4年ぐらい前に読んだ本がきかっけに念願の場所への出発にお許しが出て、旅に出た。
目指す場所は、遠く、テレビの天気予報の衛星写真を見るたびに、その距離の遠さを確認していた。
テレビでは、大型台風上陸と警戒を呼びかけていたが、ギリギリなんとか帰ってこられると予測して、家を出た。
久しぶりの九州。
何故に九州なのかよくわからないけど、なんだか惹かれる所が多い。
特に自然の豊かさ、南国特有の日差しの色、ゆったりとした空気が流れている。気候的には、東北とは対極なもの。
その中に求める何かがあるのだろうか?
辿り着いたのは、南国・奄美大島。
ゆる〜い空気が、なんとも穏やかで、そのまま宿に向かう夕暮れの海岸線を走るバスにしばし揺られる。
泊まる宿は、バス停から、700mとは聞いていたけれど、遠い…。行けども行けども緑豊かな林は、亜熱帯。グーグルも使ってはいるけど、大丈夫かしら?と思いながらひたすら歩く。
やっと小さな看板を見つけ宿に着く。
都会から移住してきたご夫妻がしているゲストハウス。
6時もすぎて、あまり食事をしていないことに気がつく。
周辺には、飲食店が2件しかなく、近くの場所は、サーファーの若者たちで賑わっていたので、少し歩いた所にある白いレストランへ向かう。
懐中電灯を持って行きなさいと渡された。
そこのエリアには、ほとんど街灯がない。
夕暮れの浜で、しばし時間を過ごし、潮風に浸る。
白い浜辺、透明度の高い海が広がり、月がぽっかり浮かんでいる。
一人食事をすませ、懐中電灯をつけて歩く。
夜行性のハブが出てくる可能性があるで、道の真ん中を歩いた。
早朝、早く目覚め、浜へスケッチ。
アダンという植物の実がなっているのを発見。
奄美大島は、栃木県出身の日本画家・田中一村が50代に移住した土地。アダンの木は、一村が好んで描いたモチーフの一つだ。
たわわに実るアダンの他にもバナナの木やグァバの木、蘇鉄、クワズイモ、パパイヤの木など、南国特有のフルーツが自成している。見慣れない植物たちに何度も足を止めた。
朝日に照らされたアダンの葉は、黄金色に輝き、その陰影が織りなすコントラストには神々しい造形美を感じた。
次の日、大島紬の発祥の地という場所を訪ねる。
絹糸を80回ほど染め、そこから、細かい縦糸の点と横糸の点を十字に合わせデザインされた幾何学模様を精密に織り上げて行く工程は、気が遠くなる。
更に絹糸は、湿度に敏感で、その日その日で状態も変わってくるというから、熟練の技が求められるまさに職人技。
そこで30年間、泥染めの職人さんのおじさんとしばし話した。縄文の特有の濃い顔立ちにアイヌの人の顔を思い出した。
そして、奄美博物館へ。
独自の信仰と文化を持っていた平和で穏やか暮らしをしていた奄美大島。
しかし、琉球王国や島津家の支配下になり、更に戦後、アメリカの領土に…。
その後、住民自らが署名運動や座り込み、断食などの非暴力による運動を起こし、日本国を動かし、悲願の日本への返還を自らの手に収めたという歴史を持つ。
以前から、興味があった琉球王国の祭祀を司ったノロと民間の中から神様に選ばれ巫女のユタの歴史にも少し触れた。
そして、田中一村美術館へ。
縄文時代の高床式住をモチーフにしたような建物は、大変モダンでいながらも奄美特有の風土感も取り入れた見事な施設だった。
幼少期から晩年に至るまでの作品を時間をかけて眺めた。その素晴らしさは、言葉にすることができない……。
その晩は、泊まり客は、私ともう一人の女性だけだったので、オーナー夫妻と一緒に夕飯を食す。
もう一人の女性の泊まり客が、今から奄美の黒うさぎを一人で探しに行くということで、同行することに。
とっぷりと夜もふけた暗い道を車でひた走る。
トンネルを何個も通り抜け、マングローブの森を横目に標高の高い方へ車を走らせる。
黒うさぎに注意の看板が出てきた。
道をゆっくりゆっくり走っては、懐中電灯で照らしながら様子を伺う。山の守り神でもあるハブがたくさんいるので、車の外へは絶対に出ては駄目!と念を押され、窓を開けるだけにとどめる。
木の上からハブが飛び降りてきたら!と妄想しつつ、まるで水曜スペシャルの〇〇探検隊気分だねと笑いながも道を進む。
しかし、粘っても粘ってもなかなか素人では、巣穴も見つからなかった…。
すれ違う黒うさぎツアーの車とすれ違いざま声をかけると「いましたよ!」と言われるたびに期待は高まったが、巣穴を知ってるガイドさんのようにはいかなかった。
そのかわり奄美にしかいないカエルとネズミと鳥がひょっこり飛び出してきた。
やはりガイドさんに頼まないと黒うさぎは、なかなかお目にかからないようだ。
深いジャングルのような森には、幾千もの命が蠢き、野生動植物の日常が繰り返されいるのだろう。その闇に目を凝らしながら、その見えない世界に想いを馳せていた。
#奄美大島