9月に入り、少しの間、居場所を変えてみたら?という提案を受けた。
渡りに船といった感じで、江ノ島の近くの街で約半月ほど暮らした。
そこでもほぼ一人きりの生活は続いた。
その中で、ぽろっと産まれてきた作品があった。
『抱 僕』という作品。
高橋源一郎さんのラジオを聴いていた中で知った”抱 僕”という老子の言葉。
”原木を抱く”という意味があるというその言葉が頭の中で定着した。
その言葉は、まさに私が介護していた時に一番強く感じていた気持ちだった。
原木を抱くとは、荒木を素手で触ることでもあり、自分自身が傷つくことも覚悟しながら、その人をありのままを受け入れること、それが介護というものだと感じていたから。
それはふうっと現れた。
描いている途中で、これはまさに”抱僕だ”と合点し、筆を進め、短時間で仕上がったものでもあった。
そして、自分の心にあるクレーターのような大きな凹みを言葉にできずに気持ちを持て余していたところに、”喪失感”という文字が浮かび上がり、スッと府に落ちた瞬間が訪ずれた。
その次の夜、4ヶ月ぶりにニコニコと笑いながら現れた父親の夢を見た。
全てのことが用意されていたかのようにするすると私の心に答えをもたらし、方向性を指し示しているように感じた。
暗夜行路の中でも、導きを受けながら、手探りで進んで行く道中。
不安は拭い去れないものの、なぜかいつも道標があり、私はそこに対応しながら、そこで最善を尽くすことだけに神経を傾けるだけだった。
小さな滞在が終わり、自宅へ戻った。
最期のラストスパート。
ドーム型の中に敷く赤い絨毯のサイズをシュミレーションをし、160cmに決め、蝋燭は使えないため、LEDキャンドルをネットで探し回り発注。しかし、ホームセンターを数軒回ってもドーム型を形作る棒がなかなか良いものが見つけられなくて、ヤキモキしていた。
大判の和紙は、コンスタントに続けていれば2ヶ月で1枚を仕上げることができるとわかり、時間があれば昼夜惜しまず制作し、やっと4枚制作し終わり、全てを大和のりを使って繋げ、裏面の強度を高めるために和紙をさらに貼り付け、円形の元になる棒を百円均一でたまたま探し当て、大体の大まかな下準備ができた。
それでも私の不安は消えなかった。
初めてのインスタレーション。
作品は時間を掛けたからといっていい作品になるという保証もない。
思ったようにいかなかった事は、今まで何度もあった。
それでも試してみたい…。
日々、コロナウィルスの影響が生活の至る所にまで大きな影のように定着して行く中、案内状を書いていても”ぜひお越しください”とも書く事ができず、どれだけの人が観に来てくれるのかもわからない中でも、自分の仕事として、自分が出来る限りのことをしようを思っていた。
2020年に個展をする事が私にとって重要だと考えていた。
そして、自分が自分の展覧会を一番、観たかったから、その望みを叶えたいと思っていた。
観覧者が自分ひとりだったとしても…。
(下)につづく…。