My Horizon

絵を描く日々や私の日常をつれづれなるままに、言葉と写真で紡ぎます。

息をひそめた街で

久々に夜、少し歩いた。

 

し〜〜んと静まり返った街。

 

こんな街の空気は、大晦日にも感じたことがあるけれど、でも、やはりちょっと違う。

 

濃紺の深いガラス瓶の中にいるような、

押し黙った夜の底を歩いているような気持ちになった。

 

息を潜めた空気がどこまでも張り詰めた街。

 

 

暗い夜を裂くような音がして見上げた先には、4つのライトが点滅する飛行機が南へと飛び立って行った。あの機内にはどれだけの人が乗っているんだろう?と考えたりして…。

 

 

 

 

飛行機。

今度、乗る時は、いつどんな場所へ向かう時だろう….。

 

 

NHKーBSの番組で、「そして、街から、人が消えた〜封鎖都市 ベネツィア」を観た。

 

舞台は、今年2月のベネツィア

3ヶ月前、50年ぶりに黒潮の被害を受け、2mほど水嵩が増し、多くの場所が浸水した。

しかし、黒潮の被害から、また、再び立ち上がって今年も300万人もの人が詰めかけ、18日間のカーニバルが開催されるその街のドキュメントだった。

 

しかし今年は、そのカーニバルの最中、ひたひたと黒い影が忍び寄って来ていた。

 

コロナウィルスが少しずつイタリアの北部から、広がり始めていた。日に日に変わる状況をつぶさにカメラは記録し続けていた。

 

残りあと2日というところで、カーニバルは、中止。カーニバルのメイン会場だったサンマルコ広場から、人が消えた…。

 

 

その中で、話題になったのが、14世紀からたびたび流行したペストだった。

 

この番組を観る前に、カミュの小説「ペスト」を読み始めていた。その本を置いて、テレビをつけ、その番組を見始めたこともあり、なんだかちょっと寒気が走った。

 

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カーニバルに使われていた巨大なネズミの船。

そして、患者を診療する時に医師が身につけたマスク。

 

ペストの時代の文献を読み研究して、再現されたマスクは、今もカーニバルの際の定番アイテムとして使われているという。

"あの記憶を忘れまい"とする象徴のような仮面だ。

鳥のくちばしのような部分には、薬草を詰め、ペスト予防しながら医師も自分の身を守っていたと言われているとか。今のマスクのような役割だったのか…。

 

 

カミュの書いた「ペスト」の持つ臨場感は、凄い。

 

今もなお、そのリアルさは、鮮度が褪せることを知らないどころか、このコロナウィルスの影響下で、より鮮度を増している。

まるで本当にあったことをドキュメントしているようで、刻々と変わる状況が今の状況とリンクしていて、つい夢中になってしまう。

 

ペストは、致死率の高い疫病で、インフルエンザウィルスに近いコロナウィルスとは、異なるもののようだが、感染するという観点では、共通しているところもある。

この状況下で読むことによって、どうこの状況と向き合うのか何か参考になればと思い読み始めた。

 

 

 

この番組の中で、仮面を作る店の娘さんが話していた言葉が忘れられない。

 

「悲劇を積み重ねて、私たちは強くなった。」

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一昨年のイタリアへの渡航がもし今年だったら…とか、今年、東京での個展だったらとか、過去と現在をずらして、考える時に、そこに行けたことや展覧会を実現できたことの必然性というものについて、つい考えてしまった。

今年だったらどうなっていたのだろうかと…。

 

 

できること、できないこと、

その必然と意味を考えると、

今しか生きられないものだぁと改めて思う。

 

 

今、こうして、ガラス瓶の底のような夜の闇の中で、誰にも会うことができず、何処にも出掛けることが出来ない場所で、息を溜め込んでいることに気づき、意識しながら息を吐き、呼吸している自分というものを感じながら、今日もなんとか父の世話をして、疲労の中、埋没してしまいそうな自分を救い上げるように、今、生きている自分に手探りで触れたくて、文字を起こしながら、今日を記しているような、そんな気がしてならない….

 

 

最近は、この人ばかり聴いている

素晴らしい声のシンガーソングアンドライター

キャンディス・スプリングス

https://youtu.be/Hbl5AoDmxqU

 

面 会

今日、不思議な夢を見た。

 

夢の中で夢を見た。

 

寝ている私の部屋の下でゴソゴソと物音がする。静かに降りて行ったら、居間の電気がついていた。

 

そこには、父の姿が…。

「なにやってんの?っていうか、病院からどうやって帰ってきたの?」

 

入院中の父が、深夜自宅に帰宅していたのだ。

 

それも真っ白な髪が黒黒となり、姿勢もピンとし、体にも張りがある若い頃の父親。働き盛りの50代頃の父の姿が….。

 

「なんでもね〜のに入院してられっか!、病院なんて、なんとかなっぺ!」

と息巻き、なんだかとても元気そう。

 

そんな夢を見て目覚めた自分を夢で見ていた。

 

そして、現実の起床。

 

父の姿だけが、記憶に鮮明に残った。

 

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先日、ラジオで、イタリアと日本を行き来している作家のヤマザキマリさんがイタリアと日本とのコロナウィルスの捉え方の違いを話していた。

 

家族第一主義のイタリア。

そんなイタリアで、コロナウィルスの猛威が吹き荒れている。感染者した家族とは、面会も出来ないまま、最後の時も親族に見守られることもないままこの世を去ってゆく。そして、会う時は、棺に入ってから….。

これは全世界的に同じ状況だが、家族を中心に考えるイタリア人にとっては、例えようもないほどの悲劇であると力説していた。

 

イタリアほど濃厚な家族主義ではないものの、やはり心配なのは、どこの国でも同じことなのだと思う。

 

 

本当に会えないのだから…!!

 

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私も3週間振りに父と数分ほどの面会ができた。

 

いつもは、ガラケーが命綱。

たまにかかってくるけれど、ただ声を聞く程度でいつも短く切れてしまう。

今月に使わないから解約しようとしていた父のガラケーがこんな時に役立っているとは….。

 

 

久しぶりに車椅子で現れたその姿は、やはりやつれてはいたが、ニコニコしていて、「オレはなんでもないのに…」を繰り返している。

「もう少しで退院できるからねぇ…」と手を出すと力強く握り返してきた。

思ったより、元気だなぁ、と少しホッとした。

 

 

 

実際に顔が見られる、その人に会えることが、遠く遠く彼方にあるようなそんな世界で、一人で過ごす時間が永遠と続いているような気がして、時々、怖くなる時もある。

 

やたらと夜が長く感じる日には、現実逃避を決め込んで、YouTubeやDVDで気持ちを紛らわせているか、とっとと寝てしまう。

 

 

3月に転んだ捻挫がなかなか治らず、整形外科で診てもらった。捻挫から3週間が経とうとしていた。

腫れた足も自然とよくなったのだが、時々、痛みが走り、痺れも取れない。

父の入退院と次の入院が重なって、自分のことは、後回しにしてしまっていたのだ。

 

レントゲンを撮ってもらい骨には異常無しで、少しホッとした。レントゲン代がちょっと高かったけれど、これも安心代だから仕方がない。

捻挫を侮るなかれな…のかもしれない。

ゆっくり治るのを待つとしよう。

 

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そんな中、一人ぼんやりしていたら、小包が届いた。

心配した友達が足のサポーターとお手製の不思議な卵みたいなものを送ってきてくれた。箱を開けると不思議なキラキラした気配が広かった。

 

 

ありがとう✨

ゴジラとコロナ

ずっと気になっていた映画『シン ゴジラ』をやっと観た。


理屈抜きに面白かった。



3.11からの原発事故を経て、新しい時代のゴジラ像を作りあげようとする熱量が細部に至るまで行き渡り、ゴジラに対する敬愛の念と現代へのアンチテーゼが込め作られたエンターテイメント。エンドロールの最後までゴジラ愛がたっぷり詰まったような映画だった。


CG効果もアメリカのマーベル社の映画の迫力で押し切るような映像とはやはり異なり、繊細で緻密な加工が施されているように感じた。




ゴジラを観ていたら、なんとなくゴジラもコロナウィルスも同じものなのではないだろうか?という思いがよぎった。



コロナウィルスに関しては、自然発生的なものという説や人が作ったものという説など、さまざまな意見があるが、ここまで全世界的に広まってしまうと、私は、そのどちらでもあまり関係ないように思う。


それよりも、なぜそれがこの世に起こってしまったのかという現象の意味を知りたいと思う。
集合的な意識が働いて現象は起こっていると思うからだ。


シンゴジラに出てくるゴジラは、人が作った放射能廃棄物が海中に投棄されて、その中から生まれた産物という設定。

人が、”想定していなかった範疇”を越えて、生まれてきた生物。

コロナウィルスの生まれてきた過程はわからないが、やはり人類にとって必要だから生まれてきたものだと思う。
地球自体が望んでいた現象なのかもしれない・・・。
ゴジラはフィクションだけれども、そのフィクションとこのウィルスの存在を比べるのはいささか強引かもしれないが、どちらも人類が生み出した生物という共通項があるのではないかと直感的に感じてしまった。






そして、もうひとつ改めて、気が付いてことがあった。

人も”生物”なのだと。

このあたりまえ過ぎることをすっかり忘れていたように思うのだ。


これに気が付いたのが、映画『シン ゴジラ』を観終わった後、偶然、切り替わったBSの番組「コズミック・フロンティア」という番組で、ゴジラ張りに獰猛そうな巨大魚の骨の標本が映し出されているのを観た。


その巨大魚の名前は忘れてしまったが、その魚が生きていた時代、海にバクテリアが大量に発生して海水に酸素が不足してしまったという。
そのため、住んでいた魚の70%が死滅していまった。しかしその巨大魚は、従来の魚がしていた鰓呼吸から、すでに進化し、肺呼吸に変わっていたため、陸上に上がり、進化の過程を辿ったという話だった。

その数日後、ある本を読んでいたら、この魚の進化について、同じ内容のくだりを見つけた。


「海中に酸素が行き渡らなくなり、そこにウィルスが発生して鰓呼吸できなくなって多くの魚が死滅した。
しかし、そのウィルスは”逆転写(トランスポゾン)”という現象を引き起こし、遺伝子の内容を劇的に変化させたという。それが先ほどの巨大魚が海から陸にあがったというひとつの進化の過程の中に凝縮されている」と。


TVで見た「コズミック・フロンティア」の中で、フランス人の学者の男性が”トランスポゾン”という言葉をしきりに使っていたことを思い出した。


毎年のように流行するインフルエンザも同じ逆転写(トランスポゾン)して機能している説がある。

「インフルエンザに代表されるRNA型ウィルスは、あっちこっちから遺伝子情報を取り入れ、今度は、とりついた宿主のDNAに自分の遺伝子情報を書き込んでしまうのです。これを逆転写というのです。インフルエンザ・ウィスルは、DNAの100倍の速さで分子進化するのです。生物が400万年かかって進化してきたことをインフルエンザ・ウィルスは4年でしてしまうのですよ。」(「超常戦士ケルマデック」ケルマデック・著より)

これは、インフルエンザ・ウィルスの話だが、コロナウィルスにも当てはめられる説でもあるのではないだろうか?

「生命は、病むことで進化する」 

と同じ本の中でそんなことが解かれていた。

私の中でリンクしたこの説がコロナウィルスに対しての見かたを新たな方向性へと導いてくれていると感じている。

人類が進化するためのものであると。
そして、その過程を辿っているいるのだと。


人間も進化の過程にいる生物でもあるんだね。




https://youtu.be/TjJC7ea1IvE
このブログ中で引用した本の著者・ゲルマデックさんのお話。(※4月末まで観られます。)

それでも日々は、

灯された数本の蝋燭。

その炎を絶やさぬように、その蝋燭が少しづつ短くなるにつれて、ゴールの日が近づいていると思っていた。

そのともしびは、私にとって生きていくための小さな光であり、希望だった。

しかし、その炎をゴール寸前で、自ら吹き消さなければならい状態になってしまうとは…..。

 

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5月の展覧会の延期も4月のパフォーマンスの中止も私から申し出、提案し、方々に相談した結果、出たした答えだった。

 

 

 

中本誠司さんの没後20周年を迎える2020年4月。

昨年から、ある話が浮上して、数人で何かをする計画が二転三転し、各パート別に内容を考えるという案に落ち着き、大串孝二さんと2人で何かをするという話になった。

 

大串孝二さんの相手は、舞踏の方が多い中で、

パフォーマーでない私が何をするのか…。

大串さんの"僕に任せて"という言葉だけを信じて、そのアイデアが来るのを待った。

 

数回話し合って、パフォーマンスのアイデアはなんとなく想像していたが、やっと今月になって、ラフスケッチが送られてきた。そのアイデアは、私の興味を引くものだった。

 

これなら出来るかもしれない….。

 

そして、その内容は、誰も見たことのないものになるような気がしていた。そこへ込めた意味合いも、私が常日頃、絵の制作の中、思っていることに共通しているものだったのでとても楽しみにしていた。

 

すべてが大丈夫だ、と踏んでいた。

 

しかし、刻々と変化する世界情勢。

一日、二日で、状況が進み、一週間で世の中が、ガラッと音を立てて変わってゆくさまを液晶の画面越しに見つめていた…。

 

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そして、もう一つの展覧会。

 

3人展の発案者は、私ではないものの、国内のコーディネートは、美術館側の助けも借りつつ、この展覧会のサブタイトルと同じように"パリと仙台"を結ぶやり取りを一人で担っていた。

 

作品をお借りする先方に展覧会のきっかけになった経緯を手紙に書き、参加のお願いをしたり、パリへも状況を伝えながら、手探りながも着々と準備は進んだ。

グループ展は、何度か行ったことがあったものの自分が主導ですることは、初めてに近かった。

 

フライヤー作りも東京に居る方とのやり取りとパリと仙台とを結ぶやり取りで、個々にメールを送る方法しかなかったため、なかなか思うように伝わらなかったり、何かがスコンと抜けていたりして、お互いに気を揉みながらもようやく終わりが見え始めていたところだった。

 

そして、このフライヤーを4/4の中本誠司没後20周年のイベントに間に合わせることを目標にしていた。

 

そんな中、パリの空港か封鎖されたとの連絡が入った。封鎖間際に飛び立ったと安心しきっていただけに、一瞬、目の前が真っ白になった。

 

SNSで情報を集めて、今後予想されそうな出来事を頭の中で出来る限り想像し、いろんなことを想定してみた。

 

パリから来る作家さんが来日したとしても、パリに帰る際に大変な状況になるのではないか…。パリにそのまま居てもらい作品だけを送ってもらうには…?ギャラリートークも一人でどうこなすことができるだろうか?等々、出来そうなことを書き出して検討してみた。

 

ピンポンのようにメールの応酬が続き、やっと出た答えが、すべてを見送るということだった。

 

 

 

たまたま重なったことがすべて流れ去った。

 

まるで大きな引き潮が砂を掬いながら沖へと引いてゆく時、足元が深く沈み込んでゆくようなそんな感触にも似て…。

 

まさかという言葉が、またか…という言葉にいつの間にか変わっていた。

 

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これでもかといろんなことが起こりますが、

それでも日々は、続いてゆきます。

 

 

今は、機が熟すその時を待つことにします。 

 

そして、一番大事にしなければならない人のために自分ができることするだけのような気がしています。

 

まだまだ描くことも足りないのだと思う。

 

 ただ淡々と粛々と目の前のことを"続けてゆくこと"だけを念頭に置いて、根気強く日々を歩んでゆくしかないのだと…。

 

 

2020.3.30 秋田育ちの父の誕生日に…

 

高橋 優 『虹』

https://youtu.be/3NKKGX6vYpY

春の嵐

春の嵐が吹き荒れている二〇二〇年三月。

全世界的にみてもそんなことが言える。
全世界同時に共有している出来事。
世界中の人が、それぞれに影響を受けている。




このブログでは、お知らせがまだでしたが、今年の5月に宮城県仙台市で三人展をする予定でした。

2016年宙色JAPANの遠征地フランスで出会ったパリ在住の画家・師井公二さんと彼の友達で、私と同郷で今は亡き銅版画家のオノ ショウイチさんとの三人展。



そのための準備を重ねて、フライヤー作りも終盤となっていた矢先に、パリのシャルルドゴール空港がコロナウィルスの影響で閉鎖され、師井さんが日本に来ることが難しくなったとの連絡を受けた。

師井さんの作品だけを出展する形を取る展覧会の提案も受けたが、私としては、やはり納得がいかなかった。
師井さんの発案でもあったし、展示する予定の作品も変更を余儀なくされ、ギャラリートークも私1人ですることになる…、たぶん、私としては悔いが残る展示になるという予感がして、時期を待った方がいいと結論を出し、延期することに決めた。


日々刻々と変化する世界の状況。
最初は、大丈夫だろうと軽く考えていたものの、一気に状況が目の前で変化してゆくさまをまざまざと感じた。




そんな変化は、私の家の中でも起こっていた。

だいぶ前から、父の調子が変化していた。

今月も入院をしてきた。

コロナウィルスの影響で、ナースステーションの前までしか家族といえども入れず、本人にも会えないという日々が続いた。
本人がストレスを感じ、気持ちが落ち着かなくなったりしていないかと不安に思っていた。


老いの姿を見たくない、受け入れたくないという状態は、とうに過ぎ去って、いかに快適に余生というものを送ることができるのか、何ができるのか、どうすれば最善なのか?と思い考える生活へさらに移行しつつある。





そんな中、コロナウィルスの影響で学校が休みだった姪っ子たちを連れて国営の公園へ行った。
家にこもりきりでテレビばかり見ていた子供たちの伸び伸びした姿。
大きな声を出しても、駆けずり回っても大丈夫な太陽の下で、日がな一日を過ごした。
木陰にレジャーシートを広げて手作り弁当を広げ、のんびりした。

ここは天国か?!と冗談を言いながら、一時のパラダイスの雰囲気を味わい、おにぎりをほうばった。

さまざまな遊具で遊んでも遊び足りない子供たち。
身体を動かすことが生命の内側の欲求として突き上げてくるような動きに生きている歓びが体中から溢れ出ているように見えた。

叔母である私もちょっと遊具で遊んで大声をあげた。
相変わらずターザンガールもした。

しかし、その帰り際、大きな木の根っこに足を取られ、大きく転倒して1mくらいの坂から転げ落ちてしまった…。
大きなリュックを背負っていてなかなか立ち上がれなかった。
足首を捻挫をしてしまった。
なんというオチなんだッ!!







さすがに疲れ果てて、なにもかもいやになって、布団の闇に逃げ込んだ。

そんな時、つけっぱなしのスマホのラジオから「スマイル」という曲が流れてきた。
唄っているのは私が大好きなマイケル・ジャクソン
チャールズ・チャップリンが書いたこの曲も好きで歌詞も知っていた。

お先真っ暗と思っていた暗闇に光明が差し込んできたようで、思わず泣いた….。


掌に救い上げてもらったような安堵感と慰めを感じた。
お天道様はみているのかなぁ…



『Smile』

Smile though your heart is aching
Smile even though it's breaking
When there are clouds in the sky
You'll get by

笑って たとえ君の心が痛んでも
笑って たとえその心が砕けそうでも
雲が空に浮かんでいれば
きっと何とかなる

If you smile
Through your fear and sorrow
Smile and maybe tomorrow
You'll see the sun come shining through for you

その微笑みが
不安と悲しみの中からのものでも
笑えば たぶん明日には
見えるだろう 太陽が輝き 君を照らし出すのが

Light up your face with gladness
Hide every trace of sadness
Although a tear may be ever so near

晴れやかになる 君の顔は 歓びとともに
隠される 悲しみの痕跡は 
たとえ涙が すぐに溢れてしまいそうでも

That's the time
You must keep on trying
Smile, what's the use of crying
You'll find that life is still worthwhile

その時こそ
君は続けるんだ 努力を
笑うために 涙は何の役にも立たない
わかるはずだ 人生にはまだ価値があると

If you just smile

もし君が笑えたなら

https://youtu.be/afq2TwwAetM

in your own way


去年の2月にもらった言葉が、身に染みる今年3月。

「老いてなお花となる」というタイトルを新聞のテレビ欄に見つけた。なんとなくタイトルに惹かれてテレビをつけた。

俳優の織本 順吉さんが92歳で亡くなる前までを克明に映像作家の娘さんが撮ったドキュメンタリー。

3夜連続の2本目と最終章を見た。

織本さんは、脇役に徹してきた俳優だった。

娘さんの中村 結美さんが4歳の頃から家にはほどんど帰ってこない生活が続いていた。
そんな父親を半分憎む気持ちで、仕返しのような気持ちで、カメラを回していたという。

亡くなる間際、病室の織本さんの表情がやけに美して、描きたいと思わせるようだった。
画家のバルデュスにも似たような人間の最後の色気というようなものを強く放っていた。
最後に娘さんに対する深い愛情と感謝を吐露する真実の姿も垣間見せながらも、カメラの前で、最後の最後まで俳優として演じ続けていたのかもしれない。


介護には鬼気迫る時が、幾度と伴く訪れるのが見て取れる。

この番組でもそう言った場面も包み隠さず映されていた。


共感しながら、胸が熱くなった。
何も言わなくても充分に解り得る心情とそのやり切れなさに…。


ありのままのその人がむき出しになって出てくる老いの姿。それは本当の人間の姿なのかもしれない。


見上げるほどに強くて大きかった自分の親なのに、老いというものは、どんなに健康な人にも等しく、確実にやってくる。


最初は理解できず、その現実を受け取ることが怖くて、抵抗したりしていたけれど、年々、ゆっくりとなってゆく動作やできなくなることの多さに戸惑いながらも諦め、受け入れてゆくしかないものだと…。

たぶん、当の本人も今までできたことができなくなることに愕然として、戸惑い、落ち込み、老いという現実を受け入れてゆくのだろう。



バッテンだらけの手帳。
身内の急な入院。
家族なのに面会もできないという状況。

そして、友人が出国出来なくなったこと…。

いろんなことが立て続けに起こって行く日々。


でも、この状況下で、私だけがそんな思いをしているわけではないから…と自分に言い聞かせながら。

ジャガイモを植えるために鍬を持ち、土を耕す。
負けてたまるかよって思いながら、鍬を土に食い込ませる。硬い土がザグザグ音を立てながら崩れてゆく。灰色した土が掘り起こすたびに黒い色に変わってゆく。そこに玄の色を見つける。そこに真っ白い石灰を撒いて、しばし寝かせる。

鍬を使いながら、生きるってこういうことなんじゃないかって。この状況でも、生き抜く術を自らが開拓してゆくしかないと春の大地の匂いを嗅ぎながらそう思った。


そして、起こったことを面白がり、楽しむこと。
出来る限り、それを忘れないようにしようと思う。


去年、沢木 耕太郎さんが私に書いてくれた言葉が、ひとつのメッセージみたいに思える。

in your own way
in my own way

私のなりのやり方で…。
やってくる事に対して、受けて立つ。

ジタバタしながらでもね。






「宿命」髭男
https://youtu.be/-kgOFJG881I


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今月のノリコラムもよかったらどうぞ✍️
NORI COLUMN Vol.25
「海辺の定点観測/私的・日常の考察」
http://www.oyakamekokame.com/blog/archives/7770

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『never more』

 

「風景が人を殺す。」

 

能楽堂の仄暗い舞台にカントリー&ウェスタンが流れる中、津村禮次郎氏のナレーションが響く。その中でこの言葉だけが、頭の中に残った。

 

 

アメリカの生あたたかい影がゆるやかに浸透し、この地の土壌の中、深く染み込んでいった。

土地も精神も知らぬ間にそんな文明に犯され続けた果ての今…。

 

喪失と

迷走と

困惑と

暴走と…。

 

 

 

「生まれることはの反対は?」

「殺すこと…。」

 

やり切れないほどの空虚な影が、

大量消費ときらびやかな生活に紛れて、

引き金を引くまでの時間。

 

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津村禮次郎氏と笠井叡氏、2人合わせて150歳の舞台。

 

アメリカの作家エドガー・ポーの『大鴉』のテキストにインスパイアされた作品でもある。

 

 

伝統的な能舞台の上で舞、踊り、床を踏みしめる姿は、どこまでも瑞々しくほとばしり、型破りで、実験的。

長年のキャリアの熟練と洗練とが伴う優雅さを身に纏いながら、淡々粛々と演じられていく舞台『never more』。

 

https://youtu.be/NM4F2ZyAoJY

 

 

 

昔、作家・藤原新也 氏の描いた本「アメリカ」という本を読んだ時の全体を覆っていた得体の知れない空虚感を思い出した。

 

真空の空間に投げ出された"いのち"が所在なさげに人生を持て余す。そんな生きている時間の隙間を満たすツールとして、アメリカで生まれたのがパーソナルコンピューターであり、インターネットというシステムだったというくだりに、妙に納得したのを思い出した。

 

 

バーチャルリアリティソーシャルネットワーキングがある種、現代の救いになったのだと。

 

 

発信すること、そこで人から承認されることに一喜一憂しながらも、それでも自分の中にある渇きを満たすほどには至らないこの世界で、スマホを握り締めた迷子のような人の群れが日々、ざわめいている。

 

液晶画面に目を落としたままでいるのは、目の前の風景を忘れるためだろうか?

 

 

 

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https://youtu.be/RpSMJ_6jovQ

 

野球帽と白いナイロンの上下、

ラッパーのような出立ち。

テクノミュージックとドレスで着飾り、

早変わりのテンガロンハット。

 

 

能舞台でライフルをぶっ放す津村 禮次郎、

倒れる笠井叡

 

暗転した暗闇に響き渡たる銃声が、

今、生きている瞬間をここに刻みこむようかのように記憶の奥底にまで貫通した。

 

 

深い影がやがて、闇と化し、静かに土壌の中、さらに沈み込んでゆくのを感じた。

 

ベテランの舞い手の貫禄と斬新な試みと深く澱んだ時代の暗闇を覗き込んだような夜。

 

https://youtu.be/NM4F2ZyAoJY