My Horizon

絵を描く日々や私の日常をつれづれなるままに、言葉と写真で紡ぎます。

断捨離〜揺れた後で思うこと

断捨離、続行中。
そう、それはなかなか終わらないもの。

清掃センターへも6回目。


不用品の搬入は、降ろしてしまうと呆気なく終わるのだが、車一杯に荷物を運んで行くまでが大変な労力。
ちょっと億劫な作業で、「よしっ!!」と思った時に行かないと永遠に行けないくらいタイミングを逃していしまいそうになる。

地震前から続いている作業だったけれど、地震でハッキリと手放すものが見えてきて、今まで躊躇していたものにも切り込んでいくように細かくリサイクルできるように分別する過程に移った。


その中でも観音開きの押し入れの奥に眠っていた七段飾りの雛人形にはなかなか触れられずにいた。

祖父母の思い、
両親の思い、
思いが相当に重い。


何年も飾っておらず、
実際、嫁にも行かず
気ままな一人を満喫(笑)

なんとなく雛人形の備品を触っていると感じた事があった。
これは、実際、母にとって大切なものだったのではないだろうかとふと思った。


母の願いを叶えてあげられなかったことへの負い目がだいぶ私の中でくすぶっていた。
母の期待に応えてあげられなかった事は、時として私の罪悪感になったりもして・・・。

母が亡くなってから、自分から雛人形を飾ろうとは一度も思わなかった。
雛人形を見るとなんとなく私の中で罪悪感を感じてしまうような気がして、
押入れの奥に押し込んで、そこには触れないようにしてきたのかもしれない。


開かずの間。
それは心の中にもある。


そこに触れていく作業が物理的にも始まったといってもいい。
かなり捨ててはいるつもりだけれど、まだ、終わっていない。
そこには触れたくない過去があるのかもしれないけれど、いつか対峙しなければいけない場所でもある。

だけどね、いろいろあるけど、私はこれでも幸せだと思っている。
一つ一つ手放して行く事が、私自身を生きることにも確実に繋がっていると思うから、だから、ありがとうと言って、手放してゆこうと思う。
家にあるものみんな背負って歩いては行けないからね。
記憶の中にあれば充分だよね。
自分の今後の幸せに続いている道程のような気もする。

だから許してね
じいちゃん、
ばぁちゃん、
お父さん、
お母さん、
いろんなものを与えてくれて”ありがとう”と伝えながら。


しっかり感謝とお別れを告げて、空間を整えて行く作業が、今の家に対して私なりにできる事だと思う。


地震があって、壊れたところもたくさんあるけど、
すっごく疲れ果てて、お先真っ暗で、あまりにも続く余震に、辛くて、もうイヤ!!と叫びたくもなったけれど。


もう一方で、少し落ち着いた夜に、
こんな気持ちも湧いてきた。


私ってある意味、幸せなんじゃないのか?って。

激しく物理的に揺さぶられて、
動く地面の振動を全身でめいいっぱい感じて、
より明確に物事がクリアに見えるようになって、
ハッと目が覚めるような自分をリアルに感じていた。

それは、よりクリアに自分の人生を選択して行くために起こっていることでもあるんじゃないかとも…。
この地震は、とっても怖かったけれど、自然からの”激し目のメッセージ"でもあるんじゃないかとすら思った。

地震が起こった事で、いろいろとやらなければならなくなったことも増えたけれど、
時間をかけてやってゆけば、きっと現状は良くなると思う。

ゆっくり、
無理せず、
マイペースに、
コツコツと・・・。



人生は、何をするにもいつもコツコツが基本だね。

・゜゚・*:.。..。.:*・' .。.:*・゜゚・*

断捨離中によく聴く藤井 風くんの曲。

特にこの曲を聴いていると何度も込み上げてきちゃう…。

この世を去る人と
この世に残る人の気持ちが
交差する曲。

『帰ろう』
藤井 風
https://youtu.be/goU1Ei8I8uk