小さな子供たちがひそひそと話しをしてる。
その会話を聞いていたら、一つの言葉にハッとした。
「それって、リアル?」
「ん、リアルだよ!」
"リアル”
仮想現実と実生活との間があいまいになっている今日この頃、こんな小さな子たちの社会の中にもこの言葉はもうすでに定着しているのかと感じ入った。
私がこの言葉を知ったのは中学生の頃。
英語の単語としては知ってはいたものの、その言葉がバンっ!とインパクトをもって私の中に入っていたことがあった。
当時、活躍していたシンガーソングライターの大江 千里くんの「REAL」という曲を聴いた時だった。
そのプロモーションビデオで、モノクロームの映像の中、黒いセーターを着て、時には涙を流すショットを挿みつつ、青臭くまじめに唄っている彼の姿に胸を打たれた。
それまではキャッチーでポップな曲のイメージが強かったので、真っ直ぐに唄うその姿には新鮮な驚きがあった。
リアルに生きてるか 誰にも邪魔されず
憎むすべて消せなくて 泣いたりしていないか
リアルに生きてるか 激しく生きてるか
誰かの胸にもたれて 想いを燃やしてるか
混沌とした十代の胸に突き刺さるようにその歌詞は、響いた。
https://youtu.be/uXezqrb1SZY
"リアル"
考えることが好きな私は、いつもこの言葉が頭の中にある。気になる言葉でもある。
インターネットができ、ソーシャルメディアが発達してゆく中で、ふと思うことがある。
どこまでがリアル?なのか・・・。
まさにこれって、リアル?
ということが。
SNSもある意味、リアルなものなんだろうけど、たまにズレを感じてしまう時がある。
うまく言えないけれど、そのズレになじめないというか・・・。そのズレの感触にとまどう時がある。
その人のことを知っているようで、実際に会ってみると、まったく知らないことにハッとしたり、
つながっているように思えたものがそうでなかったことに気が付いたり・・・。
うまく言えないがそういう感覚が多い。
違和感と寂しさを覚えることもある。
子供たちが言っていた”それってリアル?”という言葉が何を指すかは知らないけれど。
小さな子供たちが成長してゆく中で使われてゆく”リアル”という言葉は、この現実にある空間とか環境とか自然などが、五感に関わることでさらに鮮度を増してゆくように思う。
漠然としているが、そんな気がする。
直接、ものに触ることや人に会うこと、話すこと。
アナログなことなのかもしれないけど、そこに一番、生きていることのリアリティがあると思う。
当たり前のことが揺らいでいる分、やけに強くそう感じてしまう。
#SNS#リアル
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《今月のコラム》
NORI COLUMN Vol.13
「豆を撒き、魔を払う」
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