My Horizon

絵を描く日々や私の日常をつれづれなるままに、言葉と写真で紡ぎます。

2020.アーカイブ❸ / 太陽・富士山・龍

9月、鎌倉で一人過ごした時、滞在していた近所に龍口寺という神社があった。

散歩がてら軽装のままぶらりと出かけ参拝。
そこからなんとなく、ふらっと片瀬海岸線へ足が向い、さらにぶ〜らぶら。
5頭の龍伝説が残るとされる江ノ島へ足は自然と向かった。

正面の弁財天を祀る神社に参拝後、ぐるっと一回りして辿り着いた場所があった。

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江ノ島・岩屋。

そこには長く伸びる洞穴があり、いくつかの穴があった。
その中の一つが富士山と繋がっているという逸話もあるらしく、とても興味が湧いた。

昔なら、電気も何もない洞窟を蝋燭を灯しながら参拝したそうだが、今は、電気で照らされた洞窟内を見て回る感じ。普段は昔ながらの蝋燭の貸し出しもあったが、このご時世で貸し出しはされていなかった。
電気で照らされていてもやはり薄ぼんやりしていて、ちょっと怖い感じもした。

思った以上に長い洞窟の中には、小さな仏像がいく体も並び、その像のどれもが丸く小さくなったものばかりで、時間の経過を推測できた。身をかがめ通り抜ける場所もあり、湿度の高い水の滴る洞窟内の小さな探検は続き、その奥にある小さな祠にもお参りすることができた。

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岩屋の近くから土日のみ運行している船が出ていた。
せっかくなので並んでそれに乗って帰ることにした。

小さなモーターボートから見える景色は、ちょっと江戸時代にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えた。陸地から架かる橋は現代的なコンクリート製だし、船のスピードも江戸時代とは全く違うけれど、この変わらぬ景色と江ノ島詣に来る人々の姿がふっと西日を浴び夕暮れの海上に放たれたオレンジ色の中、時空を超えた情緒性のようなものとダイレクトに繋がるような感覚を覚えた。いつの世も続いている詣参りは、日本人にとっての最大のリフレッシュ方法なのかもしれない。


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10月に入り、一本の電話がかかってきた。
鎌倉在住のアーティストのKANARTさんからだった。


江ノ島の近くのギャラリーで一緒に展示をしませんか?”


11月末の個展が迫っている中でのお誘いだけに、一瞬、躊躇したものの、数ヶ月前に行った富士山と水の氣を感じながら制作したあの江ノ島の気配を楽しみながら表現してみることも、いろんなことがあった今年の締めくくりとしていいのかもしれないと思い、楽しむことだけ考えてやってみようかとKANARTさんと意気投合。


正直、場所に呼ばれる感覚もあった。
その場との縁に身を任せてみようとそんな気持ちで。
江ノ島の特有のエネルギーにまた、触れながらコラボしてみるのも面白いかもと思いながら、感覚や閃きに任せてやってみようとしていた。


神奈川県藤沢市のギャラリーTでのKANARTさんとの2人展『○△□展〜太陽・富士山・龍〜』

このタイトルは、KANARTさんの提案だった。自分の個展を優先させたかったので、この2人展のほとんどのコンセプトはKANARTさんにお任せしておいた。どこか感じるところが共通していたので、展覧会には不思議と不安がなかった。


11/29までの宮城でも個展を終えて、2日後に向かった神奈川県藤沢市
GO TO TRAVELを利用して半額の新幹線チケットを取り、作品と共に乗り込んだ車内はガラガラだった。


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かわいい白い箱のような展覧会会場のギャラリーT。
お隣の玉屋の羊羹屋さんで経営している人気のギャラリー。

江ノ島へと通じる片瀬海岸へ向かうすばな通りには江ノ島の弁財天道標もあり、近くにある龍口寺から続く龍神の通り道とされていたという言い伝えもあるとか。

制作時にいつも着ている白衣とつなぎの格好のまま、5日間のライブペインティング。
会期中、偶然、通り掛かった書家の方から近くの神社の湧水をもらい受け、その水で絵具を溶くことに。
グルグルとした渦だけで絵を描くことに挑戦して、黙々と描き続けた。

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KANARTさんによるキーボード演奏やお友達のクリスタルボールやクオーツフォーンによるパフォーマンスもあり、賑やかなひと時も味わうことができた。


ギャラリーに入ってきて話しかけてくれたミュージシャン、江ノ島観光がてら、ふらっと入ってきてくれた人達、ギャラリーの中には入らず会場の前、棒立ちで私が描いているのをじっ〜〜と見つめていた小さな女の子、いつもの常連さんや知人・友人と脚立の上からお話ししたり、閃きに任せてのインスタライブやオンライン配信を行ってみたり、初めて尽くしの展覧会だった。


思っていたこと以上のことをすることはできなかった面もあったけれど、水の気配漂う磁場を感じながらの展覧会は、私なりに2020年を終えるためにもこの展覧会は必要だった。

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展示を終えて、やはりお礼参りをしたいと思い、再び、一人、富士山へと向かった。


9月に行った時とは違い、12月に入り、雪帽子をかぶった富士山の5合目までのバスは、土日しか運行していなくて、行った日が平日であったため、泣く泣く諦めることに。

けれど、富士浅間神社へのお参りはどうしてもしたかった。
9月に行った時に、11月の自分の個展をやり遂げられまうようにと願をかけていた。
まさかもう一度、年内中にここへ来れるなんて、以前参拝した時は、想像もしなかったことだけに、また、この山門をくぐれるのことは、本当に有り難いことだった。

山門を潜り、本殿で今年も無事に終えられたことに心から手を合わせた。

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身から力が急に抜け落ちてしまいそうなくらいの安堵感。
もう何も言い残すことがないくらい、やり切った感が半端なかった。
見える存在も見えない存在もその両側からものすごいサポートや見守られ感もありながらの今年後半の二つの展覧会もやっと無事、終えることができたんだという実感と余韻で胸が一杯になった。



帰路の高速バスの出発地点の河口湖駅から見える雄大な富士山の眺めに心で手を合わせつつも名残惜しさが募った…。


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富士山は、見る者の心を試すのか・・・。


見たいと思っていると姿を見せてはくれず、その気持ちが消えるとふっと顔を出してくれたりして、ちょっと心の動きを見透かされているように感じる時が幾度もあった。
それは富士山を見ている時だけではなく、自然の中にある一つの法則のように常に人の心を試しているものなのかもしれない。超自然的な何かなのかも。

そんな中に自分も生きていて、試され、気付かされ、学ばされているんだと思いながら、帰路の車窓をぼんやり見つめていた。
  

長い長い2020年。
全身全霊で通じて味わい尽くし、燃え尽きた。