蒸し暑さの中で緑を見ていたら、ある映画を思い出した。
「夏 至」
ベトナムの三姉妹の物語。
仲良し姉妹なのだが、おのおのに秘密を隠し持っている。
一番、記憶に残っているのが、既婚者の一番上のお姉さんが他の男性と逢瀬を重ねるシーン。
そこでは、相手と一切口をきかないというのが2人の決め事。
言葉のやり取りがない分、相手を強く見つめるまなざしやちょっとしたしぐさで、相手の気持ちに敏感に呼応し合うことが官能的に描かれていた。
深い緑色に輝く長い黒髪と少し浅黒い肌に切れ長の涼しげなまなざしが健やかな色香を感じさせ、ベトナム特有の気温や湿度までもが画面を満たしているかのように、うっとりした記憶がどこまでも続いてゆくような作品だった。
蒸し暑い夕暮れで、もう一つ思い出した。
先日、観た映画「万引き家族」。
この映画に出ていた女優の安藤サクラの色っぽさが際立っていた。
画家・ゴーギャンの描いたタヒチの女よろしく、健やかな色香にすっかり魅了された。
ぶっきらぼうなところも働くシーンも、笑うところもとめどなくこぼれ落ちる涙を何度も手でぬぐうことも、彼女の身体から生きていることそのものがはじけ、役を通して、彼女の生命感が輝きを放っているかのように観えた。
エロティックなことは、おかしな意味ではなく、とても健康的なこと。
生命の内に自然と潜むもの。
特別なことでもなく卑猥さとは一線を画すものだと思う。
男性と女性とでは、また、感じ方が異なるかもしれないが…。
命がはじけるようなそんな存在感。
私は、そんな彼女に心動かわれていたのかもしれない。
実に官能的だった…。
初夏の前の梅雨の晴れ間に…。
少し早い時間から、ビールの缶を開けて、暮れゆく陽の光を浴びながらの夕涼み。
世知辛い世を憂いつつも、今を生きていることの楽しさを分け合うひと時。
誰かと食卓を囲んで、美味しいものを食べるのも一つの歓びでもある。
無駄な時間の中に潜む、戯れと遊び心と穏やかな共有の時間を持つことを忘れたくないと思う。
そんなひと時が、精神的な潤いに変わる。
小さな時間の中に潜む歓びを味わうこともちょっとしたエロスだったりすると感じるから…。