My Horizon

絵を描く日々や私の日常をつれづれなるままに、言葉と写真で紡ぎます。

母 体 回 帰(下)

冬空に白くフワフワとした小さなものが漂っているのが目に映った。

初めて見た、雪虫

虫というより、妖精のようにふんわりとした白いドレスを纏っているかのように、飛翔しながら本格的な冬の到来を知らせにきてくれた。

そして、展覧会はスタートした。



3日間掛けた設営。

心配だったインスタレーションも1日がかりでなんとか形になった。
繋ぎ合わせた平面の和紙が立体として立ち上がり、円形になって行く過程には、なんとも言えない感動があり、思わず声をあげてしまった。
微調整をして、その下に敷いた赤い絨毯の大きさもちょうど良い大きさでだった。


ギャラリーの2階の設置には、3日間、悪戦苦闘しながらも、ようやく形になった。
こちらは新作と共に近年の作品も展示しつつ、開放的でもあり、最後に原点回帰や祈りの要素も含みながらも自然とまとまったような構成にする事ができた。

不完全な箇所もあったけれど、それもまた良しと思いながら、展覧会を行いつつ手直しを行なっていった。
展示の始めと終わりにインスタレーションで使用していた160個のLEDライトの電源のスイッチがなかなか渋く硬いもので、爪がボロボロになったりもした。

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蓋を開けてみたら、このご時世にも関わらず、いつもの展示の3倍以上の方々に来場していただき有り難い限りだった。
毎日、来場者とお話して、様々な意見を聞かせてもらった。

『"執 念"を感じました』と3人の男性に言われたのが印象に残った。
確かに私は執念深い人間だけど、それぐらいじゃないと描き続けられないんじゃないですか?と改めて問い返してみたくなったけれど。笑




11月23日新嘗祭の夜には、川村かなえさんに三昧琴の演奏をしてもらえることになった。
チタンでできた三昧琴という楽器。その不思議な音色に耳を傾けた。単音だけだと鐘の音のような音色なのに、音が重なれば重なるほど、残響と今、響かせた音のバイブレーションがどんどん増幅し、新たな音の層を空間の中に作り出し、その音が足の先から入ってきて、少しづつ身体の中を渦巻くように上昇してくるのを感じた。響きあう微細な音の層の中、至福を感じた。

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ギャラリー1階に展開していた根底のテーマが”女性性”でもあったことで、ドーム型の和紙の中に入ったかなえさんと彼女が身に付けていた真っ赤なドレスとが相まって、宗教画の聖母を思わせる雰囲気だった。それは、私がイメージしたものが具現化した現象でもあり、新嘗祭の夜の中、刻印された記憶となった。



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11月28日、6年ぶりのトーク&ディスカッションを行った。

朝から着付け講師でもある高橋まさきさんのコーディネートによる斬新な着方の着物を一日身につけてさせて頂いた。まさきさんの想像力のお力も借りつつ、コラボしながら”形に捉われない奇抜で自由な芸術家”スタイルを味わう事ができた。布を纏う事は、意志を纏いながらも、それを体現することの自由を味わうことでもあるのだと改めて実感させていただいた。その後、中本誠司現代美術館のコーディネーターでもある垂石陽子氏にナビゲートしてもらいつつトークは展開した。和やかで楽しい1日が暮れていった。


そして最終日の夕方、美術館の許可を得て、短時間ではあったが、リアルキャンドルを灯す事ができた。それは私にとっても念願だったので、和紙が燃えないように注意を払いながらも内側に灯された炎を目にした時、何かとても報われたような気持ちになった。

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自分が作った子宮の中、無数の細胞のような血潮が蠢くシェルターの中で最後に思いに耽った。



言葉にはならない気持ちが込み上げてきた。



私は私なりにやりきったんだ…と。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

このようなご時世の中、ご来場くださった方々、
展覧会に協力してくださった方々、
中本誠司現代美術館のスタッフの方々、
心からの感謝を申し上げます。

ありがとうございました。

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母 体 回 帰(中)

9月に入り、少しの間、居場所を変えてみたら?という提案を受けた。
渡りに船といった感じで、江ノ島の近くの街で約半月ほど暮らした。


そこでもほぼ一人きりの生活は続いた。
その中で、ぽろっと産まれてきた作品があった。


『抱 僕』という作品。

高橋源一郎さんのラジオを聴いていた中で知った”抱 僕”という老子の言葉。

”原木を抱く”という意味があるというその言葉が頭の中で定着した。


その言葉は、まさに私が介護していた時に一番強く感じていた気持ちだった。

原木を抱くとは、荒木を素手で触ることでもあり、自分自身が傷つくことも覚悟しながら、その人をありのままを受け入れること、それが介護というものだと感じていたから。


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それはふうっと現れた。

描いている途中で、これはまさに”抱僕だ”と合点し、筆を進め、短時間で仕上がったものでもあった。


そして、自分の心にあるクレーターのような大きな凹みを言葉にできずに気持ちを持て余していたところに、”喪失感”という文字が浮かび上がり、スッと府に落ちた瞬間が訪ずれた。

その次の夜、4ヶ月ぶりにニコニコと笑いながら現れた父親の夢を見た。




全てのことが用意されていたかのようにするすると私の心に答えをもたらし、方向性を指し示しているように感じた。


暗夜行路の中でも、導きを受けながら、手探りで進んで行く道中。
不安は拭い去れないものの、なぜかいつも道標があり、私はそこに対応しながら、そこで最善を尽くすことだけに神経を傾けるだけだった。




小さな滞在が終わり、自宅へ戻った。


最期のラストスパート。

ドーム型の中に敷く赤い絨毯のサイズをシュミレーションをし、160cmに決め、蝋燭は使えないため、LEDキャンドルをネットで探し回り発注。しかし、ホームセンターを数軒回ってもドーム型を形作る棒がなかなか良いものが見つけられなくて、ヤキモキしていた。


大判の和紙は、コンスタントに続けていれば2ヶ月で1枚を仕上げることができるとわかり、時間があれば昼夜惜しまず制作し、やっと4枚制作し終わり、全てを大和のりを使って繋げ、裏面の強度を高めるために和紙をさらに貼り付け、円形の元になる棒を百円均一でたまたま探し当て、大体の大まかな下準備ができた。

それでも私の不安は消えなかった。


初めてのインスタレーション

作品は時間を掛けたからといっていい作品になるという保証もない。

思ったようにいかなかった事は、今まで何度もあった。


それでも試してみたい…。



日々、コロナウィルスの影響が生活の至る所にまで大きな影のように定着して行く中、案内状を書いていても”ぜひお越しください”とも書く事ができず、どれだけの人が観に来てくれるのかもわからない中でも、自分の仕事として、自分が出来る限りのことをしようを思っていた。



2020年に個展をする事が私にとって重要だと考えていた。


そして、自分が自分の展覧会を一番、観たかったから、その望みを叶えたいと思っていた。


観覧者が自分ひとりだったとしても…。


(下)につづく…。

母 体 回 帰(上)

やっと家に辿り着いた。
やっと、やっと・・・!!
長い長い制作期間と2つの展覧会を終えて。


お陰さまで、無事に仙台での個展と神奈川県での二人展を終えることができました。
コロナ禍にも関わらず多くの方にご来場いただき、有り難うございましたm(_ _)m


ホッと安堵しています。
深い深い安堵感・・・。

いろんなことが頭の中を駆け巡っていたのにも関わらず、文字に起こす時間が取れず、今頃になってしまいました。



少しづつですが、振り返ってゆきたいと思います。


展覧会中、お話ししたことと反芻してしまう内容もあるかもしれませんが、振り返りつつ、私自身の備忘録も兼ねた記録としてここに記したいと思います。

一緒に振り返っていただけたら幸いです。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



11月21日から始まった展示『母体回帰〜Return to the matrix〜』

私が主体的に行う10回目の個展。

そのスタート日は奇しくも今年、5月に亡くなった父親の6度目の月命日になってしまった。


一年前、奄美大島からの一人旅の帰り、明け方近くに着いた高速バス下車後、真っ直ぐ向かった美術館で、個展の日程を決め帰宅した。
その時は、父も持病を抱えながらも元気だったので、一年後の個展開始日がこんな意味合いを含む日になるとは夢にも思っていなかった…。



そういう意味でもこの一年が私にとって重大な節目となった。




去年から始めた大判の和紙に無数の点を一点一点打つ作業。


私にはすでにイメージがあった。
自分自身の細胞を描きたいという欲求が。

自分の中、泡立つように疼くように微細なものがいつも渦巻いている。
それを掴み取って具現化したかった。



気が遠くなるような作業だったが、私の中で暖めていた構想だったので、相変わらず後先も考えず、己の欲するまま、来る日も来る日も同じ作業を繰り返していた。

人から見れば尋常ではない作業だろうとどこか他人事のように思いながらも、私はそれをせずにはいられなかった。
人がどう思うかなんて考えていたら、表現の裾野は広がらない。自分の感覚にただ正直に向き合うことを必要としていたのだと思う。





ここ数年、出会いに恵まれ、特に私に影響を与えてくれたのが舞台『歓喜咲楽(エラギラク)』だったと思う。数度、このことについてブログで触れてきたが、着想はその時に得たものだ。

あの”カテドラル”とも評されたドーム型の和紙による子宮のイメージと私の持つ細胞のイメージとを結びつけながら、自分の子宮の具現化をラフスケッチに起こし、何度も何度もその青写真の作業を行いつつ、そのイメージが今回の個展の主軸になると直感していた。



原点回帰、回帰線、母型、基盤、源。
様々な言葉の断面から発せられる事柄からいつも結びつく、自分自身の無意識を意識化する作業。

いつも言葉が重要なキーになって平面の世界へなだれ込んで行く。

言葉が微細な色面になり、形になって表情のない紙面に放出されて行く。

時々、自分の肌から何度も鮮血のようなものが吹き出してくるようなイメージもよぎった。
気持ちとイメージが乖離したり、重なったり、もどかしくもあり、ドキドキしたりを繰り返しながら、時には怠惰になりつつも作業は行われた。







そんな作業を行いながら、今年、2月から父の体調が思わしくなくなり、入退院を繰り返し、自宅介護へと切り変わっていった。

怒涛のような日々。


私自身もこれまでに味わったことがないほど身体が軋むのを感じながら、浅い呼吸のまま日々を過ごしていた。
父から目が離せない状態だった。
制作は止まり、父との終末期をいかに過ごすか、何が最善かを考え、そのことだけに集中することしかできなかった。自分自身も壊れてしまいそうな感覚を覚えながら、なんとかしのいでいた。


4月の末に、病状が急変し、仙台の病院へ。その後、重篤な状態が続いた。

それでも父は最後の踏ん張りを見せてくれた。
その頑張りは見事なほどで、主治医も看護師さんたちも感心させるほどだった。
最期の最後まで、家族の期待に答え、家族を守ろうとしてくれた姿のように私の目には映った。
それは大きなメッセージだったように思う。


毎日のように病院へ車で通った。
コロナ禍においても幸い毎日30分の面会が許されていた。その時間をなるべく有意義に過ごそう努めた。

毎日、病状が変わり、次第に意識があの世に移行し始め、やがて昏睡状態となり、5月21日、病院からの電話が着て、臨終の時を迎えた。


コロナ渦でのこじんまりとした家族葬は、あっという間にその儀式を終えた。

私は、泣く余裕すらなかった。
父の死を受け入れることがなかなかできず、ごく一部の人にしかその事実を知らせないでいた。

本当は、誰にも知らせたくなかった…。








2ヶ月ぶりに点を打つ和紙。

1枚目の和紙を描き始めて、7ヶ月も掛かってしまった。

一人になり、本腰を入れて個展のイメージをキャンバスに和紙に、紙の上に載せる作業に入った。
油彩、墨、ミクスとメディア、自分が持ち得るものを全部、ぶちまけてやりたいと思った。


そして、中本誠司現代美術館のリニューアルされた2階も借りることにして、東館1階と2階の同時開催をいう形によって、これまでの自分とこれからの自分を振り返り、イメージしながら根源的なものへと自らを誘うような展示をしようという発想が生まれてきた。



作品の中で、自分が生まれ直そうと考えていた。






シ〜〜〜ンとした部屋の空気が金属音のように耳から脳裏に突き刺さってくるような違和感を感じながらも、その感触を払いのけるように、とにかく描き続けた。



私にはそれしかできなかった…。

そうやって己と向き合うことでしか越えられない大きな壁が目の前にあった。


大きな和紙にひたすら打つ緑と赤の点にしかそこを埋められないと感じていた。

孤独の淵にいても描くことでしか自分を救えない。

それは切実な想いであり、私が画家という道を選んだことゆえの越えるべき峠のようなものであったように思う。


(中)につづく。

いのちの道しるべ

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一つの点を打ち始めてから、一年近く経とうとしている。

展示も近くなり、急ピッチで、夜な夜な台所に大きな和紙を広げてながら制作している。

 

 

大学ノート3冊分を一冊にした厚い大学ノートの備忘録帳も3年の時を経て、さらにぶ厚くなった。

 

ひらめいた言葉が、やがて大切なヒントとなり、道しるべとなって、道中を照らす光となる。

 

だから、いつも直感から、こだました言葉を走り書き、心に刻むようにノートに書き記す行為を続けてきた。

 

私にとってこの行為がとても大切で、ひとかけらの言葉によって、無意識の中にあった事柄が深い眠りから覚め、カタチとして、生まれ出ようと私の中、宿る。いつもそう感じている。

 

手探りで探すカタチ。

 

そのイメージに合う素材、画材、題材を探ってゆく。あーでもない、こーでもないと自問自答しながら。

 

今回、浮かんだ、いくつかの単語。

そのどれもが"いのち"と結びつく。

"いのち"が動いている場所。

生命と繋がられる場のようなものを作りたいと思った。

 

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ここ数年、微細なものの動きについて、興味があり、細胞のような点による作品を作り続くてきた。

 

自分の内側で感じる感覚をカタチにしたくなっていた。それは、私の内なる欲求だった。

 

自分の細胞のようなものを紙面に表出させる行為として、点をひたすら打ち続けた。

そんなものに自分が包まれてみたいと…。

そんなイメージがあった。

 

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来る日もくる日も点を打ち続けた。

 

そのことを人に言ったら、もっと合理的にやったらと言われることが多く、言われるたびにムカついて、それって違うんじゃないかと言い返していた。

 

合理性の抗うのことが、芸術なんじゃないかと思うからだ。

 

 

時短で、無駄を無くすことが、大手を振ってまかり通っているのが現代なのかもしれない。そこで私がやっていることはあまりにも不合理で原始的な行為として目に写るかもしれない。

 

しかし、私は、皮膜のように広がる紙面に一粒一粒、点を打つことで、小さな細胞が生まれ、身体を動かしているように、その小さく微細なものの動きによって、身体がカタチ作られてる様子を再現したくて、その身体の内部の動きを表出させたくて、このやり方を選んだのだと思う。

 

うごめく血潮のようなものを描きたいと思いながら描いている。

 

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そんな矢先に、コロナウイルスが発生し、鳥肌が立った。微細なものを描いてきた途中にこの出来事に出くわすなんて…。

 

まさにこのウィルスも小さくとも人体に様々な影響を及ぼすものなのだから…。

 

このことが起こって、さらに、この作品を作ることになにかとても意味があるように思えてきた。それは、やはり"いのち"と深く関わることでもあると感じている。

 

イノチガケの進化が目の前にあるような気がしているから…。

 

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夜な夜な打ち続けるドット。

紙面に無限に広がり続ける。

 

今を刻むように、

指先からいのちを紡ぐように描きたい。

 

直感と宇宙タイミング

すべてのことが"宇宙タイミング"だとするならば、今年前半も後半も同じぐらい濃く熱いスペクタルな宇宙タイミングの連続だった。


経験アトラクション満載な年。
グルグル目が回るような。


こんなにもコントラストが強めに自分の範疇を超え、問答してくるように畳み掛けるように対応を迫られることがあっただろうかと思うくらい。

そんな中、今までいろいろと活動してきたけれど、四六時中、描いているようなこの感じは、本当に久しぶりで、集中し過ぎて、他のことがよく分からなくなる感覚すらある。

ちょっとあぶない・・・。
時空が違ってきている感じもする。


そんな中、目の前に対応するべきことが山のようにあるのに、さらに私を試すようなことが起こる。

個展前というのは、いつもこれでもか!と試されることが多い。
なんで今?!と思いたくなるようなことも平気で起こったりして、小さな頭を駆使しながら、目の前のことに対応している日々。

そして、更に、今回は、とっても嬉しい展示の誘いがあったりで、渡りに船。即答、乗船を決める。



この世はタイミングなんじゃないかと思っている。


直感は欺かない。



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そんな中、SNSで、”ハナププ式珈琲セレモニー”というイベントの告知を見つけた。

説明を読んでもなんだかよくわからない…、
でもなんとなく行きたい。

そんな直感が疼いたので、即、連絡。


開催するオーガニックカフェsoul treeには行ったことがあったし、店主さんも知り合いだったので参加してみることに。


去年から、”旅を仕事に”なんていうキャッチフレーズが私の頭の中にポッカリ浮かんでいる。

そんなことを考えていたら、まさに旅をしながら、行く先々で珈琲のセレモニーを行っているタカさんとお会いした。
他にも、クラフト系の旅する作家さんにもお会いし、なんだかとっても楽しかった。


みんな自由に生きている人たち。

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さまざまな変遷を経て、インドネシアスマトラ島のオーガニックコーヒー豆に出会ってしまったタカさんと参加した一人一人のエネルギーも抽出され、その珈琲が出来上がるまでの時間を共に味わうセレモニー。

アフリカのエチオピアという国では、3時間もかけて珈琲を共に味わうセレモニーが本当にあるという。
原産国ということもあり、珈琲豆の有り難みを知っている人々の行うセレモニーというものは、神聖なものでもあるのだろう。
行ってみたいなぁ。


ハナププという可愛い言葉は、インドネシアの言葉で”なんとかなるさ”。
こんな世の中だからこそ、そんなゆるさも必要だよね。

気持ちが解けてゆく、そんな時間だった。


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すべては”宇宙タイミング”
その言葉が私にも定着した。

私の中の流行語大賞受賞!



今、私が夢中になっているプリミ恥部さんの言葉。
彼のYouTubeを見ながら、聴きながら制作することが多い。

姿形も声も角がなく、ぷにぷにしていて、まるくて、まろやかで、甘い。
身を委ねたくなるような安心感。
得体のしれない不思議な人。
初めは、なんだかよくわからなかったけど、今は、"わかる"。
感覚的にすごくわかるというか。

現代版・愛の伝道師のような方です。

『光世界』プリミ恥部さん
https://youtu.be/mDSyspr66os


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今年は、予定していたことがかなり流れてしまった。

でも、11月の個展はどんな状態でもしたいと思っていた。
例え観に来てくれる人がいなかったとしても、自分のためにしたかったし、自分が一番、観たいと思っていた。



そんな展示が近づいてきている。

いろんな意味で、私にとって意味深い展示になるだろうと思っている。

それを観た人はどんなふうに思うのかは、わからないけど。

絵が間に合わなかったらその場で描いているのも”あり"だと思ってもいる。

ちょいゆるめに考えていたりもする。



 
すべては、宇宙タイミングと信じるなら、自分の中の違和感をちゃんと感じ、直感、身体感覚、感じる気持ちに心を開けば、なんとかやってゆけるのかと。

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髙橋 典子 個展
母体回帰〜Return to the matrix

2020年11月21日(土)〜29日(日)迄

宮城県仙台市
中本誠司現代美術館にて。

このようなご時世ではありますが、よろしければ、どうぞご高覧ください。


★新しいHPもできました★
よろしくおねがいします。

http://www.norikopainter.com/

悲しみよ、こんにちは

15、16歳っていうと少し背伸びをして、大人の世界をいろんな方向から、覗き込んでみたくなる時期。

私の場合、
映画の世界、
本の世界、
音楽の世界と・・・、
四方八方から覗き込んでいた。


今より情報が溢れていなかった分、様々な雑誌を覗き込み、辞典を調べ、探し歩いていた。
くんくん嗅ぎ分けて、自分の好きそうな物を探して回った。



どこか遠くの国の匂い、
煙草の匂い、
お酒の匂い、
男女の匂い、
得体の知らない大人の匂いに憧れていたのかもしれない。


好きなものを見つけると、読みふけり、繰り返し見聞きして、没頭….。

自分が求めているイメージとどこか重なるものを感じ取っていた。

それらの擬似的な体験は、次第に自分に染み込んでゆき、よく馴染み、使い古した毛布に顔を埋めるようにその匂いを嗅ぎまくるような、そんな愛着をいつの間にか抱いてしまっていた。

ジュリエット・グレコ

初めて彼女の声を聴いたのは中学生の頃。
夕方に聴いていたNHKのFMからその声は流れてきた。
フランスの音楽特集でシャンソンからフレンチポップまで新旧の曲が掛かっていた。



芯があって凛としたちょっと太く低い声。
独特の存在感を持った人だと声を聴いた時にそう直感した。


その後、その姿を見たのは雑誌の中だった。

黒ずくめの出立。
黒い髪に黒いアイライン。
身振り手振りを交えながら、歌い上げる。
一曲が一編の物語のように
本当に黒がよく似合う人だった。
私が思い描いていた大人の女だった。


ジュリエット・グレコが亡くなったと昨日、ラジオのニュースで知った。

グレコは、エディット・ピアフに次ぐようなフランスの偉大なる歌手。


93歳、大往生だった。




『悲しみよ こんにちは』は、小説家フランソワーズ・サガンのデビュー作の題名。
この小説がヒットして映画化された時に、ダンスホールグレコが歌うシーンがある。


刹那的な恋に揺れる若者の心情をクールに歌い上げるグレコの存在感は、ずば抜けた存在感を放っていた。

『悲しみよ こんにちは』
https://youtu.be/ruDOmCTMLgw



そんなクールな彼女を見染めたMr.Coolがいた。

トランペット奏者のマイルス・デイヴィスだ。



どこかで見たドキュメントでうる覚えだが、パリで出会った二人はすぐに恋に落ちた。

グレコは、それまで同性愛であることを公にしていた。

でも、彼女に取っては、人間を愛しているという感覚しかなかったのでないだろうか。
形にとらわれないパリの自由人。

https://youtu.be/AVJXSxswYZs
(イラストの動画が、なんとも洒落ている!)


意気投合した二人は、逢瀬を重ね、パリとアメリカを行き来しながら長い間、交際していた。


マイルスが『枯葉』を弾くようになったのは、グレコのを想ってのことだったのだろう。
グレコが歌う『枯葉』は名曲中の名曲だからそんな彼女の持ち歌を好んで弾いていた。そんなエピソードにマイルスの深い愛情を感じる。


たぶんフランスでは国葬になってもよいのではないだろうか?
それだけの価値がある国民的歌手だと思う。



Repose en paix.

『枯葉』
https://youtu.be/n9Sfx3c7fR0



〜〜ちょい余談〜〜

『悲しみよ こんにちは』は、私の十代の愛読書だった。
フランソワーズ・サガンに10代後半はどっぷりハマっていた。

この作品の映画に出ているジーン・バーグも可愛いんだけどちょっとワルな感じがとっても好きで、何度か彼女のショートヘア”セシル・カット”を真似してベリーショートにしていた時期がある。
美容室で欧米人と日本人の髪質が違うと言われ、それでもできるだけ短くして欲しいとお願いした記憶もある。

この映画から3年後、彼女はジャン・リュック・ゴダール監督の永遠の名作『勝手にしやがれ!』に出演して、伝説的な存在へと変貌を遂げるが、40歳の若さで謎の死を遂げた。しかし、彼女は、今もなお愛され続けるファッション・アイコンとして生き続けている。

映画『勝手にしやがれ!』の最後に「Pourquoi?(なぜ?)」と彼女が唇を親指でなぞりながら呟く姿は、『悲しいよ こんにちは』の彼女の演じたセシルの3年後であるようにも思える。


アメリカなまりのフランス語が可愛かったなぁ…。
"美人薄命"という言葉をつい思い出してしまう。

https://youtu.be/AI1ORhku0vw

風をなぞる日々

9月も下旬に入り、刻々と目に見えないものが現実の中、ゆっくりと、でも着実に”変化”を巻き起こしている気配。

一ヶ月ごとに違う感触を感じながら生活している。

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海からの風が洗濯物を揺らして、踊っている。


いろいろなことが重なって、短い期間、海辺近くのアトリエを間借りしながら絵を描いています。


場所を変えることが今の私にはどうしても必要でした。





場所を変えてみると、どれだけ自分が囚われていたが分かってきた。


絵も構築しなきゃ、完成させなきゃ!と肩にとても力が入ったような状態で….。でも、それはそれで手応えのある作品もできていたけれど。
なかなかぐっすり眠れなかったり、
グルグルと同じことばかり考えていたりで….、精神的にもかなりどんよりとして重かった….。

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思い切って、場所を変えてみると

まるでこっくりさんをしているみたいに絵を描いている。
そんな例え・・・、やっぱり変かな?!


考えることをやめて、感じるままに過ごしてみることにしたら、自然とそんな感じになってきた。


ブルース・リーの名言
Don't think!Feel!!
考えるな、感じろ!!
というフレーズみたいに。


絵の初期衝動ってやっぱりいつもこんな感じ。
描き放つ線と形と色彩は、心や身体の動きと連動してゆくのを止めず、とがめず、考えることをやめてみると忘れていた感覚が紙の上で目をさましたかのように踊り始める。



いろんなものに縛られていた自分を一つ一つ、見つめ、許し、解き放ってゆくだけでいいんだって思えてきた。


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2020年は、世界的に見ても何か捉えどことのない壮大な変化が始まった年。

大なり小なり、誰しもがその得体の知れない感触に戸惑いながら日々を過ごしていると思います。
私もご多分にもれず….。



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大きな風、小さな風、中っくらいの風が日々、吹き抜けてゆく。

そんな風の中で、生まれ続ける自分。
変わりゆく風に乗りながら、その風を感じて描く。


それでいいんだって思いながら。



そして、なぜか私の頭の中に、この愛くるしい主題歌の映像が流れ続けています。

坊や、よい子だねんねしなぁ♪

https://youtu.be/I5ONcdl2KRE