去年の2月にもらった言葉が、身に染みる今年3月。
「老いてなお花となる」というタイトルを新聞のテレビ欄に見つけた。なんとなくタイトルに惹かれてテレビをつけた。
俳優の織本 順吉さんが92歳で亡くなる前までを克明に映像作家の娘さんが撮ったドキュメンタリー。
3夜連続の2本目と最終章を見た。
織本さんは、脇役に徹してきた俳優だった。
娘さんの中村 結美さんが4歳の頃から家にはほどんど帰ってこない生活が続いていた。
そんな父親を半分憎む気持ちで、仕返しのような気持ちで、カメラを回していたという。
亡くなる間際、病室の織本さんの表情がやけに美して、描きたいと思わせるようだった。
画家のバルデュスにも似たような人間の最後の色気というようなものを強く放っていた。
最後に娘さんに対する深い愛情と感謝を吐露する真実の姿も垣間見せながらも、カメラの前で、最後の最後まで俳優として演じ続けていたのかもしれない。
介護には鬼気迫る時が、幾度と伴く訪れるのが見て取れる。
この番組でもそう言った場面も包み隠さず映されていた。
共感しながら、胸が熱くなった。
何も言わなくても充分に解り得る心情とそのやり切れなさに…。
ありのままのその人がむき出しになって出てくる老いの姿。それは本当の人間の姿なのかもしれない。
見上げるほどに強くて大きかった自分の親なのに、老いというものは、どんなに健康な人にも等しく、確実にやってくる。
最初は理解できず、その現実を受け取ることが怖くて、抵抗したりしていたけれど、年々、ゆっくりとなってゆく動作やできなくなることの多さに戸惑いながらも諦め、受け入れてゆくしかないものだと…。
たぶん、当の本人も今までできたことができなくなることに愕然として、戸惑い、落ち込み、老いという現実を受け入れてゆくのだろう。
バッテンだらけの手帳。
身内の急な入院。
家族なのに面会もできないという状況。
そして、友人が出国出来なくなったこと…。
いろんなことが立て続けに起こって行く日々。
でも、この状況下で、私だけがそんな思いをしているわけではないから…と自分に言い聞かせながら。
ジャガイモを植えるために鍬を持ち、土を耕す。
負けてたまるかよって思いながら、鍬を土に食い込ませる。硬い土がザグザグ音を立てながら崩れてゆく。灰色した土が掘り起こすたびに黒い色に変わってゆく。そこに玄の色を見つける。そこに真っ白い石灰を撒いて、しばし寝かせる。
鍬を使いながら、生きるってこういうことなんじゃないかって。この状況でも、生き抜く術を自らが開拓してゆくしかないと春の大地の匂いを嗅ぎながらそう思った。
そして、起こったことを面白がり、楽しむこと。
出来る限り、それを忘れないようにしようと思う。
去年、沢木 耕太郎さんが私に書いてくれた言葉が、ひとつのメッセージみたいに思える。
in your own way
in my own way
私のなりのやり方で…。
やってくる事に対して、受けて立つ。
ジタバタしながらでもね。
「宿命」髭男
https://youtu.be/-kgOFJG881I
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•
今月のノリコラムもよかったらどうぞ✍️
NORI COLUMN Vol.25
「海辺の定点観測/私的・日常の考察」
http://www.oyakamekokame.com/blog/archives/7770
ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•