冬枯れした空き地に、セイタカアワダチソウが枯れ果て、褐色のその身を天に向けて、寒風吹きすさむ大地に沈黙のまま佇んでいる。
毎年、そんな風景を見るとある彫刻を思い出してしまう。
その作者は、アルベルト・ジャコメッティ。
スイス生まれの彫刻家であり、画家でもある。
私が通っていた絵画教室で、観せてもらったセピア色のフォトドキュメントの本の中にその人は…いた。
パリ、イポリット・マンドロン通り46
アトリエの風景には、石膏が飛び入り、材料が散乱し、エスキースが描き込まれ、きついジタンの匂いが染み込んだ壁。
アルベルトのよき理解者でもあったの弟のディエゴ、妻のアネット、哲学者の矢内原 伊作、元・泥棒で小説家のジャン・ジュネ…。
モデルにも厳しい姿勢を求め、長時間椅子に座らせ、製作に没頭していた。
幾度も幾度もその画集を手にした。
そして、やっと実際に、その作品たちを目の当たりにする機会を得た。
どこまでも矢じりのように細くなってゆく人体像は、細身ながらも、充分な量感をもって、観る側に迫ってくる。
朽ちて、溶けかけ、震えるような印象と共に、作者のその手が触れた生々しい造作のタッチが鮮明な実在感を醸し出していた。
モチーフである人間を、人体を、描いては消し、また、新たな線を引いてみては、また、削ってゆく。
肯定したり…、否定したり…
刻々と変化してゆく対象を捉えることは、永遠に続いてゆく果てなき作業のようだ。
「不可能だ、私は豚のように仕事をしている、もうたくさんだ!」
「鼻の一方の翼と他方の翼との距離はまるでサハラ砂漠だ、涯てしなく、何一つ固定されず、すべてが逃れ去る。」
ちょっとスケッチしてみた…。
「人は一本の木であるべきなのだ。」
この言葉を聞いた時、冒頭、私が冬枯れの中、佇んでいるセイタカアワダチソウを見た時のあの感覚って、あなたの作品との類似点は、ありますか?と今は亡きジャコメッティに聞いてみたいものだと心の中で、ずっと想っている。
*写真は、2006年の芸術新潮