私は小さい頃から、晴れ女だった。
天気の変わりやすい山へ行っても、あまり濡れたこともなく、車に乗った瞬間から、ドドド〜ッとどしゃ降りの雨になったり、いつもお天道様に守られてるんだなぁ〜と無邪気に思う、そんなことがたくさんあった。
しかしながら、昔から、水辺がお気に入りの場所で、リラックスしたい時や落ち込んだ時は海や川へ1人で行き、癒された経験は、数知れない…。
水辺へ行けない時は、一番の水辺である風呂にゆっくりと浸かる。 それが、最大の快楽にも近いような心持ちになる時も多々ある。
あなたがいないと生きて行けない…
水の中、呟く。
水は、大切な恋人のようだ。
ふと思う…
海から生まれた生命としての生き物としての記憶が他の人よりも残っているのだろうか…。
それとも羊水の記憶なのかな…。
水を描きたいと思いながら、なんどもトライしている。
水平線がそのはしりだが、海も描き、波を描き、最近では、水分から生まれてくる湿度なども描こうと試みている。
4月に訪れた京都・龍安寺のあまり人影のない裏の方で、雨音をずっと聴いていた。そして眺めながら、これを描きたい!という欲求が身体の中から突き上げるように響いてきたのが忘れられない。
そして、行く場所、行く場所で待っていてくれた龍神様たち…。
晴れ女だけど、なにかそういったものに内と外で響き合っているのだろう。
雨女だったら、もっと上手く水を捉えられるのだろうか…??
何かあると必ず天の恵みが降り注いだ雨女の母親を思い出した。
雨女から生まれた私は、なぜか晴れ女。
これも天国在住の母からの天の恵みなのだろうか??
水についての試行錯誤は、続く…