妖しげな姿で匂いたつ花。
固有の色彩を持つ花が、あらゆる角度から視線を向けられ、最後の位置で、独自の存在感を際立たせるようにフレームの中、納められてゆく。
同じ頃に知った2人。
どちらも花に関わる写真を撮る人だった。
平凡社から出ている雑誌「太陽」の100人の写真家特集で、紅い肉の塊を縛った、血の滴るような作品を観た。その写真は、実際の肉を使っていたとしても充分なインパクトがあるのに、それがチューリップの花を押し固めたものと知った時の衝撃…。
前衛
今も私の中で鮮度を保つ言葉。
まさに、その言葉そのものをオリジナルの美として追求した人、華道家・中川 幸夫さんのドキュメント映画を観た。
彼の生きた道程と生前の彼を知る人物のインタビューを織り交ぜた谷光 章 監督の作品。
ヘリコプターに膨大な花びらを積み込んで、空中から花びらを降らせる
夢にまで見た”天空散華”。
その傍らで、車椅子のまま、雨の中、踊る舞踏家・大野一雄。
そして、空から舞い降りてくる雨粒と花びらに泣きながら空を見上げる中川 幸夫。
生きた花をいかに見せるか、そのことに一生を捧げた男の美意識と生き様が画面を通し、強く響いてきた。
そして、もう一人。
男性とも女性とも見分けのつかない中性的な人物。
パティ・スミスのデビューアルバム「牝 馬」のジャケット写真で知ったロバート・メイプルソープ。
十代の後半、部屋にモノクロのカラーの花のポスターを飾り、ポストカードを集め、写真集を買い、飾っていた。
花と女性のヌードの類似性。
身体の柔らかなくぼみや流線型のフォルムの中から生まれてくる繊細な陰影を時間をかけて写真に写し込む。
マイノリティーたちの心象、
表裏一体のマゾスティック/サディスティック、
目隠しされたキリスト、
罪の意識とそれゆえの快楽…。
あらゆるものがミックスチャーしたアメリカの文化と都市の孤独が、アンダーグラウンドから浮上し、モノクロームの世界に定着する様を見つめながら、当時のアメリカの空気感を切り取っていたのかもしれない。
さまざまなタブーに触れながらもギリギリの所まで、光と陰のコントラストと対象同士との構成に妥協を許さなかった。
その姿は、ストイックなまでに完璧だった。
”流行通信”というファッション誌で見つけた、
水戸芸術館で行われる彼の回顧展の記事を観て、勇んで出掛けた。
若い頃のセルフポートレートの彼は、ダビデのように美しく、ガラスのように繊細で、危うげで、物憂げで…。
自分の性の嗜好や美意識をいかに表現してゆくかを光と陰の中で手探りに模索していたようにも見えた。
人の中に潜む深い闇をモノクロームの世界に閉じ込める。
何かに挑んでいる姿勢のようにも見えた。
それが例え冒涜な行為であったとしても…。
私はそんな彼が好きだった…。
それから、花のシリーズや有名人たちのポートレートの数々で彼は名声を博してゆく。
晩年は、静物と花を合わせた色彩を帯びる作品を撮りためていた。
そして、最後は、自分の死期さえも凝視するようなセルフポートレートで展覧会は、終わっていた。
自分の死をも対象化して、見つめる眼差し。
闇には聖域にも繋がる水路がある。
タブーを犯しながらも、独自の美意識を貫こうとした作家たちの記憶を精神の地層に染み込ませたい…。
#中川幸夫
#ロバートメイプルソープ