今日、不思議な夢を見た。
夢の中で夢を見た。
寝ている私の部屋の下でゴソゴソと物音がする。静かに降りて行ったら、居間の電気がついていた。
そこには、父の姿が…。
「なにやってんの?っていうか、病院からどうやって帰ってきたの?」
入院中の父が、深夜自宅に帰宅していたのだ。
それも真っ白な髪が黒黒となり、姿勢もピンとし、体にも張りがある若い頃の父親。働き盛りの50代頃の父の姿が….。
「なんでもね〜のに入院してられっか!、病院なんて、なんとかなっぺ!」
と息巻き、なんだかとても元気そう。
そんな夢を見て目覚めた自分を夢で見ていた。
そして、現実の起床。
父の姿だけが、記憶に鮮明に残った。
先日、ラジオで、イタリアと日本を行き来している作家のヤマザキマリさんがイタリアと日本とのコロナウィルスの捉え方の違いを話していた。
家族第一主義のイタリア。
そんなイタリアで、コロナウィルスの猛威が吹き荒れている。感染者した家族とは、面会も出来ないまま、最後の時も親族に見守られることもないままこの世を去ってゆく。そして、会う時は、棺に入ってから….。
これは全世界的に同じ状況だが、家族を中心に考えるイタリア人にとっては、例えようもないほどの悲劇であると力説していた。
イタリアほど濃厚な家族主義ではないものの、やはり心配なのは、どこの国でも同じことなのだと思う。
本当に会えないのだから…!!
私も3週間振りに父と数分ほどの面会ができた。
いつもは、ガラケーが命綱。
たまにかかってくるけれど、ただ声を聞く程度でいつも短く切れてしまう。
今月に使わないから解約しようとしていた父のガラケーがこんな時に役立っているとは….。
久しぶりに車椅子で現れたその姿は、やはりやつれてはいたが、ニコニコしていて、「オレはなんでもないのに…」を繰り返している。
「もう少しで退院できるからねぇ…」と手を出すと力強く握り返してきた。
思ったより、元気だなぁ、と少しホッとした。
実際に顔が見られる、その人に会えることが、遠く遠く彼方にあるようなそんな世界で、一人で過ごす時間が永遠と続いているような気がして、時々、怖くなる時もある。
やたらと夜が長く感じる日には、現実逃避を決め込んで、YouTubeやDVDで気持ちを紛らわせているか、とっとと寝てしまう。
3月に転んだ捻挫がなかなか治らず、整形外科で診てもらった。捻挫から3週間が経とうとしていた。
腫れた足も自然とよくなったのだが、時々、痛みが走り、痺れも取れない。
父の入退院と次の入院が重なって、自分のことは、後回しにしてしまっていたのだ。
レントゲンを撮ってもらい骨には異常無しで、少しホッとした。レントゲン代がちょっと高かったけれど、これも安心代だから仕方がない。
捻挫を侮るなかれな…のかもしれない。
ゆっくり治るのを待つとしよう。
そんな中、一人ぼんやりしていたら、小包が届いた。
心配した友達が足のサポーターとお手製の不思議な卵みたいなものを送ってきてくれた。箱を開けると不思議なキラキラした気配が広かった。
ありがとう✨