貨物列車が通り過ぎるレールと車輪が響き合う音がする。
近くで鶏の鳴き声が朝の訪れを知らせる。
野良猫や野良犬が、辺りを自由にうろつき回っている。
舗装されていない凸凹道。
建築用に無造作にレンガや石が置かれた空き地。
首都エレバンから少し離れた郊外の住宅地に滞在していた際に耳に目にしたものは、まるで、昔の日本の風景のようで、親近感を覚えた。
なかなか姿を現さないというアララト山の姿もベランダから見る事ができた。
首都エレバンの街。
信号機があまりない道路をフロントガラスにヒビが入ったタクシーが勢いよく走る。もたもたしてるとすぐに背後からクラクションがけたたましく浴びせられる。ウィンカーもあまり使われないまま右へ左へ。抑揚のきいたこの国の音楽が流れる車内で、つかまれる所にしっかり握って、運転について行くのがやっとのことだった。
日本では、考えられない交通ルール。
まるでなにかのアトラクションのようだった。運転するには、相当、反射神経を試されそうな感じがする。
高級自動車から、昔の古い車まで、あらゆる車が往来していた。
社会主義が長い事続いた国だったからなのだろうか、一つのものを大切に修理しながら使う習慣が続いているのだろう。
日本人がいない小さな街のお祭りでは、子供を抱かせられ写真を撮られたり、笑顔で返してくれる人もいれば、遠目に見られたりと…様々な視線に出会った。
子供達のキラキラとした元気なエネルギーがたくさん辺りを満たしていて、それがこの祭りの原動力にも繋がっているように思えた。
子供達は、街の未来なのだろう。
縁日で店も子供達の喜びそうなものがたくさんあった。そして、手作りのお菓子なども振舞われていた。
そして、伝統の舞踊やしきたりの中に自分たちのルーツを大切にしている気持ちが溢れ、子供達の踊りを観ているとそのことにプライドを持って、みんなが踊っているように思えた。子供からお年寄りまで、みんなが踊れる踊りがあった。
昔の日本のような街の姿があちらこちらに見うけられて、不思議と懐かしい想いがした。
羨ましいことだけれど、今の日本にアルメニア人達のような活気を見ることが難しい…。
健やかなエネルギーを感じずにはいられなかった。
土壌の持つ力。そして、そこから生まれる食物の新鮮さには、正直、感動した。
食品の種類が日本ほど多いわけではないはずなのに、食料自給率の高さと新鮮な食べ物を食べるという本当にごく当たり前のことが、こんなにも新鮮に感じられるとは想像していなかった。
日本にいる時の倍以上は、食べていた…。
調理のほとんどは、塩味でシンプルなものがほとんどだった。
羊の群れによる交通渋滞にも、何度か遭遇した。
白馬の親子。牧歌的な風景。
各国独自のシステムの違いに相違はあるけれど…。
便利で合理的なものもよいけれど、そこからこぼれ落ちているものの多さに気がつく。
不便さの中に潜む、試行錯誤しながら、工夫し再生させようとする人の知恵、たわいもない無駄話の中に潜む情緒的な潤い、無駄なことが生む豊かさというものが確実にある。
私は、できるだけ寄り道をしてみたいと思うし、人の話に耳を傾けたいと思う。
また、
日本の事を
歴史の事を
世界の事を
知りたいと切に思う。
日本が見失ったものが、ここにはまだまだ、たくさん存在している。
様々な歴史がつづれ織りのように複雑な模様を織り成す国。
そして、豊穣の大地と飾らない人々の心が、そこにはあった。