20数年ぶりに降り立った大阪。
今回は、中心部は、スルーし、電車とバスを乗り継いで、山の手のお茶屋さんまで向かうことにした。
古い建物にカフェや民家が並んでいる。その中に目当てのお店はあった。
瓦にお店の名前が書かれてある看板らしきものがぽつりとある。
茶小屋 李舟。
店内へ入ると襖を取り払った店内は、思った以上に広かった。
自らカスタムした土壁や床の板。
今も少しづつ改装しているという。
中国茶、インドのお茶、ミャンマーのお茶…。お茶に魅せられて、お茶を探して歩き回って、見つけた茶葉たちとお茶の味を変えてしまうほどの影響力を持つ土の力が宿る急須。
根っからのお茶の探求者のような店主さん。
白湯が美味しことは十分承知していたのだが、これほど甘い白湯があるとは…。それだけで、至福な気持ちになる。
お湯をゆっくりと沸かすことで、その中にある水の細胞もゆっくりと目覚めざめを知るのだとお話しされていた。
店主と一対一で、お茶と向かい合うひと時…。
自分の欲しているイメージを伝え、そのイメージに寄り添うようなお茶を選んでくれる。
どんなお茶が出てくるのか、わくわくしながら待つ。
ふと、千利休が作った茶室のことを思い出した。
そこはとても狭くて、仄暗く、無駄な調度ははぶかれ、自らの侘び寂びの世界を極めた空間。それはきっと自らの精神に潜り込むための演出だったに違いないと思った。
この空間にもどこか似た感覚があるように思う。
陰翳礼讃を愛してやまない私にとって、仄暗い室内ほど魅力的に映るものはない。
店主の方と2人きりで、お茶のエネルギーを口から含み入れ、体内の闇のなか落ちてゆく茶の雫が内臓の宇宙に広がってゆく様をゆっくと味わった。
言葉すら、無用になる。
無言で微笑み返すだけで、通じ合えるしあわせ。
目を閉じて味わう、
闇の中の一期一会。
余韻の音をずっとどこまでもきいていたかった…。
店主さんもとてもゆっくり話される。
現代の感覚からちょっと、ズレているとおっしゃられていたけれど、でも、それでいいと思う。
これだけの自分の世界を作り上げようとしているのだから…。
このゆるやかな時間の流れは、すっかり現代人が忘れ去ってしまったものだろう。
時間泥棒がいたるところにはびこるこの世の中ゆえに…。
自分に浸水する時間すら意識して作らなければならない。
この短い旅では、大阪や奈良を周り、
自分の好きなこと、興味のあることを活かしながら、自分の空間や暮らしを作っている人達と出会ってきた。
なんかみんな、生き生きしていて笑顔がとっても素敵な人達だった。
私も笑顔でお返しできたかな…。
相変わらずバックパッカー的な旅だけど、でも、動くと動いた振り幅以上のことが起こるから不思議だ。
だから、本当に行きたいところ、逢いたい人がいるのなら、ちょっとがんばってでも行ってみる。
自分の気が落ちていれば尚更のこと。
動くことで自分の流れを変えることができる。
愛情をたっぷりもらったように思う。
私も模索したい。
もっと探求したい。
旅を住処としたい。