖国されていた時代に、伊達政宗の側近で、政宗の命により、ヨーロッパを目指した。
 
当時にしては、かなりの暴挙。
 
陸奥国が、独自に、他の国と貿易や交流を試みたのだから…。
 
当時、宣教師たちが、様々な国から、キリスト教と西洋文明の知恵を伝えに日本に来ていた。
キリスト教の普及率の高まりを危惧した幕府が切支丹禁令を決め、その影響もあり、鎖国
 
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サンファンバウティスタ号に乗り込んでいた東北の人たち。
寄る先々にで、滞在して行く中で、そこを気に入り、結婚して住んでしまったりした人も多いとか…。
 
最終目的地ローマへ辿り着いた頃には、出航時より、人数がかなり減っていたという…。
 
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それから、スペインのコリア・デル・リオという場所で、400年の月日が経ち、現在も700人ものハポンさんたちが暮らしている地で、当時の末裔たちを写真に収めるという企画が持ち上がった。
 
日本とスペインの交流400年を記念して、400人の肖像写真の展覧会を開いた。
 
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ハポンさん」
 
ハポン=日本。
 
慶長派遣団の末裔である彼らは、そう呼ばれている。
彼らにとっても”ハポン”という苗字は、長い間、謎だったらしい。
 
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大航海に不慣れな慶長派遣団たちの乗り込んだ船が、中南米の船とぶつかり、座礁して辿り着いた先が、グアダルキビル島だった。そこにとどまった東北の人たちが、ハポンさんたちの大元となった。
 
 
日本人の末裔の特徴が、なんと赤ちゃんの頃にある”蒙古斑”なのだそうだ。
スペイン人の赤ちゃんには、そういうものはなく、日本人たちのDNAの中にあるものとして、それがハポンの印となっているとか。
 
東北のサムライたちを祖先に持つ歴史の生き証人が、彼ら、ハポンさんたちなのである。
 
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ハポンさん26人ぐらい?の写真を組み合わせたフォトモンタージュ。
 
最新の技術で、昔の侍の面影をそこに観ようとした試みなのだろう。
 
 
すべての人は、みんな、誰かの末裔。
 
そんなことに改めて想いを馳せてみることで、今を生きていることがまた、更に未来の誰がに繋がっているのかとも思うとわくわくしてくる。
 
 
私の中の今世での旅は、過去と現在とが交差して、今度はどんな所に導かれて行くのだろうか。
 
 
大きな旅は、そうそうできることでは、ないけれど。
日々をいかに観察するかで、見ようによっては、日常の出会いも小さな冒険だと言える。
そんなことを意識しながら、日常という旅を興味深く過ごして行きたいと思う今日、この頃である。