ずっとつけているノート。
絵の活動し始めた頃から、ずっと書いている。
アイデアを書いたり、ラフスケッチ描いてみたり、自分のことを否定したり、肯定してみたり…。
あらゆる気持ちで、一杯になる。
ノートは、いつだって、最大の友達。
ありのまんまの自分を受け止める。
そして、いつものひとり反省会。
できた点、できなかった点。
うまくできなかった事に対しての反省と改善点…。
芸術には失敗はないと信じている。
けれど……。
たくさん書く。
悔しくて書く…。
とにかく、書く…。
すべてが、今後の教訓となればいいと思いながら、リベンジを誓う。
今度は、滑らかに滑る紙質が上等なツバメノートに書こうと文具屋さんへ行った時、ふと、小さなDVDプレイヤーから、エンドレスに一つのCMが流れていた。
OZAKIだった…。
生前の尾崎 豊の肉声が放りばめられ、肉筆の言葉が短いスパンで写し出されるCM。
それを見た時、
ツバメノートなんて、上等なものは、やめて、やっぱ、campusノートにする!と即断した。
大好きだったOZAKI…。
そして、青臭い心がまだ、まだ、多々ある自分には、これで充分だと思った。
そして、大学ノート3冊分の厚さのノートにしてから、早いもので、5年の月日が流れた。
震災後の情勢に対する想い、母親が亡くなる前日のスケッチ、その後の生活での葛藤、屋久島での旅の記憶、そして、2度の個展、そして、めくるめく2016年が、ぎゅうぎゅうに詰まっている。
そのノートは、新聞の切り抜きや資料で、倍の厚さになった。
思い出と私の小さな成長の記録がそこに凝縮されている。
アルメニアにもプレゼンテーションの資料として、持って行ったけれど、パスポートより大切なものだった。
また、分厚いcampusノートを買う。
それが、また、さらなる分厚さになるまで、使い込もうとしよう。
ノートが痛んだ分だけ、自分の一部となっていく。
今度は、どんな自分が刻まれてゆくのか…。
まだまだ、青臭い成長記録は、続く。