My Horizon

絵を描く日々や私の日常をつれづれなるままに、言葉と写真で紡ぎます。

断捨離〜揺れた後で思うこと

断捨離、続行中。
そう、それはなかなか終わらないもの。

清掃センターへも6回目。


不用品の搬入は、降ろしてしまうと呆気なく終わるのだが、車一杯に荷物を運んで行くまでが大変な労力。
ちょっと億劫な作業で、「よしっ!!」と思った時に行かないと永遠に行けないくらいタイミングを逃していしまいそうになる。

地震前から続いている作業だったけれど、地震でハッキリと手放すものが見えてきて、今まで躊躇していたものにも切り込んでいくように細かくリサイクルできるように分別する過程に移った。


その中でも観音開きの押し入れの奥に眠っていた七段飾りの雛人形にはなかなか触れられずにいた。

祖父母の思い、
両親の思い、
思いが相当に重い。


何年も飾っておらず、
実際、嫁にも行かず
気ままな一人を満喫(笑)

なんとなく雛人形の備品を触っていると感じた事があった。
これは、実際、母にとって大切なものだったのではないだろうかとふと思った。


母の願いを叶えてあげられなかったことへの負い目がだいぶ私の中でくすぶっていた。
母の期待に応えてあげられなかった事は、時として私の罪悪感になったりもして・・・。

母が亡くなってから、自分から雛人形を飾ろうとは一度も思わなかった。
雛人形を見るとなんとなく私の中で罪悪感を感じてしまうような気がして、
押入れの奥に押し込んで、そこには触れないようにしてきたのかもしれない。


開かずの間。
それは心の中にもある。


そこに触れていく作業が物理的にも始まったといってもいい。
かなり捨ててはいるつもりだけれど、まだ、終わっていない。
そこには触れたくない過去があるのかもしれないけれど、いつか対峙しなければいけない場所でもある。

だけどね、いろいろあるけど、私はこれでも幸せだと思っている。
一つ一つ手放して行く事が、私自身を生きることにも確実に繋がっていると思うから、だから、ありがとうと言って、手放してゆこうと思う。
家にあるものみんな背負って歩いては行けないからね。
記憶の中にあれば充分だよね。
自分の今後の幸せに続いている道程のような気もする。

だから許してね
じいちゃん、
ばぁちゃん、
お父さん、
お母さん、
いろんなものを与えてくれて”ありがとう”と伝えながら。


しっかり感謝とお別れを告げて、空間を整えて行く作業が、今の家に対して私なりにできる事だと思う。


地震があって、壊れたところもたくさんあるけど、
すっごく疲れ果てて、お先真っ暗で、あまりにも続く余震に、辛くて、もうイヤ!!と叫びたくもなったけれど。


もう一方で、少し落ち着いた夜に、
こんな気持ちも湧いてきた。


私ってある意味、幸せなんじゃないのか?って。

激しく物理的に揺さぶられて、
動く地面の振動を全身でめいいっぱい感じて、
より明確に物事がクリアに見えるようになって、
ハッと目が覚めるような自分をリアルに感じていた。

それは、よりクリアに自分の人生を選択して行くために起こっていることでもあるんじゃないかとも…。
この地震は、とっても怖かったけれど、自然からの”激し目のメッセージ"でもあるんじゃないかとすら思った。

地震が起こった事で、いろいろとやらなければならなくなったことも増えたけれど、
時間をかけてやってゆけば、きっと現状は良くなると思う。

ゆっくり、
無理せず、
マイペースに、
コツコツと・・・。



人生は、何をするにもいつもコツコツが基本だね。

・゜゚・*:.。..。.:*・' .。.:*・゜゚・*

断捨離中によく聴く藤井 風くんの曲。

特にこの曲を聴いていると何度も込み上げてきちゃう…。

この世を去る人と
この世に残る人の気持ちが
交差する曲。

『帰ろう』
藤井 風
https://youtu.be/goU1Ei8I8uk

手放して、身軽になれ!

やっと少し落ち着いてきた。

3.16深夜の地震

1度目、飛び起きて、様子を見て、トイレへ。
2度目、トイレを出た瞬間、うずくまった。

震える身体、
家の心配…。

落ち着いて2階に上がったら、廊下が完全に作品で塞がっていて通れない。寝床のドアが開けられない状態だった。アトリエは、開いていたけれど電気がつかなかなくなっていた…。

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翌朝、朝日に照らされたアトリエで、あぜんとした。天井の電気は吹き飛び根本からぶっちぎれ破損…。石膏像のメディチも割れていた…。

寝床も大きな作品や木材で通ることが出来なくなっていた。

 

この地震は、私にとって完全にこんなことを告げていた。

"余計な物は処分し、身軽になっておきなさい!"

 

 

体調が悪くて、2020年から、2階の片付けがほとんど手付かずだったから、意を決して、倉庫のような寝床の作品を広い部屋へ一旦移し始めている。

まぁ、出てくるは、出てくるは…。
なんなん?って思うほどの木材と紙の山と木枠、額、キャンバス布…‼︎
ここは、私にとっての宝の山だったけれど…、もう違う。ほとんどが不用品なんだ。

地震前までは、取捨選択もぜんぜん働かなかったのに、地震の後は、何が必要で不用なのかが、すぐにわかるようになった!

今回の地震で、物が凶器に変わることを再認識した…。正直、身の危険を感じた。

 

 

そして、片付けの合間に久々にコーヒーを淹れて飲んだ。
そしたら、はらはらと涙が流れて止まらなくなってしまった…。

『怖かったぁ…』

とやっと感じることができた。

そんな気持ちをしっかりと受け止め感じた。

 

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今年は本気で自分の環境を選び、整えていく年になると思う。

めくるめく変化だけれど、性根を据えて、動物みたいに勘を働かせながら、行動したり、移動したりしていくことになると思う。

思考より、感覚。
損得など捨て、回り道しても必要な方向へ進もうと思う。

 

いつも地震は、目を覚まさせてくれる。

意味があって起こっていること。
人も地球も有機的に繋がりあっていての結果だから。受け止めながら、味わう。

 

そして、執着も捨てて、コツコツ物とお別れしてゆこう❗️身軽になろう❗️

さっ!断捨離、断捨離❗️❗️

カミングアウトのような休止符

お元気ですか?

ご無沙汰しています。

 

今日はお伝えしたい事があり久々にブログ更新です。

 

*・゜゚・*:.。..。.:*・*:.。. .。.:*・゜゚・*

2004年から始めてきた個展活動。

一年おきにやってきた初めの10年間。

 

2012年を機に、個展、グループ展、公募展、公開制作、海外遠征等・・等々、

縁あってさまざまなな場所や地域で行わせていただきました。

このブログを始めた2016年は特に恵まれた一年でもありました。

怒涛のようにパリ、アルメニア、仙台とグループ展や個展、新聞の連載などをこなしながら、駆け抜けた記憶をひたすらこのブログに綴ってきたことも懐かしく思い出されます。

しかしながら、2017年頃からかなぁ…、

少しづつ、なにか根本に立ち返ってインプットしてみた方がいいんじゃないかとと感じ始めたのは…。

それでもお声がけしていただいた展覧会は、積極的に参加してきました。

そして、父親の終末期と個展準備とアルバイトに追われた2年間。

2020年の年末まで、ダ〜〜ッと走り抜けた感じでもありました。

 

美術でも様々な世界があって、いろんな場所や美術に関わる人たちとの出会いがありました。

この10年を振り返ってみても本当にいろんなことがあって、一言では言い表せないほど悲喜交々の出来事がありました…。

 

2021年や今年初めにも表立った活動があって、普段はご縁の無いような場所で開催された展覧会にも参加できる機会をいただくことができました。

 

出会いにも恵まれて、さまざまな方々から支えられて活動できたように思います。

今、振り返っても有り難いという気持ちで一杯です。

 

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去年、右手を痛めひどい腱鞘炎になってしまいました。

 

肝心要の右手。

 

なにをするにも利き手だけに、いろいろと苦労しました。

ペンが持てない

車の運転

鍵を回す時にもかなり痛んだり

包丁も使えず、キッチンバサミや切らずに何とかするとか、工夫しながら何とか日常生活を営んできました。

 

だいぶ良くなってきたのですが、絵筆を握るにはまだまだ時間が必要に思います。

 

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去年、ブログでも書きましたが、展覧会が一つ中止になり、もう一つの展覧会も延期になりました。

 

そして、去年は私にとって芸術の恩人のような人が、立て続けにこの世を去りました…。あまりに突然過ぎて、言葉も出ないほど衝撃を受けました。

 

 

2002年から絵を本格的に学び始め、2004年から個展活動を開始。

2011年の震災後から、絵の教室から自立して活動を始めたことも私の中で大きなことでした。

 

自分の展覧会以外は、絵の師でもある先生には、ほとんど会うこともなく、すべて自分の責任で決めてきた10年間でもありました。

 

思い返せば、引きこもりの10代で独学で始めた絵を描く行為。

もともと人に習うことに抵抗があった20代。

しかし、少し手解きを受けないと乗り越えられない壁があるように思えて、ある方のアトリエを訪れたことをきっかけに、出入りを始めた絵の教室。

30代でのめり込んでいった美術の世界。

そして、美術三昧の日々の40代を過ごしました。

 

美術の世界でも公募展など、競い合うような展覧会もありますが、なるべくそういう場は避け、自由な展覧会を選んで参加してきました。

そして、いわゆる固定した団体と呼ばれるグループ的なものにも参加しないできたのも、そういったものに疑問を感じていたからでもありました。

 

私は、小さな頃から、競争が苦手でした。

そして、群れることも苦手。

できればそう言ったのもをあえて避けて、”もっと自分なりに独創的に生きることはできないものか?”といつも試行錯誤してきたように思います。

 

しかし、どこまで行ってもピラミッド型の世界が目の前にあり、避けて通っていたつもりでも、気がつけば、この10年、そういった世界に絡め取られていた部分もあったのだと思います。少なからず影響を受けていたのだと。

 

心の中で”立ち止まってみたら?”という声を聴いていながら、活動を続けることから降りられなくなっていた自分がいました。

 

そんな気持ちに気付き、感じ始めた振り払えない心の虚しさ…。枯渇している自分…。

 

右手が利かなくなって、考える時間ができた時、さまざまな気持ちが浮上してきました。

ただ突き進むことに意味を見出せなくなったと感じている自分に気がつきました。

 

いつの間にか”作家や画家”と呼ばれるようになって、

いつの間にかその”肩書き”という衣を背負っている自分を感じていました。

それは、次第に湿度を含み余計な欲をはらんで、重たくなってゆくのを感じていました。そして、こうではなくてはならないと自分自身をその型にはめるようにいつの間にかなっていったように思うのです。

 

 

去年、芸術に関わる恩人が亡くなって、その生き方を振り返った時、その後ろ姿が何度も思い起こされました。

 

その人達と自分は、まったく違った人間だけれど、なにか受け継いできている要素があるように思います。

そんな中で浮かんできた言葉、

謙虚さ

誠実さ

正直さ

真善美

 

なんの肩書きもなく、なにものかになろうとしないと思った時、そのまんま存在している自分でも、それだけでも十分だと思う気持ちに立ち返ってみることが、やっとできたのかもしれない。

フラットな地平に辿り着いたという見かたもできるかもしれません。

 

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しばらくの間、絵の活動をお休みしたいと思います。

今年7月に予定していた個展も中止にすることにしました。

 

 

タイミングが合って、自分が心からやってみたいと思う時が来たら、自然とその中で動き出す時が来るまで、待ってみようと思っています。

 

それが小休止になるのか、長いお休みになるのかはまったくわかりませんが・・・。

自分のフィーリングを大事にしながら、ゆっくりのんびりマイペースに過ごしてゆきたいと思っています。

 

このような心境に行き着いた私ですが、

今後もよろしくお願い致します。

 

 

 

今の私に寄り添ってくれるような大切な曲。

Tokyo blue weeps

『Ascending Light』

https://youtu.be/LPlhnqXLiS4

 

 

 

ふりかえりのとしのくれ

今年はのんびりしながらもほぼ一年を通して断捨離をして過ごしていた。

ネットで、古着を引き取ってくれる所を探してていたら、古着でワクチンというサイトを見つけて、即、試してみた。

3,000円を払い、クラフト紙の袋が届き、そこへ詰めるだけ詰めて送るシステム。
発展途上国の子供達のポリオワクチンなどにその収益金が使われるそうだ。

そして、断捨離屋さんにも来てもらい大物なども少しずつ処分した。

物のない時代を経て、高度経済成長期という山を登り、辿り着いたバブル経済。流行を追い、モノを買い求めることで自分自身を満たしていた時代の名残が部屋のあちらこちらに充満していた。

旅に行けば記念の木彫りの置物、お人形、こけし、皿、記念写真等々、捨てても捨ててもこれでもかというほど出てくる…。

まだまだ断捨離は、終わっていないが、近代の物質文明の嫌というほど感じた一年でもあった。



今年も展覧会の中止、延期が続き、なんとも言えないいきどおりのようなものをたくさん感じた年だった…。

も〜〜、イヤ〜〜〜〜!!!

の一言の中に抑えきれない大絶叫のような気持ちがこみ上げてきて、その勢いに任せバックパック片手に一人で旅に出た時もあった。



相変わらず旅もしていた。


ニライカナイを目指して、タイミングが合い、飛び立った沖縄との出会いは、私にとってこの上ない発見だった。

観光客の少ない首里城斎場御嶽、久高島。

2度目には、玉城(タマグスク)のある南城市周辺、そして、また、首里城へ。

首里城に一日中いて、スケッチしたりしていた。なぜかとても心安らぐ場所でもある。




しかし、今年後半は、
ゴロゴロ
ゆったり
のんびり
ぼ〜〜として、
すべてを諦めて、
断捨離に次ぐ断捨離に精を出し、
溜まっている本を読んで過ごしていた。
とにかく読んだ


のりこの”の”の字は、のんびりの「の」と言っても言いいぐらい根っこはマイペースののんびり屋の私。

家でまったりしていることが多かった。
まぁ、こういうのが性に合っているという感じでもある。
旅に出るのも好きだけど、家に居るこも結構、好きなのである。

見えないプレッシャーを感じず、
何にも追われない日々は、平和でいい。

何かお声掛けが来るまで自分からは動かないでぬくぬくしていようと決めていた。



そんなゴロゴロ生活の中でも、ひらめきが走る時だけは行きたい所へ行っていた。

偶然、行った先で知り合った沖縄の雲の絵ばかり描いている彫刻家で画家の喜屋武 貞男さんから、自費出版した本が届いたのを機に個展へ出かけてみたこともあった。

小さなギャラリーの壁一面に沖縄の空、空、空、雲、雲、雲。

そして、沖縄にルーツをもつ喜屋武さんのゆんたくが始まり、お手製の横笛と歌声。私は、沖縄の三板、尺八奏者も飛び入りで、ハイサイ、ゆいゆい♪知らない人たちと小さな宴のような雰囲気についつい長居をしてしまった。


そこを起点に10月にある展覧会へのお誘いを受けた。

今年は何もしないでいようと決めていたけれど、2度ほどお誘いを頂き、参加を決めた。

旧作2点を額装し直し、それを運ぶための段ボールを1日がかりでカスタム。
そして、当日、手持ちの搬入、新幹線へ。

新幹線は、早くて楽ちんだなぁと思いつつ、虹を見たり、大宮あたりで、富士山を拝め、有り難い気持ちに。あっという間に東京駅到着。


東京でも開催される場所としては、私にとっては未開の地に等しい所だった。

グーグル片手に歩いていると近くにはマジンガーZのような超合金っぽい都庁がデ〜〜ンと建っていたけれど、興味がないのでスルー。その周辺もハイアットなどの壮々たる超高層の建物がひしめき合っていた。

空を見上げるたびに、いつも地元で見ているどこまでも高く広がる空が、そこではパズルのピースのように水色のかけらみたいに見える。東京の街はどこか記号化され構成され、機能していることを改めて感じたりしていた。

ヒルトン東京の地下にあるヒルトピアアートスクエア。
結局、上には行かず地下を外を行ったり来たりのみ。


格安ゲストハウスとヒルトン東京を行き来しながら、この経済的背景のギャップみたいなものを密かに楽しんでいた。


ホテルに滞在している外人さんがサッとお土産のように作品を買い求めていく姿を見かけたり、ベテランの作家さん達にお会いしたり、また、違う刺激を受けた。

同じ美術という共通項があるからいつも知らない土地の作家さんたちともどことなく自然と繋がりを感じることができる。夜の新宿を歩きながら、ゴチャゴチャした昔ながらの酒場街を歩くのは楽しかった。

様々な地方から集まった49人による展覧会でもあった。

永遠の光

先月、大きな事が事が起こった。


そのうちの一つが3年間、暖めてきた展覧会の中止だった。

今は亡き同郷の作家の大先輩・オノショウイチさんを囲む展覧会『オノショウイチと仲間たち〜パリから仙台へ〜』

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オノさんは、若くしてパリに旅立ちアトリエ17という版画工房で修行を積んでいた。

同じ頃、山口県出身の画家・師井 公二さんもパリへ向かい、絵画の研鑽を積んでいた。
やがて、同じアトリエ17でオノさんと出会い、苦楽を共にし、お互いの作品を交換し合いながら交流を深めていた。


オノさんは、2007年、帰国後、宮城県仙台市にアトリエを構える。
そして2013年、仙台市にあるメディアテークの個展を計画していたものの天国へと旅立つ。計画されていた大規模な展覧会は流れ、ギャラリーSendai Artist Run Placeでの遺作展となってしまった。



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それから8年の時を経た2021年5月。
念願だったメディアテークでの大掛かりな個展が、有志によって執り行われた。


久々に目の当たりにする作品群。
自然光の利いた白い吹き抜けの空間に色彩がスパークするような閃光を放ちながら広い空間を静かに満たしていた。



奥に進んでゆくほどに旧作へと導くようなレイアウト。

円形や半円形のカタチを用いり、時間や空間の動きを独自の視点で捉えようとした試行錯誤の痕跡も生々しい。理知的で即興性にも富むドローイング群が臨場感を持って目の前で動き出し、その動きが止むことはない。ずっと観ていたいという想いに浸りながら、在りし日のその人の仕事に想いを馳せた。


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私とオノさんとの出会いは、2000年代に入ってから、地元・亘理の鳥の海温泉という施設に飾られていた一枚の版画を観たことから始まった。亘理町出身でパリやニューヨークで活動されている芸術家という説明が添えられていた。小さな田舎町からもこんな仕事をしている人がいるんだぁと思った覚えがあったが、名前までは覚えていなかった。

その後、2013年、オノさんが亡くなった年のオノさんの個展(遺作展)を観た。
その作品を初めて観た時の衝撃は、未だに忘れる事ができない。彼は、私にとっても特別な作家になった。以前、温泉に掛けられていた作品と同一人物の同郷の作家であることが判明し、驚嘆しながらもオノさんの奥さんとの交流も生まれた。


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2016年、私は、初めてパリを訪れ、グループ展を行った。
その際に来場していたパリ在住の画家・師井公二さんと知り合い、その後も交流を重ねていた。

師井さんから日本での展示の案内状が届きそこへ向かおうとした時、なんとなく手にしたオノショウイチさんのリーフレットの中の経歴と年表を見ていた。オノさんと師井さんの世代が近いこと、そして、パリに滞在していた時期が重なるのでは?とふと思い、ダメもとで一冊、このリーフレットを持って出掛けてみた。

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いざ、個展会場へ向かい、初めて師井さんの琳派をテーマにした作品を鑑賞した後、持ってきたリーフレットを見せるとオノさんのことを知っている事が判明。同じ版画工房アトリエ17で共に版画制作に励んでいたというではないか!素敵な偶然に嬉しくなり話が弾んだ。

それから数年後、仙台を訪れた師井さんと何か展覧会ができれがという話になり、”パリと仙台”というテーマで、オノショウイチさんへのトリビュートの意味合いも兼ねた展示を2020年5月に行う予定を立てた。

その後、パリ、東京、宮城と連絡し合いながらフライヤーの制作に入った。オノさんのパリ時代の友人お二人のさりげない想いが詰まったテキストも用意され、師井さんと私もオノさんへの短いテキストを書いた。経歴や写真などのレイアウトが決まり原稿がOKになりいざ印刷へという昨年3月、新型コロナウィルスの影響が広がり始め、展覧会は延期になり、2022年5月へと会期が伸びた。


(延期を決めた頃の心境↓)
noriko-takahashi.hatenablog.com




その後、いろいろと諸事情が重なり、連絡を取り合う中、悩んだ末に中止を決めた。


萎える心を抑えながら方々に手紙やメールを書き、中止の伝達をし終え展覧会に関わることは完了した。
 

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8年越しで開催されたメディアテークでの展覧会。

オノさんの世界観が絵画の光によって解き放たれ、その色彩の周波数は永遠の彼方までこだましているかのようだった。


「オノさんはもうこの世にはいませんが、オノさんの生まれ故郷で絵を描いている私を空の上から見つけてくれたのかもしれません。そして、パリという異国の地で同じ版画工房で共に制作していた師井さんに会わせてくれたのもオノさんだったかもしれません…。」

(『オノショウチイと仲間たち〜パリから仙台へ〜』フライヤーより。text・髙橋 典子)

2021.6.21 江ノ島

夜の海って、怖いよね…

 

昼間の青い透明な海
打ち寄せる白波
真っ青な空

何もかもが青く輝いて
朧げに境界線を別つ水平線

空を流れる雲を目で追いながら
自由や解放感を味わい、
ホッとできる場所なのに…

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夜の帷が降りると、その情景は、一変する。


闇が覆いかぶさるように海を侵食して、淘汰してゆく
満潮になった潮水が黒光りしながら蠢いている。

 

去年の冬至の夜にもこの橋の上にいた。

 

遠く弁財天が祀られている神社がライトアップされる。その江ノ島へと架かる橋の真ん中で、足を止め、目を閉じてその波の音を聴いた。

 

暗く沈んだ闇の中で、足元から響く、
ゴォォォ、ゴォォォと押し寄せてくる波の音に足がすくみ身体が震えた。

 

けれど、この臨場感は、私の心を掴んで離さなかった。


怖いという気持ち・・・、


だけど、本当は大切な気持ちなんじゃないかって。

 

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その中には、あるがまんまの音がする。
むき出しの自然音。

それを全身で浴びるように聴く時、

自分の体内にあるなにかと共鳴し合ってると感じながら。

 

とっても根源的な何か…。
ずっと太古の昔から響き続ける音。
深い深い共鳴…。

 

身体の微細な構造と水の構造は、どこか共通した音や形があると思うから。

ゾクゾクしながらも、どこかで通層低音みたいに流れている太古の響きがあるような気がする。

 

そして今日は、夏至

また、一人、ここに来てしまった。

深い夜の海へ、
この橋へ。

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そして、念願の竜宮城のような島泊。

 

沖縄に行った時みたいに海鳴りはしないけど、
弁財天のお膝下で眠りにつけるなんて夢のよう。

龍たちに見守られながら…、

伝説の島の静かな夜。

 

一人なんだけど、全然一人じゃない感じ

導かれ旅❷〜久高島〜

斎場御嶽を出て、港へと続く道を30分ほど歩いた。

久高島へ渡る前に少し遅い昼食をと思い、やっとたどり着いた港付近の小さな食事処へ。



『大和から?』と地元のおじさんに声をかけられた。


YAMATO


旅の友と目を見合わせ「??」と思いつつも、内地のことを”大和”と呼ぶということにすぐに合点し、”はい!”と返事を返した。日焼けした琉球のおじさんのくったくない笑顔と距離の無さにほっこりしてしまい、そのおじさんと同じ琉球名の雑炊を頼んでみた。少し離れた席に座っていたのに、そのおじさんはその雑炊の食べ方まで教えてくれた。雑炊を啜っていると、1人のお婆さんが入ってきておじさんたちと会話し始めた。小柄だが彫りの深いくっきりとした顔立ちのおばあさんは久高島の住人だった。真っ赤なハイビスカスのような大きなフリルの付いた化繊のブラウスが印象的だった。その人が「何か食料買っていった方がいいよ」と声を掛けてくれた。


見渡す限り、小さな商店もコンビニも無い。

船着乗り場に小さな売店でパンが売っていた。大きなパンを2つ買い込んで、素泊りの宿の2日分の朝食にあてる事にした。大きなパンなのに230円という破格値!九州のスーパーも食品が安くてびっくりしたことがあったが、沖縄でも!


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そして、フェリーに揺られて辿り着いた久高島。

そこは、"神の島"と言われている。


気がつけば、私は、いつも島を旅している。

島には独特の空気感がそれぞれにあるが、”神の島”と評される島ということでちょっと緊張していたが、そんな不安も潮風に吹かれたらゆるゆると解けていった。


大きな波がその島を越えていったという逸話が残っているほど細長くまるで龍の細長い身体のような小さな島。山もなく平らな平野に現在は200名ほどしか住んでいない。

ブロック塀も含め、新旧の石垣が並ぶ、平家がほとんどだ。家の前には魔除の小さなシーサーが阿吽の姿で対になり鎮座している。

開けた人の住むエリアはほんの少し。聖域も多いからか、一部に密集している。




宿を探している間に少し道に迷って、浜沿いの道の方へ歩いてしまっていた。

道は舗装してあるものの、すぐに緑が深くなり、”あっ、ここからは聖域だ!”と勘が働き,引き返えすことに。



民宿は、民家の四畳半を間借りする感じの素泊まり。
飾り気のないありのまんまの日常生活の空気感漂う共有スペースに、親戚の家にでも来たような気分。



島に数件ある食堂から民宿の主人のおすすめのとくじんという店に向かった。

やはり、ここはとりあえずビールということで、オリオンビールで乾杯。

二ガナ定食という聞き慣れない名前の定食を頼んだ。

『御膳本草』と呼ばれる薬草・二ガナ。緑の葉を千切りにしたものを生の魚とザックリと和えたごくシンプな和物。

海藻を揚げた天ぷらとおひたしと味噌汁と白米。シンプルでローカロリーなのに体に良さそう。

二ガナは名前そのまま、良薬のように結構、苦かったが、癖になる味だった。

いつもは一人旅のことが多い私にとって、この場をわかち合うことができる友がいることも、とっても思い出深いものとなった。

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夜になり、畳敷きの民宿で横になっていると開けっぱなしの網戸越しに夜風の音と共にゴォ〜、ゴォ〜という音が聴こえてきた。

なんだろう?

目を瞑って、じっと耳を澄ませていたら、ハッ!と全身で感じるように気がついた。


それは海鳴りだった。


2、3件家を隔て浜へと続く道には、野生のフクギというちょっとゴムの木に似た防風林が密生している。そこを越えれば、すぐに白い浜辺へと続く。
なんて自然と一体となった暮らしなんだろうと思いながらも、とても懐かしく感じた。

そして、海鳴りの揺り籠に揺られながら、その音にいだかれながらいつの間にか眠ってしまった…。