昔、観た映画の一コマ。
革ジャンでバッチリ決めたバイカーの青年とバイク事故現場。
その傍らに、木の枝にロープをくくりつけ、それを首に掛け、うなだれた青年が・・・。
そして、その青年が急に目覚め、口元から血を流しながらニッコリ笑い、片手に握られたクレジットカードを指さし、こんなニュアンスのことを匂わす。
”こんなこともクレジットで買うことができるよ!”
かなりのブラックジョーク…!
ちょっとうる覚えだが…。
確かイギリスの奇才・デレク・ジャーマン監督の作品の一場面。
なぜか記憶の中に鮮明に覚えている。
クレジットカードを持っていることが常識の時代。
クレジットカードに抵抗を感じていた時代は、はるか遠く…。
何枚も持ってるクレジットカードをトランプのように広げて見せてくれた人もいたっけ…。
アメリカが生んだ一つの経済のカタチ。
フランスの大きな美術館へ行った時もクレジットカード専用の入場チケットの自販機が幅を利かせていた。
パリの街では、地元に根付いたカフェ文化があるけれど、駅には、女神が微笑むスターバックスがあり、そこを出るとドーナル・ドナルド・ドッキドキのマクドナルドのMの字が目に飛び込んでくる。
古くからあるバールが立ち並ぶイタリアでは、スターバックスは定着しなかったようで、撤退したようだ。
そんな話を聞き、ほとんどスターバックスを利用しない私は、イタリアの気骨さ、頑固さに深く共感した。
好みもあるかもしれないがスターバックスのコーヒーは、強すぎて、舌に刺さってくる感じがあり、全部、飲み干せない…。
季節で変わるスイーツ系の飲み物にもほとんど興味がもてない…。
イタリアよりフランスは、経済的にも豊かだけれど、アメリカンナイズされているのかと感じた。
しかしながら、ミラノ駅には、巨体りんごが、ド〜ンと鎮座しているのだが…。
微笑む女神、Mの頭文字、そして、一口かじった白い林檎のシンボルマーク。
アダムとイブがかじった欲望の果実。
欲望を簡単に叶えてくれるネットやクレジットカードの魔法。
世界はコンパクトになり、さらに便利なものを生み出そうとしている。
しかし、その裏側に、不可解さと違和感を感じる時がある。
人の欲望には、果てがない…。
何処へ向かって行くのだろう…?
マイケル・ジャクソンの名曲「ヒューマン・ネイチャー」の中にこんな歌詞がある。
”もしもこの都市が大きな林檎だったら、かじって味わってみたい・・・”
アメリカンドリームの光と影が見えてくるような歌詞。
"もしもこの世界が…"
という歌詞に置き換えたら…、
世界中がこの欲望の果実を味わっているのではないだろうか…。
私が手にしているスマホにも、林檎のマークが輝いている。