My Horizon

絵を描く日々や私の日常をつれづれなるままに、言葉と写真で紡ぎます。

語らうことの贅沢さ

パリから帰ってきて、1ヶ月が経った。

4月に凱旋展が行われることもあり、作品を作ったり、パリの地で感じたことを振り返った時、ひとつ気がついたことがあったので、書いてみることにしました。

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パリではスリが多いと聞いてたので、ショルダーバックを買った。

長いマフラーをだらんと首から下げ、バックが見えないようにわざとしていたら、メトロの階段で、おじさんに「マダム、マフラーをちゃんと結びなさい!」と一喝された。

あまり注意もされない年代なってきたので、久々に注意を受けて、なんだか、キリッとし、嬉しくもあった。

ムッシュ、突っ込んでくれて、ありがとう。

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カフェでも、ワインとちょっとした料理で、顔と顔を付き合わせて、何時間も熱心に話し込んでいるカップルや友達同士を見かけた。何をそんなに話し込んでいるのかと聞いてみたくなるような感じで、ついつい観察してしまった。

山手のセレブ系の界隈のカフェは、肌寒い中でも昼下がりの西日を受けながら、優雅にお茶をしながら、まどろんでいたり、日差しを浴びたり、語らっていたり…。
見ているこっちもうっとりするような時間の流れを感じた。

その時のシーンや誰かと共有する時間を濃密にさせている何かがあるように感じた。

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自分に関係ないことは、あまり干渉しないけれど、何かあれは、一言、意見する。

さまざま人種が行き交う街で、”活気”というものが、目に見えた気がした。


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電車に乗っていてもスマホをジッと見たままの人も日本よりは、少なく思えた。


直接、その人の目を見て話をすること。その人の表情を見ながら、何かを察しながら、コミュニケーションをとることが、やっぱり人間にとっては、なくてはならないこと。わずらわしいところもあるけど、生きていることの醍醐味にも繋がることが多いのではないだろうか。

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日本に帰ってきて、電車に乗っていて、みんなが下を見て、ずっと押し黙ったような表情で、スマホをいじっている。その風景がなんとなく、気になった。


スマホの中では、饒舌なのに、相手の目を見て、何かを伝えることを忘れてはいませんか?


風潮として、”自分をわかって!”という発信はするけれど、自分の関心がないことには、関係ないし……って空気が流れているような感じがしてならない。


無関心と個人主義は、確実に違うと思う。


意識して、他者と関わりることでしか、自分を広げることができないのではないだろうか。

”書を捨てよ、町に出よう”
とかつて、寺山修司は言った。

スマホは、捨てなくてもいいけど、
”外に出よう、人と語らおう…。”
とあえて言いたい。

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