今年はいつもの年以上の大デトッス祭りにわきにわいている体内。
わっしょい、
わっしょい、
フェスティバル🎶
今年の脳内B.G.Mは、藤井風くんの『まつり』。
以前も似たようなことが起きた時には、脳内になぜか北島三郎さんの『まつり』がずっと流れていた。
この時もかなりはげしめのデトックスだった。脳内で再生される曲の映像はなぜか紅白の時の”大とり”の雰囲気で鳴り響いていた。
そしたら、たまたま通りかかったテレビのモニターから、紅白の時の白組総出演のサブちゃんの『まつり』の映像が流れてきて、一人、爆笑したことがあった(笑)。
身体と向き合うことは自分自身と向き合うことでもある。
土台がしっかりしていないとなにをやってもしっくりこないし、うまくいかない気がする。
不安定さを気力でカバーして、突っ走るにも限界がある。まして、年齢を重ねればなおのこと…。
セルフケアの大切さが身に染みてくる今日この頃・・・。
今年に入り、なぜか食欲が旺盛になり食べ過ぎてしまい、いつも身体が重くボ〜ッとしてやる気が出ないという悪循環にはまり込んでいた。
この循環をどうにかしたい!と思い断食を遂行してみた。これが3回目の断食だと思う。
最初は辛いかなぁ〜?と思い、1日だけのつもりにしたが、これは行けるかもと思い続行。3日間の断食をすることに。
不安もあったので具の入っていないお味噌汁だけ3食飲んで、プラス白湯やどくだみ茶を飲んでいた。
食べないでいると気持ちが澄んでくるのがわかる。
そして、腸と脳は繋がっていてるという実感がわいてきた。
今まで脳が重要視されてきた時代だったけれど、やはり一番大切なのは腹なのだろうと。
今も昔も人間は大切なことを腹で考え、決めていると思う。
空腹時、腸が活発に動くと同時に、時々、脳のあらゆる箇所が軽くキュ〜っと苦しくなる症状が起こった。
その時、腸と脳の関連性をあらためて体感したような気がした。
そして、本来、身体は、それほと食べなくても保たれるものだったのでは?!とふと思ったりした。
ある説では、江戸時代までは、一日2食でみんな暮らしていたというではないか。
断食3日目、立ち寄ったスーパーのモノの多さに圧倒され、そのパッケージの色彩と質量にクラクラしてきた。
毎日、こんなにもたくさんのものを食べているのになぜみんな不調なのだろうか?!という疑問もわいた。
あふれかえる食品の山を見てなぜか、ゾッとした気持ちで帰ってきた。
大量消費、飽食、フードロス…。
食にまつわるあらゆる問題がすぐそばに横たわっている。
これほどまでに目の前に大量に食品が並び、選択でき、お腹が満たされた時代もないなだろうに・・・。
なのに人は一体、なにが不満なのだろうか?と考え込んでしまった。
"食べなきゃ、食べなきゃ!"
"1日に30品目、栄養素を取らなきゃ!"
っていうのも本当は、”幻想なのかも…”と空腹なのに冴えまくった意識の中、そう感じた。
断食が明けた翌朝。庭に出て、去年、浜辺から移植してきたヨモギがスクスク育ったものを摘んで、玄米のお粥の中に放してみた。
濃く芳醇な新緑のホロ苦い香りがこだますように口いっぱいに広がった。
なんという贅沢なのだろうか!!と目を閉じながらかみしめて一人、余韻に浸った。
その青いこだまは、喉の奥から広がって繰り返しひびいてきた。
にんじん・たんぽぽの葉のサラダ、たんぽぽのつぼみの甘酢漬け、つくしの佃煮、スギナのふりかけ、
そして、さまざまな野草茶を自作して愛飲している。
新鮮な野生のエネルギーの力を借りて、わたしも自然と同期してゆくような感覚を覚える。
外なる自然と内なる自然が響き合い、体内でもコンタクトをとっているかのようだ。
深く濃く、つながる緑の中。
自然の力を借りて、自分の野生を呼び覚ましてゆくことで、身体のバランスが取れるのではないだろうか。
そして、自己統合にも結びつくのではないかとさえ感じる。
春の野辺に生きる草花を愛でて、そのいのちを分けてもらいながら、ますます自分の野生を呼び覚ましてゆけたらを思う。