小さい頃からあった場所が消える…。
それは、なんとも哀しいことだろう…。
アーケードの中にあったセントラル劇場が、今月いっぱいで閉鎖になるという…。
(かなり前に撮ったレイトショーの写真。竹中 直人特集。)
最近は、あまり行っていなかったけれど、
最後に行ったのは、新聞でグルジアの映画監督オタール・イオセリアーニさんのインタビューを読み、この作品「列車はふたたび故郷へ」を観たい!と思っていたミニシアター系の作品だった。
「撮りたかったのは、少数派である頑固者に名誉を与える映画」
「金もうけや豪華な生活がしたいなどといったことに依存をしていたら、それは奴隷状態。映画を作ることはできません。私が尊敬する映画人たちはみんな独立した存在。これは、同僚である映画監督たちに、どのように振る舞うべきか、目配せを送る映画でもあります。」
「女性から敬われることは人間に起こりうる最高に素晴らしいこと。女性だけが正しい振る舞いをする人間を誇らしく思ってくれるから…。」
馴染みのない国の映画でも、今の時代、いろんな意味でボーダレスになって、なかなかあなどれない作品も多い。
そんな作品をまめに上映していた…。
セントラル劇場では、最近だと、アルメニアを代表するセルゲイ・パラジャーノフの生誕90周年祭もやっていたけれど、仕事の都合と上映時間が合わず、映画館のポスターをいつも眺めているだけだった…。
名画座や昔のシネアートが消えた時は、結構、ショックだった…。
ゆったりとしたシートとスクリーン。
今流行りのムービックス系の映画館とは、一線を画している。そこならではの雰囲気があった。
シネアートが新しくなって行ってみたが、華奢な椅子と客席とスクリーンの間が、狭く奥行きも足りず、以前の映画館の良さが消えてなくなったようで、商業施設ゆえの苦肉の策といったものだった…。
昔のシネアートの何周年記念では、イタリア映画の名作「ニューシネマパラダイス」を200円か300円で観ることができ、満員の場内で、通路に腰掛けて、観た記憶がある。なんだかそんな記憶は、とても臨場感を持って身体の記憶と結びついて私の中にある。
本当にシネマパラダイスよろしくな情景だった。
パソコンでも自由に観たい時に映画が観られる時代だけれど、やはり映画館は、特別な場所だ。
闇の中にとっぷりとつかり、作品に集中することは、一つの疑似体験にも似ている。
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何度もブログの中で触れてしまうが、備忘録として、記しておきたい。
映画「万引き家族」の中で、一番、印象に残った場面。
「普通は、〇〇でしょ!」
「普通、だったら〇〇なんじゃない?」
と女性警官が、容疑者・柴田 信代(安藤 サクラ)に問う場面。
杓子定規に相手を問い詰めるシーンに、私は、正直、息苦しさを感じた…。
そして、子供を産めない女性に対する偏見も強く感じた…。
彼女の犯した確かに罪は重い。
人をあやめること、傷つけることは、やってはいけないけれど…。
行き過ぎた正義…といった押し付けも警察側から感じた。
そんなに正しく生きている人って、どれだけいるのだろう…かとも感じた。
人の中にある混沌や矛盾。
人生にははっきりとした答えなどない…。
だから誰もが悩み、苦悩して、自分が正しいと思う道を模索しながら、生きているように思う。
そんな紆余曲折を経た中で人間の豊かさが生まれてくるのではないだろうか…。
失敗という経験を通して…。
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映画は、いろんな感動やきっかけをくれる心の栄養素なのだと思う。
スクリーンに映し出された様々な世界から、多様な生き方、価値観を知ることができるから…。
セントラル劇場、長い間、有り難うございました!そして、お疲れさま!!