芸術家の感覚は、二歩も三歩も時代の先を歩いている。
感覚が鋭敏な分だけ、感じる次元も高次からのものを自然と受け取る。それは、時として生きづらさにも繋がる足枷も付いて回る。
それでも、志しを高く持ち、巫女のように現世に神事を降ろす霊媒となる時がある。
そんな人達が集まると巨大なエネルギーが今まで見たこともない世界を作り出すことがある。
そんな場を作ることに微力ながら、関わらせて頂いた。
歓喜咲楽〜えらぎらく〜
まるで呪文のような不思議な響きを持つ言葉。
これは、舞踊家・小山 朱鷺子さんが考えた造語である。
滅びへと向かっている世界にあって、
今こそ、原初の起源に発ち返ろう。
陽は照り、樹は葉を、さざめかせ、月を招く。
鳥は歌い、花は蕾をかかぐる。
神も、人も笑み、子どもは双手を上げ、足を踏み鳴らし、舞う。
飢餓は去りゆく。
そして、赤子は限りなく生まれ続ける。
(小山 朱鷺子)
東日本大震災から七年を迎える年に、この地、仙台から、鎮魂の祈りと大いなる感謝を込め、新しく生まれいずる陸奥国の力を今一度、呼び覚ますが如く、「古事記」より発想を受け、現代によみがえる生命の息吹と再生への願い。
ダミアン原田さんが奏でるどこまでも甘美で柔らかく聴く者を包み込むかのようなシターの音色。そして、打楽器による大串孝二さんとの掛け合いによる即興。
凛とした佇まいの大串孝二さんは、お清めの水をまき、そこに巫女のような小山 朱鷺子さんがいざなわれる。
今回、若手として、独自の存在感を放って舞台に立った植物芸術家の今野 カズオさんからは、植物に対する愛情がひしひしと伝わってきた。
そして、この神事の瞬間を切り取るが如く、勇敢ないでたちで墨にまみれながらシャッターを押し続けたカメラマンの阿部 貴彦さんの存在も忘れられない…。
聖と俗、男と女、雄型と雌型、想像と破壊…。
相対するものが混ざり合いながら溶け合う。
大串さんが、強烈な勢いで男性のエネルギーを放出するかのように墨を打つ、その中で、墨を浴びながら、小山さんは生命の歓喜に身を任すように声を震わせながら、自らの内に新たな生命を宿し、新しい生命を産み落とす。
その夜、打ち上げの席で、小山さんは、自分が泥舟だと、笑いながら言った。
現実的には、歳を重ねた身体の中にいるのだろうけれど、私には黄金の魂の母船のように見えた。
童女のような無邪気さと大いなる母性を持ち合わせたかのような不思議さを感じながら私は彼女を見つめていた。
真の芸術家と一緒にいる時間…。
芸術に身を捧げる魂に触れたような夜だった。
このような神事のような舞台に関われたことに心から感謝…!!