私が、いつも惹かれていたのは、なぜかいつも中性的な人物。
性の境界線を軽々と飛び越えてしまったような人たちに憧れを持っていた。
1人の人間としての凜としたたずまいを持った女性には、特に惹かれた。
幼い頃の記憶では、手塚治虫さんの漫画なら、メルモちゃんも好きだったけど、リボンの騎士のサファイア。
少女漫画ならダントツ、”ベルバラ”こと「ベルサイユのバラ」のオスカル。
フワフワのドレスのマリーアントワネットよりも男装の麗人に憧れた。
18世紀のフランス。
フランス革命時を背景に、男社会で、男装をしてまで生きなければならなかったオスカル。
そして、オスカルの幼馴染みでもあり、同僚のアンドレが大好きだったので、オスカルとの恋の行方が気がかりで、わずかの時間、二人が結ばれた時のシーンは、今も覚えている。悲恋だったけれど、恋愛を超えて、同志としての友情の姿に心惹かれていたのかもしれない。
ある日、ラジオから流れてきた一曲。
稲妻が走るような衝撃を受けた。
70年代にアメリカで生まれたニューヨークパンクの女王であり、詩人。
去年、ボブ・ディランがノーベル賞を取った時、彼の代理でパフォーマンスして報道されていたので、目にされた方もいるだろう。
インターネットもない時代。
彼女のことが知りたくて、持っていた音楽雑誌を片っ端から開き、彼女を探した。
ようやく見つけた小さな写真の切り抜きを大事に持っていた。
恋人でもあった写真家ロバート・メイプルソープが撮ったポートレイトのデビューアルバムのジャケット。
男とも女ともつかない中性的な容姿。
圧倒的な歌声。
マシンガンのように言葉の弾丸を打ちまくるようだった。
そして、現代を生きるシャーマンのような人でもある。
そしてもう一人、ジェーン・バーキン。
フランスのマルチアーティストでアウトローでもあるセルジュ・ゲンズブールのピグマリオンとも呼ばれていたイギリス生まれの女優。
セルジュの名作映画「ジュテイム・モア・ノン・プリュ」では、セルジュのイメージと自分の役を近づけるために体当たりで演じていた。
大人になってから小さな映画館で観て、とても感動した覚えがある。
ゲイのカップルとジョニーという女の子の三角関係。
少年のようなベリーショート、
カメラがくクルクル回るダンスシーン、
トラックの荷台でのラブシーン。
セルジュ独特の感性が際立っていた。
ある日、パティ・スミスのドキュメンタリー映画を観にいった。観ているときにある思いが横切った。
”彼女のことは大好きだけど、私と彼女とは生き方とはまったく違うなぁ……。”
比べること自体、おこがましいことなんだけど…。
自分の中で、大好きな存在は何人かいて、お手本にしたいとは思うけど…。
でも……。
そう….、私は私になるしかない。
自分を作ってゆくしかないんだってことに気がついた。
私は、私になるだけ…
ただ、それだけ。
答えは自分の中にしかないから。
それからは、誰にも憧れてはいないように思う。
夢見る頃は、とうに過ぎたってことだ。
自分なりの経験というものを積み重ねたい。
そして、自分という神秘に、もっと触れたいと思う。
だって1番、自分が楽しいと思うから。