本を読んでいると一つの言葉が引っかかり、気になり始め、いつの間にか頭の中、定着している。
やがてその言葉が、絵の構想の大事なキーワードになったり、文章のテーマになってみたり。そして、旅に出るきっかけになる事さえある。
偶然、知った言葉がずっと頭から離れなかった。
海の彼方にある全ての生命を創造する神界。
あの世とこの世を繋ぐ場所。
人間の魂が還ってゆく場所。
そして、その水平線の彼方から、良いことも悪いこともやってくると…。
2年前に一人旅した奄美大島の加計呂麻島でその場所を尋ねてみたけれど、もっと南の方にあると聞いただけだった。
今年の2月が終わる頃、なんとなく気になった人に連絡をして、食事に誘ってみた。いろんなことを話しながら、なんとなく沖縄の話が話題に。その後、メールのやり取りをしていたら、また沖縄の話題になり、沖縄行きがポンポンポンと進んで行った。
そして、ニライカナイを目指して旅に出た。
横浜の展覧会へ『Sanctuary〜聖域〜』というタイトルの作品を飾り付けてから、成田空港から沖縄へ飛んだ。まさに聖域が点在する南の島へ。
私にとって初めての沖縄。
沖縄で友達と落ち合い、宿泊先にチェックイン。
西に傾いた日差しの中、限られた時間で首里城を見て回った。
人気のない首里城の石垣の壮麗さに感嘆が漏れる。
流線形を帯びたなだらかな城壁。その城壁の角の波頭のように反る先端の不思議なフォルム。本土にある男性的で堅牢な作りとはまったく異なり、門構えなどは中国からの影響を強く感じさせる作りになっており、琉球石灰岩という珊瑚で作られた城壁に囲まれている。敷地内全体が女性的な感じがして、まるで母体の中にでもいるような安心感を感じさせる場所も多く、祈りや儀式を執り行うための城といった感じ。そこはまるで竜宮城さながらの雰囲気だった。
当時の民族衣装を着たスタッフの人たちに出会うと、まるでタイムスリップしてしまったかのような錯覚を覚えた。
本殿は、去年の火災で無くなり、そこには城の土台の部分が土と共に剥き出しになっていて、消失しながらも崩れた建物の細かい部分を丁寧に集め積み重ねた山が何個もできていた。本殿の両サイドに立っていた龍の形をした門柱が離れの仮設の施設に横たわって並んでおり、ガラス越しに映る龍の大きな横顔に高貴な威厳を感じ、その門柱の迫力を想像する事ができた。しかし、この像はもう使えないということで、また、新しい龍門を作ることになったとか。なんとも痛ましいと思いながらも再建する方向を見据えながら前に歩みを進めている姿に、沖縄の人々の強さを感じた。時間が掛かったとしてもまた、朱塗りの本殿が復活することを心から祈りたい。
翌日、こちらも世界遺産である斎場御嶽(せーふぁーうたき)へ。
ここは沖縄本島の目的地。
斎場御嶽は、琉球開びゃく伝説にも現れる琉球王国最高の聖地として世界遺産にも登録されている。
琉球王国や聞得大君の聖地巡拝の行事を今に伝える「東御廻り(あがりうまーい)」の参拝地として、現在でも多くの人々に崇拝されている。連綿と続く祈りの聖域だ。
※東御廻り(あがりうまーい)
(琉球の創世神アマミキヨが渡来し、住みついたと伝えられている知念・玉城を東四間切(あがりゆまぎり)or東方(あがりかた)といったことから、知念・玉城の拝所巡礼と称したという。)
沖縄には御嶽(うたき)と言われる聖域がたくさんある。
御嶽とは、小さな森のような、茂みのような場所。
けれど、とても神聖な空気を孕んだ場所。
御神体は、樹木や岩石などの自然物が多い。
自然と言っても人と自然との関わり合いの中で、儀式などをするのに適した場所が選ばれ、古代から神事を行なってきた聖域となっているようだ。
小高い山の斜面を登ると石碑があり斎場御嶽の文字。
小さな施設で入場料を支払った後、説明を受けてから、入山。
急勾配の幅の狭い道を登って行く。
しばらくすると鬱蒼とした森から、明るく開けた空間が広がった。自然石が一段高い舞台のようになっていて、そこで神事が行われている。
そこは、大庫理(ウフグーイ)と呼ばれる拝所。大広間や一番座という意味を持っており、一段高くなった石畳は祈りの場(ウナー)となっていた。
平気で石畳の上にあがり写真を撮っている人たちもいたが、私は、何か得体の知れない雰囲気が漲っている場所のようで、畏れ多くてそこには近づけなかった。右側の天然石の壁に穴のようなものがあり、そこら付近から得体の知れないとても強烈な霊気のような圧を感じていたからだ。それが一体なんなのか、全くわからないまま、考え込みながら、次へ進んだ。
しっとりと濡れた雨上がりの道。足元がちょっと滑りやすく注意しながら先へ進む。
濡れた木々の葉が生々しいほどに黒々と輝き、ザワザワと風に揺らめきながら艶かしい南国の情緒のようなものが辺り一面を包み込んでいた。
空気中、漂うフィトンチットを吸い込みながら、二番目のチェックポイントである寄満(ユインチ)に着いた。
ここも大庫理と同じく一段高い石畳があり、石がくり抜かれたような神殿の上部には龍の顔のような細長い石が天井からぐっと下降して突き出ていた。
そこを眺めていると何やらそこにおばあさんと息子さんらしき人が荷物を持ってやって来た。おもむろにその石畳の上段に上がり、捧げ物を準備をし始めた。私たちも黙って少し離れた場所からその様子を伺っていると、そのおばあさんは上着だけ白い着物のようなものを羽織り椅子に腰掛け、お祈りを始めた。私も帽子を脱いで、お祈りの時間を共に黙ってそこで過ごそうとしたが、記録魔としての気持ちがうずき、手帳を取り出しスケッチし始めた。写真に撮る事がどうしても憚られる空間が多く、スケッチする事で身体を通してその場を吸収したいという欲求が高まり、気持ちの動きを止められなかった。10分も満たない祈りの儀式だったが、ほんの少しだけリアルな祈りの場に立ち会えた事は有り難いことだった。
そして、自然石の割れ目がちょうど二等辺三角形のような暗がりを生み出し、そこから光が差し込んでくる三庫理(サングーイ)に到着。ここが斎場御嶽のシンボルのような場所。右側に岩上がチョウノハナと言われる拝所、そして左側からは海の向こうに”神の島”久高島が見える。
現在は、二等辺三角形の穴から先へは行けなくなっていた。
以前、NHKのブラタモリで沖縄の特集の回でこの先の風景を見ていただけに、そこを通過できないことがちょっと残念な気がしたが・・・。
しかしながら、二等辺三角形の奥から差し込む光がやけに神々しく、奥へ通り抜けできないことがかえって、その場の神秘性を高めているような気がした。
その場で偶然、居合わせたスタッフのおじさんとしばし歓談。
昔々、この辺一帯は、海の中にあり、ゆっくりと時間を掛けて、隆起し、今現在の沖縄の形になったという。
そのことを表すかのように三葉虫の化石が天井部分の部分に同化していたりしていて、海だった時の名残を今も伝えている。
参道は、鬱蒼とした緑の中を抜ける狭い産道のように、神秘的な子宮を宿した御嶽へと導かれるようにできていた。
そして、そこはアマミキヨの伝説と繋がる神聖な場所。
ニライカナイという理想郷から生まれたアマミキヨの伝説が残る久高島へと向かうための壮大なイントロダクション。
それにしても、御嶽って、一体なんなんだ???