My Horizon

絵を描く日々や私の日常をつれづれなるままに、言葉と写真で紡ぎます。

一九四六

買い物で立ち寄ったいつものスーパーの入口に貼ってあったポスターの中に、"墨と油絵で描く"という文字を見つけた。

 

「墨と油絵って、どんな展示だろう…?」

 墨も油絵も使う自分にとって、自然に興味を持った。

 

 

 展覧会、最終日の会場へ急ぐ。

 

ちょうど一年前の今日もここに来ていた。

 

グループ展「歓喜咲楽〜cosmic harmony〜」の会場で展示や受付をしていた宮城県美術館市民ギャラリーで、この展覧会も行われていた。

 

一年ぶりに赴く。

 想い出がいっぱいの場所だ。

 

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『日本満州引揚者を描く   王希奇 展ー一九四六ー』

中国人の画家 王 希奇さんの展覧会。

 

 

荒涼とした海が音をたてながら、うごめく。

人々の想いが波間に浮かぶように重く鈍く輝いている。

 

絵から遠く距離を置いて眺めてみると、その大海が広く大きく波打っているのが体感できた。

 

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 海のエリアを抜けると、その奥に薄暗いスポットの中、墨と油絵具の作品が、待ち構えていた。

 

 『一九四六』

 

大きな船を背景に潮風と土埃が吹き荒む港に辿り着いた人の群れ。

 

 それは、引揚者の群像。

 

この絵の構想のきっかけは、一枚の写真だった。日本の敗戦直後の1946年7月に葫蘆島に渡った飯山 達雄さんが撮影した母の遺骨を手にした男装の少女の写真に画家の王 希奇さんが惹かれたのが始まりだったという。

 

 

墨と油絵具で描かれた縦30m×横20mの大きさの画布に満州国から引き揚げてくる日本人たちとその情景が描かれていた。

 

戦は、日常の色彩をすべてを奪い取り、

色の無い世界を作り出す。

 

  

大きなリュックを背負い戦いを終えた軍人の男性。

風呂敷包み一つと子供の手を引く親子。

年老いたものを背負う人。

 

戦火を生き延び、それでもなお生きようとする人々のたくましさが陰影の中、浮かび上がってくる。墨で細かく描写された人物像には、まったく迷いがない。

 

吹き荒む風のありようを伝える筆の動きは、荒れ狂う時代の終焉の空気を封じ込めていた。

そして、夢にまで見た祖国への帰還と新たな出発に、この地を踏む人々の安堵や戸惑い、不安に至るまでの心理描写を克明に記録し描き尽くそうと果敢に画面に向き合い、絵筆を走らせているその躍動感が胸に迫ってくる。

 

 

 私の身内に引揚者がいたからだろうか…。

余計にその事と重ねてこの絵を長いこと、眺めてしまった。

 

その人が引き揚げてこなかったら、今、この絵に向かい合っている自分の存在すらなかったのかもしれないのだから…。

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この展覧会は、2017年に東京で開催され、2018年、引揚者が多く辿り着いた港もある京都府舞鶴市でも行われた。そして今年、12、419人という多くの宮城県人が開拓民として満州へ渡った宮城県という地でこの展覧会が行われたという。

 

「日本中国友好協会は、侵略戦争の歴史を教訓とし、「二度と再び中国とは戦わない」との不再戦平和の思いを大切にしながら、文化活動、友好交流活動をとおして、中国に対する理解と友好の心情を育み、日中両国関係の改善と東アジアの平和と安定につなげようと全力をあげています。」(日本中国友好協会の井上 久士さん)

 

 

 東アジアの平和が世界にとってどれほど重要なことだろう。

 

しかしながら、悲しいことに現状の国同士の政治的動向は、バラバラに分断を余儀なくされている。

 

 

 

 

政治と文化は、対極にあるのではないかと思う時がある。 

政治ができないことを文化は成しえることができる。

 

平和的に問題提起したり、相互理解の場を生み、共に場を共有し、お互いの違いを受け入れながらも自由に交流をすることができる。

 

作品を通した友好的な人間同士の交流がそこにはあるのだと思う。

 

そして、国境を言語を越えて共につなぐ平和への願いがある。

 

この展覧会に封じ込められた記憶が鮮度を失わず人々の脳裏に残り、生き続けることがとても意味のあることなのだと思う。