久々に眼科へ行って、裸眼で視力検査を受けた。
小学生ごろから、視力検査は大の苦手だった。
大人になってからは、免許更新にするメガネのままでもオッケーな簡素なものだけだったので、かなりご無沙汰な感じ。
最後に測ったのは、0.1だったけど、
計ってみると左0.04と右0.05
・・・・・やっぱりね。
近眼、乱視のMIX☆
そして、忍び寄るRouganの影…。
ドライアイと診断されてから、目の事を考え、少し負担を軽くしようと思い、ノーメガネの時間を増やそうと思った。
メガネを外すとボ〜~〜〜〜〜っとした世界が広がる。
ちょっと怖いけど、裸眼の世界に慣れようかと思い、駅までの道のりや目的地までの道のりを歩いている。
向かいから来る人の顔も30cmぐらい近くならないとわからない・・・。
夜の道では、水玉模様のカラフルなライトの列。
弱視用の階段のマークの分かりやすさを知ったり、ある意味、新鮮な世界を気をつけながら歩いている。
けれど、身体とは不思議なもので、弱いところを補おうと働き始めてくれるのを感じる。耳がいろんな音を拾っているのを感じたり、鼻も敏感になっている。
犬みたいだけど…。
4,5年前、聴力検査で、お医者さんが身を乗り出すほど耳が良いいねと褒められた時は、とても嬉しかった。これは、たぶん、目が悪いところを補おうとしてくれて付いた力なんじゃないかと勝手に思っている。
小さい頃から目が弱かったので、自然と耳をそばだてて、音で物事を判断したり、人の声の音でその人となりを想像したりしていた子供だった。
そんな私の十代のある日、ラジオで聴いた映画のメインテーマ。
まだ見ぬ大人の世界へと想像力を誘うようなけだるいテナーサックスが奏でるメロディを録音し、何度もカセットテープで聴いていた。
薫り高いヨーロッパの匂い。
そんなイメージを象徴するような曲。
大好きだったイタリアの映画監督ベルナルド・ベルトルッチが亡くなった。
映画「ラストエンペラー」で日本でもかなり知られている彼だが、私はなんといっても「ラスト・タンゴ・イン・パリ」がダントツで好きだった。
1972年製作。
陰りのある白い壁が立ち並ぶパリの街角。
男女が出会い、逢瀬を重ねる。
素性も明かさなければ、名前も聞かない。
衝動と退廃と不毛な愛。
怪優マーロン・ブランドの物憂げさと野生。
そして、マリア・シュナイダーのはち切れんばかりの若さと小悪魔性。
行き場のない性と生が絡み合う。
極上の大人の映画だと若い頃は思っていた。
その印象は、今も鮮度を失わない。
ベルトルッチの訃報を聞いて、youtubeでこのメインテーマを検索してみた。
あの官能的なテナーサックスの音色が無性に聴きたくなったのだ。
こっくりとした黒光りするようなバンドネオンの音色に絡むアドリブを効かせたピアノのフレーズ。そして、その周りを弦楽器が包み込み、そこに放たれるテナーサックスの音色が、一つの野生味を醸し出す。
タンゴの持つ、絶妙なバランスで複雑に絡み合うドラマティックな音の構成にただただ酔いしれる。
裸眼で帰る道すがら、「ラスト・タンゴ・イン・パリ」のサウンドトラックを聴いて歩く。
なんて官能的な音楽と陶酔…。
ふと目を閉じるとパリの街角。
でも、目を開けると薄ぼんやりとした田舎の田んぼ道……。
ベルトルッチは、西洋の孤独や不毛を描きながらも、東洋に憧れていたのではないだろうか。それが、「ラストエンペラー」や「リトルブッダ」という映画を生み出し、音楽に坂本 龍一を起用していたこともそんな気持ちの表れだったりするのかなぁと思う。
そして、イタリア人の美意識の高さを教えてくれた人でもあった。
youtubeで映画「ラスト・タンゴ・イン・パリ」の音楽を担当していたガトー・バルビエの演奏があった。バルビエのサックスがなんとも素晴らしい!