時々、夜中に目を覚まし眠れなくなる、丑三つ時…。
頭の中に言葉が散乱して、何かになりたいのか、パンパンに頭が張ったような感覚になる。
絵ばかり描いていると、文字が書けなくなる…。
言葉も出てこなくて
アー、とかウーとかうなってみたり、なんか動物めいた感じになる。
集中し過ぎて、時間が飛ぶ…。
予定がなく没頭できる時はいいが、先日、アルバイトに行く時間まで、駅のベンチで絵を描いていたら、夢中になり過ぎて、まさかの遅刻をしてしまった….…。
遅刻なんてしたことないのに!
時と場合とを考えないと….と反省しきり…。
脳の動きが、偏りすぎるためだろうか…?とかひとり、不確かな分析をして、自分を納得させようとしたりする。
明らかに違う脳みその働き。
昔、母親から聞いたのだが、私が一歳にもみたない頃から、紙とペンと用意し、ただひたすら、何かを書こうとしていた子たっだらしい。
字が間違っているから、母親が教えようとすると邪魔するなと態度で反応していたと言う。
書きたい衝動は、そんな幼児にまでさかのぼるものだった・・・らしい。
あれ、これは、本能か?
はたまた、前世の名残り…??笑
もともと頭の働きは、良い方ではない。
不器用だったし、勉強は、からっきしだった…。
本を読むのも苦手だったし、
とにかく学校というものが苦手だった。
日記のようなものも続かない…。
けれども、小学校に上がってからも教科書の脇にいつも言葉の切れ端を書いていた。
詩のようなもの?
ポエム?のようなもの
記憶しているのは、アイドル全盛の頃で、アイドル雑誌の平凡や明星についてくる歌”うた本”をまねて歌詞のようなものを書いていた。
さらには、自分でアイドルを作り上げて、路線を考え、アルバムデザインやタイトル、全曲の曲のタイトルなどもノートに図案化・文章化し、プロデューサーまがいの妄想でひとり遊んでいることもあった。
十代は、ノートにあらゆる疑問をぶちまけていたのは、人並みなことだろう。
十代で散々、書いたものは、恥ずかしくって、全部、燃やしてしまった。
二十代になってからも、三十代になってからもなにかしら書いていた。
引き出しの整理をしていたら、三十代のノートが出できた。
個展で、一度、プリントアウトしたものをファイルにして、置いて読んでもらっていたこともあったっけ…。
詩をずっと読んでいる人からは、これは詩ではない…と辛口なことを言われて、机の奥深くに押しやってしまっていた…。
けれど、私の中、言葉の断片は、こぼれ落ち続けていた。
それらのものを拾い集め、ノートの上、並べていた。
書いたものをなんらかの形にしたいとエッセイが終わってから、ずっと考えている。
まだまだ、手付かずな状態だけれど…。
どんなカタチになるのかすら、まだ、自分にもわからないけれど、少しづつ、カタチにしてゆこうと思っている。
自分が感じていることを大切にしたいと思っている。