本を手に取って、ページをめくってみる。
自分の時間が手のひらの中、もどってくるような感覚を覚える。
一冊の文庫本を買った。
真新しいページをめくっていたら、
おや?
なんだ?
間違って、ページを2枚めくってしまったのかと思ったが…
それは、1枚のページだった。
武田 百合子・著
『ことばの食卓』
ちくま文庫の2016年第23刷発行の本。
小さいことだけど、なんだか贅沢な感触だった。
1ページの厚みが妙に気に入った。
後から、持っていたちくま文庫と比べてみたが、やはり、こちらの方が厚い。
普段使いのスケッチブックやノートの質が以前より、薄くなっている昨今。コスト削減と薄利多売の原理がみじかなものにも浸透しているから、余計にグッときた…。
あえて厚くしているとは、なんとも天晴れなことだ。
本の紙といえば…。
この前、見たテレビで、広辞苑を作る編集部への潜入取材の番組を見た。
10年置きに改訂される辞典作りの奥深さ、緻密さ、時代と共に変化する言葉の履歴などの話しで、番組は盛り上がっていた。
そして、紙についても取り上げられていた。
ページをめくる指先に吸い付くような紙を開発した製紙メーカーの人のインタビューと実演が行われていた。
指先に吸い付く紙・・・。
ミクロの吸盤があるのかな?
そんなことを考えるのはたぶん、日本人だけではなかろうか?と
あくなき探求をついついしてしまう細部にこだわる日本人の性のようなものを垣間見たようだった。
でも、吸い付いてくれた方が、その辞典にも愛着が自然と湧くのでないかなぁ。
個展などをする際、案内状を作る時や他の作家さんの案内状を手に取る時、紙の厚さで、私はその作家さんを想像してしまう。
案内状は、作家の名刺がわりのような小さな分身のような気がする。
手に取った時の印象で、その展覧会へ行きたいか、心理的に動かされる部分もある。
ある程度の厚みを持ち、ある程度の耐久性もあり、絵の色合いも出ている案内状。
その人が、そこに込めた想いまで伝えてしまう一枚の紙。
紙の感触について思いを巡らせていたら、指先の感触にも第一印象のようなものがあるような気がしてきた。
その感触をじっくり味わいたい。