「風景が人を殺す。」
能楽堂の仄暗い舞台にカントリー&ウェスタンが流れる中、津村禮次郎氏のナレーションが響く。その中でこの言葉だけが、頭の中に残った。
アメリカの生あたたかい影がゆるやかに浸透し、この地の土壌の中、深く染み込んでいった。
土地も精神も知らぬ間にそんな文明に犯され続けた果ての今…。
喪失と
迷走と
困惑と
暴走と…。
「生まれることはの反対は?」
「殺すこと…。」
やり切れないほどの空虚な影が、
大量消費ときらびやかな生活に紛れて、
引き金を引くまでの時間。
津村禮次郎氏と笠井叡氏、2人合わせて150歳の舞台。
アメリカの作家エドガー・ポーの『大鴉』のテキストにインスパイアされた作品でもある。
伝統的な能舞台の上で舞、踊り、床を踏みしめる姿は、どこまでも瑞々しくほとばしり、型破りで、実験的。
長年のキャリアの熟練と洗練とが伴う優雅さを身に纏いながら、淡々粛々と演じられていく舞台『never more』。
昔、作家・藤原新也 氏の描いた本「アメリカ」という本を読んだ時の全体を覆っていた得体の知れない空虚感を思い出した。
真空の空間に投げ出された"いのち"が所在なさげに人生を持て余す。そんな生きている時間の隙間を満たすツールとして、アメリカで生まれたのがパーソナルコンピューターであり、インターネットというシステムだったというくだりに、妙に納得したのを思い出した。
バーチャルリアリティやソーシャルネットワーキングがある種、現代の救いになったのだと。
発信すること、そこで人から承認されることに一喜一憂しながらも、それでも自分の中にある渇きを満たすほどには至らないこの世界で、スマホを握り締めた迷子のような人の群れが日々、ざわめいている。
液晶画面に目を落としたままでいるのは、目の前の風景を忘れるためだろうか?
野球帽と白いナイロンの上下、
ラッパーのような出立ち。
テクノミュージックとドレスで着飾り、
早変わりのテンガロンハット。
能舞台でライフルをぶっ放す津村 禮次郎、
倒れる笠井叡。
暗転した暗闇に響き渡たる銃声が、
今、生きている瞬間をここに刻みこむようかのように記憶の奥底にまで貫通した。
深い影がやがて、闇と化し、静かに土壌の中、さらに沈み込んでゆくのを感じた。
ベテランの舞い手の貫禄と斬新な試みと深く澱んだ時代の暗闇を覗き込んだような夜。