一つの点を打ち始めてから、一年近く経とうとしている。
展示も近くなり、急ピッチで、夜な夜な台所に大きな和紙を広げてながら制作している。
大学ノート3冊分を一冊にした厚い大学ノートの備忘録帳も3年の時を経て、さらにぶ厚くなった。
ひらめいた言葉が、やがて大切なヒントとなり、道しるべとなって、道中を照らす光となる。
だから、いつも直感から、こだました言葉を走り書き、心に刻むようにノートに書き記す行為を続けてきた。
私にとってこの行為がとても大切で、ひとかけらの言葉によって、無意識の中にあった事柄が深い眠りから覚め、カタチとして、生まれ出ようと私の中、宿る。いつもそう感じている。
手探りで探すカタチ。
そのイメージに合う素材、画材、題材を探ってゆく。あーでもない、こーでもないと自問自答しながら。
今回、浮かんだ、いくつかの単語。
そのどれもが"いのち"と結びつく。
"いのち"が動いている場所。
生命と繋がられる場のようなものを作りたいと思った。
ここ数年、微細なものの動きについて、興味があり、細胞のような点による作品を作り続くてきた。
自分の内側で感じる感覚をカタチにしたくなっていた。それは、私の内なる欲求だった。
自分の細胞のようなものを紙面に表出させる行為として、点をひたすら打ち続けた。
そんなものに自分が包まれてみたいと…。
そんなイメージがあった。
来る日もくる日も点を打ち続けた。
そのことを人に言ったら、もっと合理的にやったらと言われることが多く、言われるたびにムカついて、それって違うんじゃないかと言い返していた。
合理性の抗うのことが、芸術なんじゃないかと思うからだ。
時短で、無駄を無くすことが、大手を振ってまかり通っているのが現代なのかもしれない。そこで私がやっていることはあまりにも不合理で原始的な行為として目に写るかもしれない。
しかし、私は、皮膜のように広がる紙面に一粒一粒、点を打つことで、小さな細胞が生まれ、身体を動かしているように、その小さく微細なものの動きによって、身体がカタチ作られてる様子を再現したくて、その身体の内部の動きを表出させたくて、このやり方を選んだのだと思う。
うごめく血潮のようなものを描きたいと思いながら描いている。
そんな矢先に、コロナウイルスが発生し、鳥肌が立った。微細なものを描いてきた途中にこの出来事に出くわすなんて…。
まさにこのウィルスも小さくとも人体に様々な影響を及ぼすものなのだから…。
このことが起こって、さらに、この作品を作ることになにかとても意味があるように思えてきた。それは、やはり"いのち"と深く関わることでもあると感じている。
イノチガケの進化が目の前にあるような気がしているから…。
夜な夜な打ち続けるドット。
紙面に無限に広がり続ける。
今を刻むように、
指先からいのちを紡ぐように描きたい。