My Horizon

絵を描く日々や私の日常をつれづれなるままに、言葉と写真で紡ぎます。

Wild Wood

長い長い一か月間だった。


自問自答することが起こり、自分の気持ちと起こっていることとの折り合いがつけられないまま、
深い森の中に迷い込んでしまったような感じだった。

そのためか身体もそれに呼応するようにあちこちが痛み出し、不協和音を奏で、なかなか不調から抜けない月でもあった。



それでも予定していた通り、外に出て、人に会い、話しを聞いてもらいながら、解決の糸口を探そうとしていた。


なかなか制作もままならなかったけれど、単純な作業だけは少しずつ進めながら、焦る気持ちを紛らわせていた。





そんな中、SNSを見ていたら、ポールウェラーとブラッドピットの2ショット写真を見つけた。
久しぶりに見かけた元気そうなポールの姿…。


ポール・ウェラー

U・Kパンクが生まれたロックシーンの中、当時のModsたちの象徴的バンドだったThe Jam、その後のスタイル・カウンシル、そしてソロ活動と現在もバリバリに活躍しているイギリスロック界を代表するアーティストの一人である。



20年以上前に、仙台でもライブが行われた。

そのライブがあまりにも熱くエモーショナルで、全身全霊でパフォーマンスする彼の姿に感動して以来、彼の音楽がとても好きになった。

彼の音楽センスもコード進行もシンプルでスタイリッシュなところもツボってしまう。

シルバーヘアになった今でも変わらないカッコよさがある。

カッコイイ人はどこまでいってのカッコイイのだ。





たまにすごく聴きたい彼のアルバムがあり、引っ張り出し、ターンテーブルに置く。



「Wild Wood」


”自分が落ち込んだ時にいい曲が生まれてくる”
そんなインタビュー記事を読んだ記憶がある。


”よじ登れ、トライし続けろ

深い森から出口を見つけ出せ

正義なんて どこにもないし

自分自身を信じてゆくだけなんだ”




ポールが自分自身へのエールみたいに書いた曲だったのかなぁ・・・そんなことを思わせる歌詞。それはきっと聴き手の胸にも届いていることだろう。


やっぱりこのこの曲が、好きだ。

「Wild Wood」
https://youtu.be/YeEsI5OZ3No

ターザン・ガール¿!

事務仕事、PCの前、貼り付けの4時間×2セット。 

いつも動いてるバイトが多い中、

机の前に拘束されてるのが耐えられなくて、

公園に逃げ込んだ昼休み。

 

自分の中の元気なエネルギーが抜かれ、萎えそうで、仕方がなかった…。

 

 

思わずブランコに乗ってしまった。

 

いい大人が…、

とかそんなことどうでもよかった…。

それぐらい、モヤモヤしていた。

 

 

身体が浮く感覚。

 

そして、前後に揺れるちょっとしたスピードがふっと新しい風を身体の中、吹き込んでくれた。非日常的な感覚を取り入れないとやり切れないほど追い込まれていたんだ。

 

そんな中、ふっ〜〜っとよぎった曲が岡村靖幸の「ターザンボーイ」だった。

 

アタシはボーイじゃないけど、

なんか共感しちゃう曲。

 

ガールって歳でもないけどね(笑)

 

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(あぁ、懐かしや横尾忠則さんのターザン)

 

 

私の掌に横切るマスカケ線。

 

古代の人間が持っていた身体感覚を持ち合わせている証拠らしい。野生的な感覚がまだ残っているってことだ。ちょっと特殊体質なとこもイヤってほど知ってる。

 

現代は、ホント、人の野生とかを骨抜きにさせて成り立っているようなところがあるからね…。牙も抜いて大人しくしてるのが安全圏で、安泰なんだろうけど…。

 

それでいいの?と言う自分がいる。

 

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(去年、加計呂麻島の寅さんのガジュマルの樹の下で、偶然、ターザンガールしてた。笑)

 

自分の野生を押し殺して、封じ込めてもやっぱりはみ出ちゃうよ…ね(笑)

 

今日もターザンボーイを聴いて、出かけよう

センチメンタル・ウォーク

時々、人当たりする事がある。

いつも人に囲まれ続けていると、

ひどく、とても疲れてしまう…。

 

 

一人になりたくて、

静かな時間が欲しくて、

近くの公園に駆け込んだり、

時には、身体の調子が悪くなり、

ベッドの中、深く潜り込むんでしまう時もある。

 

 

 

一人きりの時間が私にはご馳走のように思える。

 

 

 

静寂。

 

 

 

自分の内部をとらえる時間。

自分を肥やす時間。

一人でいる事、

それは、孤独なことだけど、

至福の時間でもある。

 

 

そんなことを考えていたら、昔、観た映画の中、流れていた曲を思い出した。

 

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映画『DIVA』

録音した肉声を封じ込めることを嫌うオペラ歌手とその歌手に恋い焦がれる青年。

コンサート会場に持ち込んだ青年のバイオリンケースの中には、精巧に仕掛けられた録音機が…。

パリを舞台に、盗聴ととある事件が絡まり合うラブ・サスペンス。 

 

十代の頃、原作が面白くて一気に徹夜して読んでしまった記憶がある。

 

 

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この映画を撮ったジャン=ジャック・べネックス。

彼は、後に女性達の熱烈な支持を受けた映画『ベティー・ブルー』を撮った監督でもある。

男と女のパッション(情熱/受難)を鮮烈に描いた問題作。

アムールの国、フランスらしい作品でもある。

 

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この映画も何回、観たことか…。

ティーの相手役を演じたジャン=ユーグ・アングラードにも恋をしてたっけ…。

 

 

べネックス監督の作品の特徴、それは、ブルーを基調にした色調と抜群の構図の美しさがとても冴えていて、音楽もなかなかよかった。

 

 

この映画『DIVA』の中、象徴的に使われている『センチメンタル・ウォーク』、これも繰り返し聴いた曲。 

https://youtu.be/lN_8qFinDBM

 

映画の予告編を観ていたら、なんだか懐かしくなった。

 

ブルーに染まる夜明けの街の空気。

地下鉄のどこまでも続く白いタイル。

グリーンの車体の古い電車の手動式の鍵を勢いよくガシャンッと開けた時の小気味良い音とちょっとした喜びが自分の中にも蘇ってくる。

https://youtu.be/Lugx0xX2G54

 

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また、2月が近づいているからかなぁ…、

無性にパリに行きたい…。

 

Out of Blue

19歳の1月の始め。

その頃、大好きだった岡村靖幸くんから貰った一輪の薔薇の花が、窓際から、消えているのを発見し、大泣きした覚えがある。

 

コンサートで三列目通路席をゲットした私は、ガンガンに踊っていた。

その頃、コンサートでは。恒例の薔薇を観客席に差し出すようなファンサービスがあった。

 

踊っている私に微笑みながらふっと薔薇を投げてくれた岡むりん。私は見事にそれを手にした。

 

その薔薇を風通しの良い窓際に置いてドライフラワーにしょうと思っていたら、その薔薇は、風にさらわれ何処かへ消えてしまった…。

 

その悲しみを引きずってその年は過ごした記憶がある。

 

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Out of Blue

 

眠れないまま朝を迎えた空の色や空気までが真空パックのようにこの曲の中、すっぽりと収まっているみたいに、今でもそう感じる曲。

 

自分の中にある隙間を埋めるようにヘッドホンで全身を塞ぐようにこの曲を聴いていたあの頃。

 

※もし君が泣いてたなら I give you my love
今すぐに君のもとへ I give you my love
痛みかかえて闇を越えてゆく my girl my girl※

 

やるせなく、切ない気持ちが込み上げてくる。

 

 

今もこの曲だけは、ダウンロードしてスマホの中に入っている。引きこもって、なかなか行動する事が苦手で、石橋を叩き割ってしまうほど、怖がりで疑り深い子供だった。そんな自分にいつも苛立ってメソメソしながら、この曲を聴いて、気持ちを奮い立たせていた。

 

今も私の中でその頃の鮮度で、気持ちを高めてくれる大切な曲。

 

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年末の疲れもいえぬまま、また、風邪を引き寝込んでしまった。

 

生活のためのアルバイトと家の事、

その合間をパッチワークのように縫い合わせて紡いた時間を制作にあてる日々。

 

家の掃除をして疲れ果て、部屋に戻ると、そこだけとっ散らかったまんま…。

 

今も昔も時間とお金のやり繰りはなかなか難しい…。働き過ぎれば、制作の時間がなく、時間に余裕があるとお金の心配が頭の中から離れない…。

 

 

 

身体の芯から冷え切って固くなった身体を感じ、この冷えは、緊張からきているのだなぁと感じていた。

 

弦を緩めてごらんとお風邪様は、私に語り掛けてくるようで…。

 

風邪は、一つのデトックスでもあるけれど、心を見つめる時間をいつも与えてくれる。

 

 

 

今年はめいいっぱい予定があるようで、そのプレッシャーは、常に影法師のようについてくる。

 

状況は、変化すると知っている今の自分がいれば、なんとかやって行けるのかもしれない。

 

そして、周りの人に助けてもらいながら、進んでゆくしかないのかと…。

 

自分の心を見つめながら、経験が滋養になり

深い泥のうねりの中、自分なりの花を咲かせるように…。

 

泥の中、答えを手探りで探しながら、今年がどんなものになってゆくかは、天に任せて、ただ、目の前のことを黙々とこなしながら、ただ手を合わせるしかない…。

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ワイルドサイドを歩け

新しい年が明けた。



元旦の深夜。

宴の後の余韻もほどほどに、

ほとんど車の走っていない仙台市内の大通りを一人走り抜ける。

身体を駆け抜ける疾走感。

カーステレオからのマイケル・ジャクソン

頭の中、渦巻く計画の予定。

そして、不安と緊張の中、芽生えるワクワク感…。

心臓に悪いことを十分、承知で挑む試み。



記憶の奥底で、時々、一曲の歌詞が語り掛けてくる。

ニューヨークパンクの巨人・ルー・リード


ちょっとヤバイ世界を歩いてみないか…。


語り掛けるようなルーの歌声に、時に、癒され、心問われる。

https://youtu.be/oG6fayQBm9w

nice cover ⭐︎Suzanne Vega
https://youtu.be/AU1GQYPqrQ0


今年も展覧会の予定があります。

順を追って、少しづつお知らせできればと思っています。

今年もどうぞ宜しくお願い致します。

2020.1.2

Noriko

私の名を呼ぶ、その声が…

猫が飼い主を呼ぶように少し甘えた声で、

生前、母は、階段の下から

「のんちゃん、のんちゃん…」

と私の名を呼んだ。

 

2階にある私の部屋には、ある時期から、階段の掃除の時、意外、ほとんど誰も階段を登ってこなくなった。ほとんど部屋には誰も入れなかったし、今も入って欲しくないという空気を発していると思う。

 

 

 

 

のんちゃん

 

 

最近では、もうほとんど呼ばれなくなった呼び名。小学生の頃は、みんなにそう呼ばれていたのになぁ…。今は、それに近い呼び方で、父が"のんこ"と呼ぶくらい。

 

 

社会に出てからは、当たり前だけど"髙橋さん"、一辺倒…。

 

自分の名前もそこら中にある平凡なものでしかなく、正直、あまり好きではなかった。

 

 

 

しかし、画家としての活動をしてゆく中、震災以降、なぜか典子さんと呼ばれることが増えた。最初は慣れなかったけれど。

親しい人は、愛情を込めて、呼び捨てにして呼んでくれる人もいる。

 

 

 

 

自分の名前は、一つだけ。

 

 

ある日、「子」の字の成り立ちについてある記事を目にした。

 

物事の始まりとしての「一」と物事が完結する「了」が組み合わされできた字だと知った時の小さな驚き。そこに潜む意味合いの中に小さな宇宙を感じた。

子の字は、なんとなく古めかしく硬い印象があったけれど、目からうろこが落ちるような気持ちになったのを覚えている。

 

 

 

 

 

母の七回忌が終わった。

 

去年するはずだった法要が、さまざまことが重なり、今年になってしまった。

みんなで経典を読みながら小一時間の法要が無事に終わった。

 

なんだかやけにホッとした。

遅くなってしまったけど、やっとできたなぁっと、肩の荷がおりたような気持ちになった。

 

 

 

 ホッとして、なんとなく思い出した母が呼ぶ私の名前。 

 

階段の下から「のんちゃん、のんちゃん…」

とう声は、もう記憶の中にしかない。

 

 

その声を思い出したら、目頭の水平線が熱く、にじんできた。

想いは取り留めもなく溢れ出し、得体の知れないさみしさが押し寄せてきて、真夜中の闇の中、うっすらと広がり、湿り気をおびた空気になった。

 

 

 

 

母と私の関係は、けして平坦ではなかった。

さまざまな葛藤がお互いの中、渦巻いていたと思う。

 

普通を望む母と型を嫌う自分。

 

お互い混じりあえないところもあった。

好きで嫌いで、でもやっぱり好きで…。

 

今も複雑な感情が時に呼び覚まされて、幼児のような心がよみがえってしまうこともある。それくらい母親の影響というのは強烈なものだ。

 

 

けれどそこから抜け出して、自分という一人の人間になることが大切だんだと今はそう思う。

 

 

 

 

私は知っている。

 

今、私がしている

絵を描くことも、

文章を書くことも、

旅をすることも、

 

全部、母もやりたかったことなんだと。

 

そのことを続けることによって、なんらかの供養になればと……、

 

そんな言い訳を用意する自分に苦笑いしながら…。

 

 

立てる雄牛

白ずくめのシンプルないでたちで、白いドラム缶と共に美術館にパフォーマーとしてやってきた。

 

初めて彼に会った日、

得体の知れない不思議な男、

そんな印象を持った。

 

 

その不思議な印象は、その後も続いた。

 

去年の舞台・歓喜咲楽、

そして、展覧会・歓喜咲楽〜cosmic harmony〜

でさらにご縁は深まっていったが、謎は深まるばかりだった。

 

 

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やっていることは極めてシンプル。

 

墨と水と和紙による

抽象的な痕跡が連なる作品群。

 

 

 

芸大の油画科に属しながら、

空手に明け暮れ、

世界を放浪して、

インドでの太鼓修行、

そして、パリで空手教師に…。

 

やがて、フランスのラスコー洞窟の壁画の研究に明け暮れ、独自の造形思考に辿り着いた。

 

すべての造形物の中には、牛の像があり、それは万物の成り立ちに深く影響していると。

 

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そんな彼が行き着いた先が、空間芸術だった。

 

パフォーマーとして、その空間を最大限に使いきること。パフォーマンスするその一瞬に噴火するように炸裂すること。

 

 

あくまでシンプル、

シンプルに、

シンプルに…

 

そんな言葉が私の脳裏に焼き付いた。

 

 

 

 

でも、まだ、わからない…

ジェントルマンでありながら、その内に狂気を孕んでいる。今もなお…

 

 

一体、お前は何者なんだ、

 

大串 孝二…

 

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