斎場御嶽を出て、港へと続く道を30分ほど歩いた。
久高島へ渡る前に少し遅い昼食をと思い、やっとたどり着いた港付近の小さな食事処へ。
『大和から?』と地元のおじさんに声をかけられた。
YAMATO
旅の友と目を見合わせ「??」と思いつつも、内地のことを”大和”と呼ぶということにすぐに合点し、”はい!”と返事を返した。日焼けした琉球のおじさんのくったくない笑顔と距離の無さにほっこりしてしまい、そのおじさんと同じ琉球名の雑炊を頼んでみた。少し離れた席に座っていたのに、そのおじさんはその雑炊の食べ方まで教えてくれた。雑炊を啜っていると、1人のお婆さんが入ってきておじさんたちと会話し始めた。小柄だが彫りの深いくっきりとした顔立ちのおばあさんは久高島の住人だった。真っ赤なハイビスカスのような大きなフリルの付いた化繊のブラウスが印象的だった。その人が「何か食料買っていった方がいいよ」と声を掛けてくれた。
見渡す限り、小さな商店もコンビニも無い。
船着乗り場に小さな売店でパンが売っていた。大きなパンを2つ買い込んで、素泊りの宿の2日分の朝食にあてる事にした。大きなパンなのに230円という破格値!九州のスーパーも食品が安くてびっくりしたことがあったが、沖縄でも!
そして、フェリーに揺られて辿り着いた久高島。
そこは、"神の島"と言われている。
気がつけば、私は、いつも島を旅している。
島には独特の空気感がそれぞれにあるが、”神の島”と評される島ということでちょっと緊張していたが、そんな不安も潮風に吹かれたらゆるゆると解けていった。
大きな波がその島を越えていったという逸話が残っているほど細長くまるで龍の細長い身体のような小さな島。山もなく平らな平野に現在は200名ほどしか住んでいない。
ブロック塀も含め、新旧の石垣が並ぶ、平家がほとんどだ。家の前には魔除の小さなシーサーが阿吽の姿で対になり鎮座している。
開けた人の住むエリアはほんの少し。聖域も多いからか、一部に密集している。
宿を探している間に少し道に迷って、浜沿いの道の方へ歩いてしまっていた。
道は舗装してあるものの、すぐに緑が深くなり、”あっ、ここからは聖域だ!”と勘が働き,引き返えすことに。
民宿は、民家の四畳半を間借りする感じの素泊まり。
飾り気のないありのまんまの日常生活の空気感漂う共有スペースに、親戚の家にでも来たような気分。
島に数件ある食堂から民宿の主人のおすすめのとくじんという店に向かった。
やはり、ここはとりあえずビールということで、オリオンビールで乾杯。
二ガナ定食という聞き慣れない名前の定食を頼んだ。
『御膳本草』と呼ばれる薬草・二ガナ。緑の葉を千切りにしたものを生の魚とザックリと和えたごくシンプな和物。
海藻を揚げた天ぷらとおひたしと味噌汁と白米。シンプルでローカロリーなのに体に良さそう。
二ガナは名前そのまま、良薬のように結構、苦かったが、癖になる味だった。
いつもは一人旅のことが多い私にとって、この場をわかち合うことができる友がいることも、とっても思い出深いものとなった。
夜になり、畳敷きの民宿で横になっていると開けっぱなしの網戸越しに夜風の音と共にゴォ〜、ゴォ〜という音が聴こえてきた。
なんだろう?
目を瞑って、じっと耳を澄ませていたら、ハッ!と全身で感じるように気がついた。
それは海鳴りだった。
2、3件家を隔て浜へと続く道には、野生のフクギというちょっとゴムの木に似た防風林が密生している。そこを越えれば、すぐに白い浜辺へと続く。
なんて自然と一体となった暮らしなんだろうと思いながらも、とても懐かしく感じた。
そして、海鳴りの揺り籠に揺られながら、その音にいだかれながらいつの間にか眠ってしまった…。