隔世遺伝という言葉を知ったのは、だいぶ大人になってから。
いろんな祖先の遺伝子がミックスされ、そして、生まれた環境や外部からの刺激によって、私の内面は形作られてきたのだろうと思う。
負けず嫌いで、お転婆なのは母方のおばあちゃん。
繊細というか妙に神経質なのは、父方系の遺伝子。
そして、書くことと旅好きなのは、母方のおじいちゃんの影響が強いと思われる。
私の母親も”はねっぴ”で、いつの間にか一人で旅行に出掛けてしまうような人だった。
いわゆる鉄砲玉…。
私も思い立ったら吉日と言わんばかりに、はねっぴ、よろしく、旅に出るようになってしまった。
特に震災後はとくに、その傾向が強くなった。
やりたいことは、やってみよう!
行きたい場所があったら、行ってみよう!と。
年を重ねたからかな…
迷っている暇なんかないんだって、思うようになった。
よく身近な友達とも話す。
会える時に、会っておこうと…。
オーバーに聞こえるかもしれないけでど、私にとってはとてもリアルなこと。
明日どうなるかわからない命なら、今を精一杯生きるだけしかできないって、どこかでいつもそう思っている。
私がこうしてブログというものを書き始めたのも、自然な欲求からだった。
自分の言葉で、自分が強く感じたことをいつか綴ってみたい。
できるなら、一生のうち、一冊、本が出せたら…と密かに妄想したりしている。
隔世遺伝のおじいちゃんも何冊か自分で、いろんな場所の話や歴史をまとめて、裏が白いチラシを二つに折り、製本した手作り本を何冊も作っていたようだ。
暇さえあれば、何かを書いていた人らしい…。
小説らしきものも書いていたと聞いたことがあった。恋愛小説なるものを…。
私の手元にも一冊だけ残っている。
真面目で、几帳面。さすが明治生まれ、達筆である。
その本の中に宮城の飢餓や地震の年代をまとめた個所があり、震災直後、地震について調べていた時、この資料を読んで、その歴史の変遷と自分の直面したリアリティが直結して、不思議な感覚を覚えた。
おじいちゃん、こういうものを残してくれてありがとうって、心底、思った。
なにかを形に残しておくって、とても大切なことのように思える。
その人がいなくなっても、確実に残るものだから…。
私がこうして書くことをやめられないのは、少なからず隔世遺伝のしわざということも考えられる。
空の上から、はたまた銀河の彼方から、見守っていてね。
しっかり生きた記録を綴ってゆくから。