My Horizon

絵を描く日々や私の日常をつれづれなるままに、言葉と写真で紡ぎます。

母 体 回 帰(上)

やっと家に辿り着いた。
やっと、やっと・・・。
長い長い制作期間と2つの展覧会を終えて。


お陰さまで、無事に仙台での個展と神奈川県での二人展を終えることができました。
コロナ禍にも関わらず多くの方にご来場いただき、有り難うございましたm(_ _)m


ホッと安堵しています。
深い深い安堵感・・・。

いろんなことが頭の中を駆け巡っていたのにも関わらず、文字に起こす時間が取れず、今頃になってしまいました。



少しづつですが、振り返ってゆきたいと思います。


展覧会中、お話ししたことと反芻してしまう内容もあるかもしれませんが、振り返りつつ、私自身の備忘録も兼ねた記録としてここに記したいと思います。

一緒に振り返っていただけたら幸いです。


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11月21日から始まった展示『母体回帰〜Return to the matrix〜』

私が主体的に行う10回目の個展。

そのスタート日は奇しくも今年、5月に亡くなった父親の6度目の月命日になってしまった。


一年前、奄美大島からの一人旅の帰り、明け方近くに着いた高速バス下車後、真っ直ぐ向かった美術館で、個展の日程を決め帰宅した。
その時は、父も持病を抱えながらも元気だったので、一年後の個展開始日がこんな意味合いを含む日になるとは夢にも思っていなかった…。



そういう意味でもこの一年が私にとって重大な節目となった。




去年から始めた大判の和紙に無数の点を一点一点打つ作業。


私にはすでにイメージがあった。
自分自身の細胞を描きたいという欲求が。

自分の中、泡立つように疼くように微細なものがいつも渦巻いている。
それを掴み取って具現化したかった。



気が遠くなるような作業だったが、私の中で暖めていた構想だったので、相変わらず後先も考えず、己の欲するまま、来る日も来る日も同じ作業を繰り返していた。

人から見れば尋常ではない作業だろうとどこか他人事のように思いながらも、私はそれをせずにはいられなかった。
人がどう思うかなんて考えていたら、表現の裾野は広がらない。自分の感覚にただ正直に向き合うことを必要としていたのだと思う。





ここ数年、出会いに恵まれ、特に私に影響を与えてくれたのが舞台『歓喜咲楽(エラギラク)』だったと思う。数度、このことについてブログで触れてきたが、着想はその時に得たものだ。

あの”カテドラル”とも評されたドーム型の和紙による子宮のイメージと私の持つ細胞のイメージとを結びつけながら、自分の子宮の具現化をラフスケッチに起こし、何度も何度もその青写真の作業を行いつつ、そのイメージが今回の個展の主軸になると直感していた。



原点回帰、回帰線、母型、基盤、源。
様々な言葉の断面から発せられる事柄からいつも結びつく、自分自身の無意識を意識化する作業。

いつも言葉が重要なキーになって平面の世界へなだれ込んで行く。

言葉が微細な色面になり、形になって表情のない紙面に放出されて行く。

時々、自分の肌から何度も鮮血のようなものが吹き出してくるようなイメージもよぎった。
気持ちとイメージが乖離したり、重なったり、もどかしくもあり、ドキドキしたりを繰り返しながら、時には怠惰になりつつも作業は行われた。







そんな作業を行いながら、今年、2月から父の体調が思わしくなくなり、入退院を繰り返し、自宅介護へと切り変わっていった。

怒涛のような日々。


私自身もこれまでに味わったことがないほど身体が軋むのを感じながら、浅い呼吸のまま日々を過ごしていた。
父から目が離せない状態だった。
制作は止まり、父との終末期をいかに過ごすか、何が最善かを考え、そのことだけに集中することしかできなかった。自分自身も壊れてしまいそうな感覚を覚えながら、なんとかしのいでいた。


4月の末に、病状が急変し、仙台の病院へ。その後、重篤な状態が続いた。

それでも父は最後の踏ん張りを見せてくれた。
その頑張りは見事なほどで、主治医も看護師さんたちも感心させるほどだった。
最期の最後まで、家族の期待に答え、家族を守ろうとしてくれた姿のように私の目には映った。
それは大きなメッセージだったように思う。


毎日のように病院へ車で通った。
コロナ禍においても幸い毎日30分の面会が許されていた。その時間をなるべく有意義に過ごそう努めた。

毎日、病状が変わり、次第に意識があの世に移行し始め、やがて昏睡状態となり、5月21日、病院からの電話が着て、臨終の時を迎えた。


コロナ渦でのこじんまりとした家族葬は、あっという間にその儀式を終えた。

私は、泣く余裕すらなかった。
父の死を受け入れることがなかなかできず、ごく一部の人にしかその事実を知らせないでいた。

本当は、誰にも知らせたくなかった…。








2ヶ月ぶりに点を打つ和紙。

1枚目の和紙を描き始めて、7ヶ月も掛かってしまった。

一人になり、本腰を入れて個展のイメージをキャンバスに和紙に、紙の上に載せる作業に入った。
油彩、墨、ミクスとメディア、自分が持ち得るものを全部、ぶちまけてやりたいと思った。


そして、中本誠司現代美術館のリニューアルされた2階も借りることにして、東館1階と2階の同時開催をいう形によって、これまでの自分とこれからの自分を振り返り、イメージしながら根源的なものへと自らを誘うような展示をしようという発想が生まれてきた。



作品の中で、自分が生まれ直そうと考えていた。






シ〜〜〜ンとした部屋の空気が金属音のように耳から脳裏に突き刺さってくるような違和感を感じながらも、その感触を払いのけるように、とにかく描き続けた。



私にはそれしかできなかった…。

そうやって己と向き合うことでしか越えられない大きな壁が目の前にあった。


大きな和紙にひたすら打つ緑と赤の点にしかそこを埋められないと感じていた。

孤独の淵にいても描くことでしか自分を救えない。

それは切実な想いであり、私が画家という道を選んだことゆえの越えるべき峠のようなものであったように思う。


(中)につづく。